雪霞の交差――ナシア帰還、動く王都
三日にも及ぶ漂白の山道を越え、凍土の世界を孤影のごとく南下してきた俺たち現太一行。雪崩れ続ける吹きだまりと崖沿いの落とし穴に幾度も足をすくわれながら、ようやくたどり着いたのはクヴァル北東の小さな監視砦だった。吹雪に破壊されたはずの木柵は補修され、複数の焚き火が夜の帳を照らしている。門を叩くと、深緑のフードを脱ぎ捨てた情報商人ナシアが、再会の笑みを浮かべて迎え入れた。王都軍の軽装騎士や救援物資が揃い、ついに中央聖堂が“黒翼”討伐へ動き出すという──しかし標的が一つでは、隙を突かれればまた別の門が開く。絶望と希望を挟んだ二つの選択の狭間で、俺たちの胸にはただ一つの結論しかなかった。
三日目の夕暮れ、俺たちはクヴァル北東の小さな監視砦にたどり着いた。
吹雪で瓦解していたはずの木柵が補強され、焚き火の煙が何本も上がっている。
門を叩くと、懐かしい声が雪を割った。
「ようやく顔を見せたわね、命知らずの探検家さん達!」
深緑のフードを脱ぎ、銀髪を揺らした情報商人ナシアが笑う。
背後には王都軍の軽装騎士十数名と荷車二台。
干し肉、薬液、真新しい防寒具。
「王都もクヴァルも、あなた達の報告で蜂の巣よ。深淵儀式の根を断つため、中央聖堂が討伐軍を準備中。……ただし標的は“黒翼”ひとつ」
つまりヴァルザールの本体を放置すれば、また別の門が開く。
俺たちの口から同時に同じ言葉が零れた。
「間に合わない……!」
ナシアが肩をすくめる。「王都軍は慎重よ。春解けまで動けないってさ」
その瞬間、ノーラの細剣が鞘を震わせた。
「だから私たちが走る。――雪が溶ける前に」
八人と一人の商人が視線を交差させ、砦の薪が爆ぜる音だけが拍子を刻む。
夜更け、補給を受けながら次の作戦会議。
ティーナは王都の古文書から写した写本をテーブルに広げ、深淵儀式の“心臓”が雪原南端の空洞湖にあると示した。
「兄さまの門は“枝”だった。本当の幹は湖底の祭壇。ヴァルザールはそこに“器”を揃えようとしている」
器――それは“願いと絶望を兼ねる魂”。ジェラルドを含む数多の失踪者、そしてもしかすると俺たち自身も。
パサラが拳を小さく握る。「なら、希望ごと奪わせない」
レナは雪原の地図に氷印を描き、最短の氷瀑ルートを示す。
セラは魔術書をめくり、新しい結界破りの式を組み立てる。
ナスティアは獣人仲間の斥候網へ伝令を頼み、ミレイは影走りで湖近辺の視察に向かう準備を始めた。
ナシアは王都便の早馬を用意し、後方連絡と補給の再調整を買って出る。
俺は全員の視線を束ね、低く宣言した。
「凍土に春を通す針は、俺たちの手で刺す」
外では雪霞がさらさらと舞い、月が薄雲を破って覗く。
砦の灯りが八つの影を照らし、長い夜の奥で黒い翼が潜める気配をかすかに孕んでいた――。
雪霞に染まる焚き火のもとで、ティーナは古文書から写し取った写本を広げ、深淵儀式の“心臓”が《ネブロス・カルデラ》の湖底にあると示した。兄の門がただの枝に過ぎなかったことを知り、器となる「願いと絶望の魂」を護らねばならないと覚悟を新たにした八人と一人の商人。レナは最短ルートを氷印で描き、セラは新たな結界破りを練り、ナスティアは斥候網を動かし、ミレイは湖畔の偵察へ飛び立つ。ナシアは王都便の早馬を手配し、後方支援の糸を結び直した。
――凍えた大地に春を通す針は、他でもない俺たち自身の手で刺すのだ。月光が薄雲を破り、砦の灯りが八つの影を浮かび上がらせる。その奥深く、黒翼の気配がいまにも動き出そうと忍び寄っている。




