帰還の檻――白銀回廊、影を縫う
裂氷の城塞を後にし、崩れた砦の瓦礫を背にして南へ進む我ら新堂現太たち。だが氷壁を離れても、北域の脅威は消え去らず、夜ごと形を変える吹きだまりが行く手の一本道を〝落とし穴〟へと変えていた。足場の強化も長続きせず、誰か――あの黒翼の男ヴァルザール・ネブロス=エインヘリアルの影が、常に背後で雪を操っているかのような不気味さを漂わせている。
いま、命綱ともいえる崖沿いの山道を抜け、夜半の洞窟へ身を隠す八人。そこに待ち受けるのは、ジェラルドや亡霊騎士とは異質の“抜け殻”──冷笑を漏らす幽魂たちだった。鍛えられた戦技と新たに得た祈りの魔法を携え、ティーナは兄の短剣を胸に、凍てつく洞窟へと踏み込む。
城塞跡から南下する山道は、夜ごと吹きだまりが形を変える。
レナが氷魔法で足場を固めても、数刻で亀裂が走り、崖沿いの一本道が〝落とし穴〟のように口を開く。
「まるで誰かが後ろから“別の雪”を流し込んでるみたい」
ミレイの独白を裏付けるように、風鳴りの底でかすかな羽撃きがあった。
――黒翼の男、ヴァルザール・ネブロス=エインヘリアル。
羊皮紙に刻まれた名が脳裏で脈を打つ。
夜半、迂回路の洞窟で野営を張る。
俺が松明を灯した瞬間、洞奥がぐにゃりと歪み、無数の白い影が滲み出た。
ジェラルドの亡霊騎士とは違う。輪郭は曖昧で、悲鳴を上げる代わりに笑っている。
「魂を空洞にされた、抜け殻……!」ティーナが蒼ざめる。
パサラが光壁を展開し、ノーラが狭所戦の隊形を整える。
「後ろは崖口、前方だけ守る!」
ナスティアが突撃し、セラが火蛇を走らせる。レナの氷柱が天井を刺し、落石で群れを分断。
俺はティーナと背を合わせ、光刃を詠唱。ティーナは躊躇したが、胸に兄の短剣を当てて小さく息を吸った。
「……“深呼”!」
刹那、凛とした氷光が彼女の両掌から咲き、白い影を一列凍らせる。
俺の光刃がその氷像を粉砕した。
“守る方法”に戸惑っていた彼女は、目に見える結果に小さく震え、けれど逃げずに次の詠唱へ入った。
数分後、洞窟は闇と氷の欠片が散るだけの静寂になる。
ミレイが影から現れ、倒壊を避ける支柱を刻印で補強する。
「ヴァルザールは遠くから“感情だけ”を喰ってるのかもしれない」
セラが吐息とともに魔力視を解いた。「門を潰しても、儀式の外郭はまだ各地に生きてる」。
炎の揺らぎの奥で、ティーナは胸に短剣を抱きながら小さな決意を灯す。
「兄さまが遺した道を……私が光へ繋ぐ番」
その声に、ノーラが深く頷いた。
洞窟の外で夜風が鳴り、星明かりが一行を縫い留める光糸のように降り注いでいた。
凍てつく洞窟は静寂を取り戻し、闇と氷の粒が宙に舞う中で、我らは互いの傷を癒し、脆い足場を補強した。北域各地に残る深淵の外郭は依然として生きており、ヴァルザールは遠隔から感情そのものを喰らい続けているかのようだ。
しかし、兄の残した刹那の祈りを胸に、ティーナは己の手で光の道を紡ぐ決意を新たにした。「兄さまの遺した道を、私が光へ繋ぐ番」——その言葉は、満天の星が降り注ぐ夜風に乗り、七人の両肩をそっと押した。凍土の夜は深いが、春を運ぶ旅路はまだ続く。




