18.大海洋を泳いで渡る
あまり眠れなかった。
……ということは特になく、ものすごくよく寝た。
フィアナは軽くのびをすると起き上がった。
リリーはごめんね、お布団明日には出来ると思うんだけど、と申し訳なさそうに言っていたが……半日で寝起きできる家屋とトイレと簡易風呂まで作って何を申し訳なさそうにする事があるというのだ。
遭難したにもかかわらず、設備が万全すぎて軽いバカンス状態だ。
日が昇ると辺り一帯が満潮で水没し、家屋は船のように二階部分を水上に残している。
フィアナは人魚の様相に戻り、起きがけ海に飛び込んだ。
海域は澄んでいて泳ぎやすい。
海に潜るフィアナに気がついてアリオンがフィアナに並永した。
「早い話遭難した」
腕を組んで断言するヴィントに、困り顔で頬に手を当ててリリーが現状を説明する。
「乗ってた潜水艦はロストしちゃったみたい。追えなくなる前に転移魔法で持ち出せたのはほんの少し」
追ってヴィントが言う。
「地図と少しの非常食、潜水艦から出る前に救難信号は出しておいたが……」
フィアナは頭に手を当てた。
時期は絶賛夏期休暇。
ここロマネストの人間が休暇中に仕事なんてするわけ無い。
保安官も楽しい休暇を満喫しているところだろう。
「……アルドラとミュシャに連絡がいったはずだが、彼らは船を持っている訳ではないしな」
通報したところで救助は絶望的というわけだ。
ヴィントは続ける。
「収納魔法でしまっていたものが引き出せない所をみるに学校があるロマネスト本島から距離があるんだろう。地図にあるここかこの離れ小島だとして、」
ヴィントが指で指し示す島二つをリリーとフィアナは見つめた。
「こっちなら寝ずに泳いで四日、こっちなら八日といったところだろう」
寝ずに。
泳ぎが得意な人魚族のフィアナですらやりたくない。
「船を作れよ、船を。家作れんなら船くらい作れるだろ」
「そうだけど、拠点を離れるなら充分な食料と水がないと──って、行っちゃった」
後ろからオルフェは言うだけ言うとリリーの話の途中で去っていってしまった。
ヴィントは肩をすくめると、
「とりあえず、食料を充填させる、救助を待ちながら船を作る、当面はその目標でいこう」
と話を締めた。
リリーはフィアナに寒くない?何か困ってる事はある?と気遣う。
「いいえ、あの……それよりも、助けにきてくださって、あの……ありがとうございました……」
まだ助けに来てもらった事に対してお礼が言えてなかった。
リリーはふるふると首を横に振る。
「ううん、追いかけて迷惑だったかな?ってちょっと心配してた」
でも、良かった。とリリーは照れくさそうに笑った。
良かった、には万感こもっている気がして、フィアナは胸が熱くなる。
「フィアナさんも、進路に困ったらエライユに来れば良い」
穏やかにそう言うヴィントにフィアナは目を丸くした。
「惑星エライユに?」
リリーとヴィントの故郷だという、遠い遠い星。
「行く先々で女口説いてんじゃねーよ!」
突然オルフェの声が降ってきてリリーとフィアナは顔を見合わせる。
「ど、どこで喋ってるんですの……?」
「屋根だろう」
ヴィントは呆れたように言う。
顔を合わせたくないのか、オルフェは屋根に腰を落ち着けたようだ。
「おかしな言い方をするな、他意はない。選択肢は沢山あっても良いだろう」
多分、フィアナの一連の行動の元凶が進路に悩んでのことだと踏んで慮ってくれているのだろう。
「大体、お前だってエライユに危険がないと分かっていたから子供たちを何度も連れてきたんだろう」
子供?
「オルフェはね、身寄りのない子供をふたり面倒見てるんだよ」
リリーの補足にフィアナは口元に手を当てた。
「……あの人、良い人なんですの?悪い人なんですの?」
うぅーん、とリリーは腕を組んで悩ましげな声を上げ、天井と口喧嘩するヴィントを見つめた。
「それは難しい問題だねえ」
難しい問題。
他にもある。
それはフィアナは遭難に関しては殆ど無知で、何の役にも立たない、という事だ。
フィアナはひと通り泳ぐと建屋に戻った。
「無から有を作り出すのは難しい。でも、ちょっとあれば大丈夫。魔法で増殖はできるからね」
リリーはそう言いながら手持ちの非常食を増やすのと、糸を紡ぎ紡いだ糸で大きな布を作ったりする作業を同時に進行していた。
……本当に何でもできる人だ。
「わたくし、掃除……」
言いかけてフィアナは固まった。
生まれてこのかた掃除なんてした事がない。
「掃除はヴィントがしてくれてるから大丈夫だよ」
にこりと笑って相槌を打つリリーの向かいに座った。
「……何かわたくしも、手伝える事はありますか?」
「じゃあ、綿ほぐしてここに入れてもらって良い?」
どこから調達してきたのか綿花がある。
ほぐして器に入れ、増殖の魔法をかけるようだ。
それなら自分にもできる、と思い直し、気合を入れて綿をちぎる。
「あら?何かここに黒い……」
汚れかと思ったものがもそりと動いた。
「ひっ!」
潜んでいた塵くらい小さな虫が飛んで逃げた。
「あっ!?虫がいた!?ごめんね……フィアナさん大丈夫?」
リリーは慌ててフィアナの手を取る。
もう虫はいないし、騒ぐほど大きな虫でもなかった。
作業に戻ろうとするも、また虫がいるのではと勇気が出ない。
「わたくし……わたくしちょっと頭を冷やしてきますわ!!」
その場から走って逃げ出し、フィアナはどぼんと海に飛び込んだ。
てめえふざけんな!と海際で釣りをしていたオルフェに怒鳴られる。
あまり協力的ではないオルフェですら釣りをして貢献しているのに、情けなさすぎる。
「わたくし、わたくしは──……」
ひめさま、どしたの?泳ご、泳ご?とアリオンがすぐに隣にやってくる。
「役立たずにも程がありますわ……」
──……ひめさま、貝取る?有翼種も獣人も、貝食べるよ?
獣人。
フィアナははっとする。
オルフェの故郷・ダウンジールは剣と魔法に優れた獣人の惑星なのだ。
皆獣の様相をしていて、人はほぼ住んでいないという。
にもかかわらず、オルフェ自身には獣人らしい外見の特徴は見当たらなかった。
アリオンは精霊族としての優れた感覚で、オルフェの種族を感じ取ったのだろうか。
王族……帰りたがらない故郷……渇望する、力。
オルフェにも色々あるのだろう。
聞いてみたいが、きっと自分には話してくれない。
フィアナは仰向けで目を閉じ、ゆっくり深度を下げていった。
そして頭を振って考えを追い出し、貝の採取に気持ちを切り替えた。