氷壁の向こうに揺れる影
雪深い北方の大地を舞台に、ここでは“異世界”からやって来た主人公と、その仲間たちが新たな脅威と謎を追う第3章が展開される。吹きすさぶ寒風と白一色の厳しい自然環境の中、わずかな手がかりと情報を頼りに、一行は次なる目的地を目指して足を踏みしめることになる。
黒い翼を隠す冷静な少女や、白い翼で仲間を守る優しい少女、獣人の荒々しい戦士ら、それぞれが抱える事情と能力を駆使しながら、果たして北方に息づく闇を突き止めることはできるのか。舞台となる雪原は地図すら機能しないほど気候が過酷で、形を変える大地はまるで冒険者をのみ込もうとするかのような圧迫感を放っている。
先んじて訪れた開拓拠点は荒れ果て、人々もわずかしか残っていない。逃げ出すのも一つの手段だが、仲間たちは何としてもこの地で暗躍する敵の真相を追うことを選ぶ。彼らを待ち受けるのは、鋭い冷気と不穏な手がかり。果たして真相に辿りつくことはできるのか――
北方に続く雪原には、沈黙のような冷たい風が吹いていた。俺――新堂 現太は、先の戦いをくぐり抜けた仲間たちとともに、次なる目的地を目指して足を踏みしめる。
闇の勢力がまだ活発に動いているらしい、という情報だけが頼りだが、はっきりとした行き先は定まらない。この地には地図も少なく、あっても形状が変わるほど厳しい気候。白一色の風景は方向感覚を狂わせ、俺たちを飲み込みそうな圧迫感を放っている。
仲間の面々は、黒い翼を持つ冷静な少女ミレイ、白い翼を広げる優しいパサラ、獣人の荒々しいナスティア、知的な魔術師のセラ、そして雪国出身のレナ。いずれも異世界の事情を抱えながら、俺と同じ目的で歩んでいる。
先日まで滞在していた開拓拠点は荒れ果て、そこに住んでいた人々の姿はわずかしか見当たらなかった。すべてが北へ逃げるか、魔物に襲われて散ってしまったと聞く。だが、逃げ道のないこの地で、果たしてどこまで辿り着けるのか――不安は尽きない。
雪を踏むたび、足元からギシッと音が立ち、それに応えるように風が頬を刺す。パサラが白い息を吐き出しながら、「この天候、また吹雪になりそうな気がするよ」と言ってケープを揺らした。
「昨日ほどじゃないかもしれないけど、油断ならないわ」
ミレイが神経質に周囲を見回す。彼女の黒い翼は普段ケープの下に隠れていて、じっくり観察しない限り分からない。だが遠目には闇に溶け込む不思議な雰囲気を醸し出している。
「そろそろ野営場所を確保するか、それとももう少し進むか……悩ましいね」
セラが呟きつつ杖を持ち直す。魔力を使いすぎると寒さに抵抗できなくなるため、燃費を考えながら移動しているのだ。
そんな折、先頭を歩いていたナスティアが尻尾をぴくりと動かし、振り返って声を張り上げた。
「……へんな臭いがする。人の血……それに別の、なんか異様なにおいが混じってるかも」
ナスティアは獣人として鋭い嗅覚を持ち、こうした危機を察知するのに長けている。俺たちは立ち止まって様子をうかがい、彼女の指示で少し迂回するように雪原を進んだ。
やがて雪が溶けかけて再び凍ったような場所を発見する。そこには足跡が何重にも交差し、ところどころ赤黒い染みが散っていた。
「これ、血痕じゃないか……」
俺がかがみこんで触れてみると、氷のように固まっている。さほど古くはなさそうだが、もう痛々しい赤みは感じられない。セラが口を曲げ、レナは顔を曇らせる。
「もしかして、誰かがここで襲われて……? もしくは魔物同士の争いかも」
分からないまま、足跡を辿り続けると、低木がまばらに立つ森の入口に差しかかった。太陽はまだ高いが、木々の間から入り込む風がやけに湿っていて、冷気を一層強く感じさせる。ナスティアは鼻をひくつかせたまま先を進み、他のメンバーも半ば警戒態勢でついていく。
すると、森の奥に小さな空間があって、そこに古いキャンプ跡らしきものを発見した。地面に焦げ跡や散らばった荷袋があり、どれも最近まで使われていたようだ。
そして、その隅には一人の男性が倒れ込んでいた。
「……人だ! 大丈夫ですか!?」
パサラが真っ先に駆け寄る。俺やミレイ、セラも後を追う。
男性はボロボロの防寒着を纏い、腕と胴から血を流している。血は凍りついて固まっており、皮膚は青ざめているように見える。
「くっ……うう……」
弱々しい声を上げているが、まともに喋れる様子はない。瞳は焦点が合わず、痛みと寒さで意識を失いかけている。ナスティアが体を持ち上げ、セラとレナが回復の魔法を試みる。
「何か変な呪いが混じってるかも……うまく効かないわ。パサラ、あなたの光で少しでも温めて!」
セラが急いで指示し、パサラが白翼を広げて淡い光のバリアを形成し、その中で男性を包み込む形を取る。こうすることで通常よりは体温を保つことができるが、抜本的な解決にはならない。
「このままだと危ないわ。森の中じゃとても治療できないし……何とか屋根のある場所で休ませるしか」
ミレイが周囲を見渡す。やはり野営では限界がある。幸い、少し前に目をつけた岩場の陰に古い小屋の廃墟があったはずだ。そこなら風だけはしのげるかもしれない。
俺たちは男性を担ぎ、ゆっくりと森を抜けて小屋の位置まで戻る。雪道に加え、負傷者を運ぶのは重労働だが、幸運にも大きな魔物の襲撃はないまま辿り着く。
そこにあったのは、屋根の一部が崩れた木造の建物。壁も穴が空いているが、森の風が直撃しないだけマシだろう。
「急いで中を片付けよう。焚き火も起こして、できるだけ暖を……」
ミレイやナスティア、セラが手分けして床を掃除し、レナとパサラが彼の治療を続ける。
夜までにある程度整い、簡易テントを室内に張って風除けを作る。焚き火の煙が少しこもるが、うまく窓や壁の隙間を使って換気できるように工夫する。
男性は意識が混濁したまま、ときどき苦しげに呻いているが、うわ言のように「亡霊……女……氷壁……」と断片的に呟く。セラが耳を傾けるも、はっきりした内容は読み取れない。
「亡霊……女……? 何かまた厄介な闇が絡んでるのかもしれないわね」
パサラが少し震えながら毛布をかける。レナは深く息をついて、祈るように男性の手を握った。
夜が更け、俺たちは交代で見張りに立つことにする。小屋の外には雪が降り始め、視界が悪くなってきた。内部は焚き火のおかげで温度がやや上がったが、隙間風が冷たく肌を刺す。
俺は焚き火のそばでぼんやりと火を見つめていると、パサラがふらりと横に座る。彼女の白翼が少しだけ触れて、ほんのり温もりが伝わる。
「……明日、もう少し良くなって話を聞けるといいね」
パサラは男性を気遣いながら、視線を落としている。闇の呪いが混じっているなら、誰かが術を解く必要があるだろうが、今のところ専門的な解呪道具はない。セラやパサラの魔法も限界がある。
「一刻も早く、何が起きてるか突き止めないとね」
ミレイが奥で短剣を研ぎながら答える。ナスティアは「うまくいきゃ、情報が手に入るかもな」と期待を滲ませる。レナは黙ってうつむいているが、その瞳には焦燥感が浮かんでいた。
セラだけは「焦っても仕方ないわよ。彼を見殺しにするわけにもいかないし、回復するまで待とう」と皆を宥めるように微笑みかける。
小屋の狭い一角に寝袋やテントを並べ、全員で雑魚寝する形になった。俺は焚き火を見守る係として見張りを続け、交代でミレイとナスティアが外を巡回する。
深夜、パサラやレナが寝返りを打った拍子に、彼女たちの服が捲れかかる場面があり、ドキッとして目を背ける。セラが「しっ、見ないで」と厳しい視線を向けるが、寒さと疲労で誰もそれを楽しむ余裕などない。
こうした中でも、仲間がそばにいることは孤独を和らげ、心細さを紛らわせてくれる。明日には男性が少しでも話せるようになればいいが、と祈りながら、俺は深い夜の静寂に耳を澄ます。外では風が吹き、屋根の軋む音が時折かすかに聞こえる。




