4.ふわふわするな
「あれから留学生、教室に来なくなっちゃったね」
学校には来てるみたいだよ?と雑談に投じる女生徒たちに混じってリリーは両手で顔を覆った。
気にしないでいいんだよ、先手出した方が悪いしね?角はまずかったんじゃない?など口々に言う女生徒たちの間でリリーは、
「私のせいかも……責任取って…………」
「責任取って?」
「学校やめてヴィントと結婚します」
と言い、いいね!おめでとう!と褒め散らす女生徒に混じって後方で男生徒がふわふわするな!真面目にやれ!とキレ散らかす。
この生徒はリリーに次いで万年ニ位なので怒りはまあ分からないでもない。
「で、でもヴィントはこのふわふわが可愛いって……」
リリーは自身の緩やかな巻き毛の毛先をいじいじした。
そのふわふわではない。
「ねぇリリーさんはヴィントさんのどこが好きなの?」
興味津々な女生徒の質問にリリーは照れながら答えた。
「やっぱり相性が良い所かな」
ぐぁあ、とクラスの男生徒は殆ど死んだ。
比喩だ。
清く正しい性……青少年である彼らは当然のように体の相性だと思ったからだ。
やっぱりねえ、魔法の相性って大事よ?ヴィントと一緒にいるとどんな魔物も塵芥って感じなの!と周りを気に留めず早口で喋り散らすリリーを見てまあそうよねこの子はそうよねそういう子よね、と女生徒たちは感心半分呆れ半分呟いた。
椅子から転げ落ちた男生徒は何とか立ち上がりながら、
「君言葉選びに品が無いぞ!もっと貞淑にだな、」
と言うものの、
「貞淑ですってぇ!」
「何よ貞淑って。古っ」
「今どき女に必要なもんはね、貞淑でも愛嬌でも無い!融通よ!」
女生徒たちに詰め寄られ、万年ニ位は撃沈した。
「ゆう、」
「ずう?」
リリーとフィアナはピンと来ずに顔を見合わせた。
何だか広義的で、深い。
要するに、よく分からない。
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食堂のテラスは天井も壁もガラス貼りで開放感があって明るい。
「テラスでのご飯も食べ納めだねえ」
リリーはしみじみと言った。
夏の日差しは容赦なく、魔法で気温が制御されている室内といえど暑さをほんのりと感じる。
間もなく夏季休暇を迎えるにあたり、皆バカンスに出かけたり実家に帰ったり行き先は様々だ。
休暇が明けるまでは皆で食べる事はなくなるからと食べ納めにテラスで食べる学生は多い。
フィアナは着席したが、リリーは着席せず周りを見渡している。
追ってここに来る恋人を見つめる目線は柔らかい。
その甘さに少しだけ居心地の悪さを感じ……そもそも、彼氏持ちの友人との距離感が分からない。
ふたりきりにしてあげようと気を利かせても、リリーが大抵追いかけて来てしまうのだ。
それを優しいと言えばいいのか。幼いと言えばいいのか。
フィアナにはよく分からなかった。
「これからご飯?」
「クルカン先生」
主に女生徒を中心にわっと湧き上がり、教師に口々に挨拶した。
教師クルカンは癖のある深緑色の長い髪を雑にまとめ上げ、整った顔立ちも大分台無しにするようなずるずるした服をいつも着ている。
この一見不真面目な教師は魔法の知識がかなり深く、話も面白いとあって学校内随一の人気教師だ。
このだらし無さが良いのだろうか、男生徒にもそこそこ人気があり、テラス内の生徒たちは話しかけたそうだ。
「もうすぐ夏季休暇だし、みんなふわっとしてていいよね」
珈琲を片手にクルカンは周りを見回し、ひらひらと手を振った。
「……夏季休暇中羽目を外しちゃダメですよ」
リリーが口を尖らせてクルカンに忠告する。
……教師に言う言葉だろうか?
クルカンと同郷であるらしいリリーはいつも当たりが厳しい。
ふむ、とクルカンは少し考え込んで、
「前から聞きたかったんだけどさ、君──……」
言いかけた所で遠くから悲鳴が聞こえた気がする。
するとガラス張りのテラスをぶち破って突然何かが闖入してくる。
周囲の悲鳴とけたたましく割れるガラスの音でフィアナはくらくらしたが、さすがというかリリーの無詠唱の防護魔法で傷ひとつない。
「邪魔するぜぇ!」
「な、な、なん、なんなんですのあなた!?」
リリーと抱き合って震えながらフィアナは声を張り上げた。
すっとリリーの右手が動きかけたが、
「おっとお魔法は無しだぜ学生さんら!コイツの命が惜しかったらな!」
突然魔法で駆動する二輪車で強引に乗りつけた悪漢は片腕でクルカンの襟首を吊し上げ、ナイフを突きつけた。
きゃあとテラスのあちこちから悲鳴が上がる。
悪漢は三人と多くはないが、人質を取られると手出しができない。
ぎゅっと抱きしめたリリーの腕が若干きつく、フィアナは抗議を上げようとしたがリリーの声に遮られる。
「そうね、でも上には気をつけた方がいいわよ」
ガシャンと再びガラスが割れる音が上空から聞こえ、降ってきたのは有翼種、漆黒のドラゴンのような翼──……
「げっ、羽付き!」
体より大きい漆黒の翼を器用に降りたんでヴィントは悪漢の前に佇んだ。
フィアナも体が浮いた、と思った時には抱きすくめたリリーが翼を広げ、後方に下がっていた。
純白の鳥のような、美しい翼。
フィアナは学校に来てから希少な有翼種──背中に翼のある種族を見てきたが、リリーの翼の美しさは類を見ないと思う。
いつ見ても見惚れる美しさだ。
やっちゃえ!いたぁ!と怒号が響き渡る中ヴィントが悪漢をなぎ倒し、ついでにクルカンも蹴り飛ばした。
……悪漢から距離を取らせる為だと思いたい。
「ま、まて、待ってくれ頼む!これを見てくれ!!」
瞬時に二人のしあげ、最後の一人が大慌てで何かを差し出す。
「こいつ、教師の癖にめちゃくちゃ借金してて!」
取り立てないと、俺たち下っぱは命が無いんだ!などと喚く男を胡散臭そうにヴィントはちらっと見てから悪漢が差し出したものを奪い取る。
「これは……通帳?」
記帳された通帳を見てうっ!とヴィントは呻き声を上げた。
とことこと特に臆せずリリーは寄っていき、通帳を横から覗き込む。
慌ててフィアナも駆け寄って後ろから覗き込んだ。
「あ、赤字…………初めて見ましたわ……」
「わぁ……0が一杯…………」
フィアナとリリーはそろりと、ヴィントは眼光鋭くクルカンを見た。
「てへへ……ちょっと遊んじゃって」
ああ〜〜と三人とも頭を抱えた。
ちょっとと言うには度を越している。
「こんな借金、もう首が回らねえ!こいつには体でも売って稼いでもらう!」
切羽詰まって叫ぶ悪漢に、
「あ、はい。どうぞ」
とヴィントがクルカンの首根っこを掴んで差し出した。
「ひどい!裏切り者ぉ!」
「膵臓、腎臓、肺、肝臓、心臓もひとつくらい売ってきたらどうですか?」
「心臓はひとつしかないよネ!?」
リリーに臓器を挙げられてクルカンは訂正を入れる。
あっさり引き渡されて拍子抜けしたようだったが、悪漢たちは慌てて体勢を立て直すとじゃあな!とクルカンを連れて去っていってしまった。
誰かちょっとは引き止めてよお!という叫び声を残して。