雪原の流転―別れの前の足音
“幻の集落”という超常現象をくぐり抜けても、白い荒野はなお彼らを試し続ける――そんな数日を経て、物語は再び重い雪雲の下へ歩みを進める。吹けば跡形もなく消える足跡、昼も夜も判然としない灰色の空。厳寒と孤独のなかで交わされるのは、翼を持つ癒やし手パサラの小さな悩みや、獣人ナスティアの武骨な助言、そして魔術師セラやレナが抱える寒冷地特有の魔力事情。些細な雑談の背後には、“いつ闇が牙をむくか分からない”という緊張が、絶えず吹きすさぶ風のように鳴り続けている。
一行が辿り着くのは、交易路の名残をとどめつつも人の姿が失われた廃村。そこは“幻”ではなく確かな実体をもって現れ、夜の宿り木という僅かな安堵を与える一方で、人のいない理由を静かに問いかけてくる。月光に青白く照らされる雪と瓦礫の景色は、一昔前の温もりと現在の空虚を同時に映し出し、仲間たちに“何が起きたのか”“次に何が起こるのか”を想像させる舞台装置だ。
氷点下の旅路で露わになる仲間同士の支え合いと、それぞれの役割の重みが丁寧に描かれる。焚き火を囲む夜の談笑、微かな軋みが残る床での雑魚寝――そんな束の間の静けさがあるからこそ、彼らの心に巣くう不安がいっそう際立つ。
幻の集落を後にして数日、俺たちは吹雪に巻き込まれながらも、一進一退の旅を続けている。空が鈍色に曇り、地表は真っ白な雪景色。夕方と朝の区別がつきにくいほど灰色の世界が広がり、時折、頬を切るような寒風が襲ってくる。
幸い大きな魔物の襲撃は少なく、ナスティアの嗅覚やセラの魔力探知で早めに察知して回避できている。また幻の集落のような奇怪な体験には遭遇していないが、いつ何が起こるか分からない恐怖が常に付きまとう。
パサラとナスティアの雑談
移動中、パサラとナスティアが先頭で雑談しているのが聞こえる。パサラは「ねえ、私、もっと回復魔法を使いこなせるようになりたいんだけど……翼が疲れちゃうの」と悩みを打ち明け、ナスティアは「体力面も鍛えたほうがいいだろ。あと、寒さ対策しろって」とアドバイスする。
それを横で聞いていたセラが「寒冷地で魔力を扱うのは本当にきついのよ。私も杖を通すとき、手がかじかんで仕方ないわ」と同調。レナは「うん、私も氷魔法を使うとき逆に冷気を浴びるから……体温管理が難しくて」と苦笑している。
ナシアはフードを深く被ったまま、「本当にみんな頑張るわね。もし私がいなかったら、この情報を王都やクヴァルに持ち帰る人もいないんじゃない?」と皮肉交じりに笑う。ミレイはそれを聞いて「それを言うなら、私たちがいなきゃあなた一人じゃ危険でしょうに」と返す。
確かに、少人数とはいえこのパーティだからこそ雪山を進めている面は大きい。一人欠けても危なそうだし、逆に言えば皆の役割がはっきりしているからこそ生き延びられる。
中継地点になる廃村
途中、地形の分岐に差し掛かったころ、ナシアが「ちょっと確認したい場所があるの」と言い出す。どうやら彼女の情報網によれば、ここからそう遠くない場所に“廃村”があり、誰かが“拠点”として利用している可能性があるという。
「廃村……。また幻なんじゃないか?」
ナスティアが眉をひそめるが、ナシアは「ちゃんと実体があると思うわ。噂によれば昔は交易で栄えた小さな村だったけど、魔物が増えて放棄されたとか」と説明する。
夕方には吹雪が弱まる気配がある。そこで皆で意見を出し合い、とりあえずその廃村を中継地点として目指すことにする。宿屋や家屋が残っていれば、テントより安全かもしれないし、何か新たな情報を得られるかもしれないからだ。
「よし、そうと決まれば急ごう。日没前に着きたいしね」
俺が号令し、全員が歩調を上げる。ミレイは冷静に周囲を見回し、パサラは膝まで埋もれる雪に苦戦しながらも白翼でバランスを保つ。セラとレナはそれぞれ魔法で足場を固め、ナスティアが匂いを辿り、ナシアはフード越しに地形を確認している。
廃村の寂寥
時間ぎりぎりで辿り着いた廃村は、ゴーストタウンさながらの静寂に包まれていた。いくつかの家屋が雪に押し潰され、残りの家も半壊状態。だが、幻の集落とは異なり、しっかり実体はあるようだ。
「だれかいるかな……?」
レナが小さく声を掛けるが、反応はない。足元には生活の痕跡と思われる家具や道具が散乱しており、まるで数日前まで人がいたかのよう。
パサラは「人がいた形跡はあるね。暖炉とか道具もそのまま」と頷く。ナスティアは「魔物が襲ったか……あるいは凍えて死に絶えたのか」と尻尾をバタつかせる。
家を何軒か回るが、やはり人影はなく、血痕や争いの跡もあまり見当たらない。ただ放置されたまま、住民たちがいなくなった感じだ。
「別に足跡はある……でも、雪に埋もれて古いな。いつのものか分からない」
セラが地面を掘ってみるが、あまり手がかりはない。ナシアは「予想通り、もう誰も住んでないみたいね。ただ地理的にここが最後の拠点だったという話もあるわ」とノートを確認する。
夜の廃村に宿泊
結局、安全な空き家を一軒借りて夜を過ごすことになる。建物自体は頑丈そうで、壁もそこそこしっかりしているのでテントよりはマシだろう。俺たちは家を片付けて焚き火を焚き、内部で雑魚寝の準備をする。
似たようなシチュエーションは何度か経験してきたが、廃村にはやはり独特の寂しさが漂う。過去に人が住んでいた気配が部屋の隅々に残っていて、時折むなしい気持ちにさせるのだ。
夜になり、廃村の通りは月光に照らされ、雪が青白く光っている。家の中では皆がそれぞれ毛布や寝袋を広げ、体を温めようとしている。パサラが軽く回復魔法を発動し、ナスティアが尻尾を外へ伸ばして見張りをする。ミレイは短剣を手入れしながら、セラとレナが地図を再確認し、ナシアがノートに書き込みをしている。
「そういえば、ナシア、あなたはこの先どうするつもりなの?」
セラが唐突に問う。ナシアはフッと笑い、「もう少し先までついていくわ。私が持ってる情報はまだ不完全だし、皆の力も借りたいしね」と答える。
「そう……まあ、あなたがいると助かる面も多いわね」
ミレイが肩をすくめる。ナスティアは「ヘマしないようにな」と生意気に言うが、実際ナシアの情報や解呪道具は何度も役に立っている。パサラやレナもうなずいて「私たちも頼りにしてるから」と口々に言う。
俺も思わず「ありがとう、ここまで一緒に来てくれて。助かってるよ」と伝えると、ナシアは「フフ、どういたしまして。あと少しは頑張りましょう」とフードをかぶり直した。
夜の雑談と休息
焚き火を囲んで夕食代わりのスープを口にしながら、皆が軽く談笑する。パサラが「この村、また幻とかじゃないよね……?」と冗談めかすが、誰も笑わない。幻の集落の記憶が生々しいのだ。ナスティアは「今のところ大丈夫だろう。外に出ても家が消えてないし」と回答する。セラは「理屈じゃ説明できない現象ばかりだけど……しばらくはここを中継にしていいかも」と言う。
レナが看板を見て「ここってかつては交易の道沿いだったらしいね。物資が集まる中継地だったとか……でも魔物の出現で皆いなくなったんだろうなあ」と遠い目をする。何があったにせよ、ここが無人になって久しい様子だ。
夜が深まると、皆順番に体を横たえ、焚き火を弱めつつ見張りを回す。パサラが翼を広げかけて「あ……もうちょっと広いといいんだけどね」と苦笑したり、ナスティアが「ま、贅沢言うな」と尻尾で軽くたしなめる。セラとレナは慣れた様子で毛布を重ね、ミレイは短剣を握ったままうずくまる。ナシアはフードを深くかぶり、ノートを枕代わりにする。
家の床は少しきしむが、幻のように消える気配はない。吹雪の音もここまではあまり聞こえず、今夜はわりと静かに眠れそうだ。
廃村に辿り着いた一行が一時の安息を確保して終わる。幻の集落の経験や黒翼の男、亡霊の巫女エレオノーラ・ヴァレンティーナ・クロスターニの存在など、多くの謎を抱えつつも、とりあえずは休むしかない。
やがて日は昇り、また次の移動が始まるのだろう。いつかナシアと別れる時が来るかもしれないが、今は彼女を含めた七人が手を取り合って雪原を生き延びている。行き先は定まらないが、胸にはかすかな希望が宿る――そんな夜が、更けてゆく。




