1. 魔法使いの夏
魔法都市ロマネストにも夏が来た。
惑星の九割を海に囲まれ不自由であるにもかかわらず、人口全てが魔法使いであるロマネストでは誰も何も苦とせず生きていた。
あらゆる病気や不都合を魔法で解決し、他国からの政治的圧力すら、まあちょっとそよ風くらいに捉えるロマネストの夏。
研究気質の魔法使い達は規則的な生活を良しとし、夏になると皆一斉に全ての仕事を放棄し、休暇を満喫した。
学生も例外では無い。
あと一週間で夏の長期休暇に入るとあって、皆浮き足立っていた。
夏の日差しを照り返す波がちゃぷんちゃぷんと音を立ててウッドデッキを反芻する。
「まだやるんですのー?」
やる気の無い声でフィアナは親友に声をかけた。
「もうちょっとー!」
張りのある伸びやかな少女の声が返答する。
何を思ったのか親友はこの夏水泳に目覚め、全く泳げないというところから泳ぎを習得するのに夢中になっていた。
フィアナは軽くため息をつくと後方の気配を振り返りキッと睨みつける。
睨みつけられた男生徒の集団は怯み、距離は取るものの離れようとはしない。
皆この親友の泳ぐ姿を一目見ようと集まっているのだ。
親友──リリーは美しい紫がかった銀の髪を持つ有翼種という種族の少女で、あまりの美しさに初めて会った時にフィアナはまるで天使の憂いだわ、ととあるサーカスに展示されていたというかわいそうな少女の話を思い出した。
ところが当の本人は神秘性はどこへやら、希少性もあるというのに同じ有翼種の恋人と呑気に笑っている。
とにかくこの美しい少女の水着姿を一目見ようと男生徒たちは殺到したが、少々過保護のきらいのある親友の恋人ががっちり守りを固め、二日目には水着の上からウェットスーツを着せられていた。
しかし転んでもただでは起きないのが性……いや青少年というものである。
ウェットスーツって体の線が出てなんかちょっとイイよな、と連日男生徒達は詰めかけていた。
今日もちょっと上達した気がする!と自信満々で海から上がってきた親友──リリーを指導していた恋人がさりげなく自身の体で男生徒たちの目線を遮る。
「10秒顔がつけられるようになったの」
「10秒……」
「待っててね。すぐサメみたいに泳げるようになるから」
一体どこを目指しているのだろう。
恋人と和やかに喋るリリーは見目美しく、学年一の才女で運動能力も高い。
特に泳げなかったところで何も困る事はないと思うのだが。
「わたくしもサメほど早く泳げません。ほどほどで良いのです、ほどほどで」
フィアナはリリーを諭すと大判のタオルを広げ、男生徒たちの目からより姿を隠すよう努める。
背後から残念そうなため息が漏れ聞こえた。
「あ、見て。アリオンが来てる」
更衣室へ向かう途中、リリーはウッドデッキの側に顔を出した海性生物を指差す。
アリオンは精霊族の生物で、白イルカに似た姿だが胸びれの後ろからは半透明の魔法物質で出来ている。
「あぁ……そんなに近づいては」
無邪気に近づくリリーにアリオンはびゅっと口から水を吹きつけ、海中へ姿を消した。
「うう……ここ連日顔を合わせてるのにちっとも仲良くなれない」
「……野生生物の中でも警戒心が強い生き物ですから」
フィアナは言いながらタオルでリリーの顔を拭いた。
更衣室へ着替えに向かうリリー達を見送り、帰る途中の建屋の窓ガラスにフィアナの姿が映った。
腰より長く伸ばした赤銅色のストレートヘアは午後の日差しを受けていっそう輝く。
リリーが泳げない事を知った時、少しだけほっとした。
容姿も学力も運動能力も申し分ない彼女。
穏やかな性格で、家族にも、恋人にも恵まれ幸せそうだ。
対して自分は家族とわだかまりがあり、恋愛は正直よく分からない。
学力や運動能力はまあまあで、落ちこぼれではないが秀でているとも言い難い。
……比べる訳では無いが、少しだけ、羨ましい。
リリーに出来ない事を見つける度少しだけほっとして。
ほっとしてからそんな事を考える自分が嫌になる。
自分にとって誇れる事はこの美しい髪色くらい。
必死で取り繕っている外面だけで、全てが波にとらわれて消えていく砂の城のようだ。
フィアナはぎゅっと深く目を瞑り過ぎった気持ちを振り払い、校舎に戻った。
お読みいただきありがとうございます。
1話3000字前後の不定期投稿になると思います。