17.ひとの心は難しい
ぴしゃんぴしゃんと波が打ち寄せ、フィアナの顔を濡らす。
青い海、青い空、白い雲。
この世は美しく、とても平和だ。
「わたくし、浅瀬を仰向けで漂うのが好きだったのかもしれません……」
ぼんやりと遠浅の海で人魚の様相のまま仰向けで海に浮かぶフィアナは呟いた。
あー?と横でオルフェの口から生気のない返事のようなため息のようなよく分からない相槌が漏れた。
結局船が耐えきれず、四人で海に飛び出すも大型海獣が怖く身が竦むフィアナ、やはり体が水圧に耐えられないようで動きを取る前に自身の保護でいっぱいいっぱいになるオルフェと圧倒的不利な中、ついてきていたのかアリオンが飛び出した。
アリオンは白イルカのような姿の精霊に近い海獣で、愛くるしい姿だがとにかく性格が獰猛で、己のテリトリーを荒らされたと思ったのか怒り狂って魔法を連発した。
海に水柱が立つほどクラーケンを仕留めるつもりらしい大型魔法の連発、フィアナもリリーもヴィントもオルフェをかばいながらとにかく巻き込まれないよう必死で逃げ回った。
もはやクラーケンの問題ではない。
アリオンの苛烈さの問題だ。
必死で海上を目指し…………
気がついたら海は穏やかで、クラーケンは息絶えていて、フィアナは魔力がすっからかんで海に横たわるしかなかった。
さすがに申し訳ないと思ったのか、オルフェの事はアリオンが背に乗せて運んだ。
波に身を任せてやる気なくぴしゃぴしゃしているといつのまにか岸に打ち上げられ、フィアナは砂浜に体が乗った。
きゅーう、と愛らしい鳴き声をあげてアリオンも隣に並ぶ。
「あ?こいつ大丈夫なのかよ……」
「ああ、アリオンは砂浴びをするくらい陸地が平気なんです。気にしなくて大丈夫ですわ」
マジかよ、こいつらそのうち陸地も支配するぞとオルフェが呟く。
抗議なのか単に降りて欲しかったのかアリオンはびっちびっちと尾でオルフェを叩き落とした。
「フィアナさん、オルフェ、簡易だけど家ができたから休憩しよ?」
リリーが波打ち際に駆け寄ってきた。
一体全体本当にどんな体力と魔力なのか、リリーとヴィントは陸地に着くなり、とりあえず休める場所を作らないと、とトンカン建築に入ってしまった。
生きる力が強すぎる。
簡易って何だよ……とオルフェが険しい顔で言った。
何か木造で二階建ての立派な建築物が見える、蜃気楼でなければ。
「えっ、あっ、トイレは水洗だよ?」
リリーが慌てて言い、簡易でもそこそこ設備はあると主張した。
違う、そうじゃない。
じゃあ、先行ってるね、と軽やかにかけていくリリーを見て本当にどこでもやっていけそうな人ですわ、とフィアナは思った。
──そんなこんなで、四人は遭難したのだった。
はークソがとぶちぶち悪態をつきながらオルフェは立ち上がって靴に入り込んだ海水と砂を抜き、雑に履き直す。
現実逃避しても仕方がない。
フィアナもゆるゆると体を起こすと人間の姿になり二本の足で砂地に立った。
すでに歩き始めているオルフェに続く。
「あっ……」
疲れからか砂に足を取られ、フィアナは転びそうになる。
「……産まれたてかよ」
オルフェに二の腕のあたりを強い力で支えられ、何とか体制を立て直す。
「……遭難したショックで。歩き方を忘れてしまって」
恥ずかしくて何だかよく分からない言い訳をしてしまう。
そのうち泡になって消えちまうぞ、とこれまたよく分からない返事が返ってきた。
……泡になって消えられたら、痛みもなくて良いのだろう。
進むのも戻るのも立ち止まる事でさえも痛いのに。
だけど、今は。
オルフェに腕を引かれたままフィアナは砂浜を歩いた。
ついさっき遭難したとは思えない立派な建屋の前でリリーとヴィントが焚き火をしている。
ご飯にしよう?と提案するリリーの横にフィアナは座った。
「こ、これ…………は、もしかして……」
「クラーケンの足だよ」
「はぁ!?毒あんだろそれ!」
くってかかるオルフェにリリーは目を丸くして答える。
「焼けば大丈夫だと思うけど……」
「ンな雑な解毒があるか」
リリーやヴィントの有翼種は毒が効きづらいので鈍感なのだろう。
「人魚族は毒類は効きませんわ、あとこの人にも毒が、」
どくが、と言いかけてフィアナはいやあああ!と絶叫し、リリーの膝に顔を埋めた。
「うるせえ耳元で叫ぶんじゃねえ」
「いったいフィアナさんに何をしたの、こんなに取り乱すなんて……」
「……何もしてねーよ」
もう足あげない!とプンプンするリリーにフィアナは膝元でもごもご言った。
「に、に、に、人魚族に伝わる解毒薬をあげました、の……た、耐性がついたはず、ですわ……」
あ゛?とオルフェ、そういえば何か宝物庫で毒を浴びた気もしないでもないがいつの間にか治っている。
表情を変えず、極めて冷静を保っていたヴィントだが脳内で考えを巡らせた。
人魚族の解毒薬といえば血肉であったはずだ。
どうやって摂取したんだ……?
「お前、何も覚えてないのか……?」
できるだけフィアナを刺激しないようにヴィントは小声でオルフェに聞く。
知らねえ、と本当に何も知らなさそうなオルフェ、リリーの膝元で悶絶するフィアナ、確実に何か起きているが聞き出せる状況でもない。
ヴィントは頭を抱え……
「つべこべ言わずに食え!」
オルフェの口にクラーケン串を押し込んだ。
「あっダメ!ダメって言ったのに!ヴィントのいじわる!美味しい!」
リリーは怒りながらやけ食いした。
「わ、わたくしも食べますわ!」
リリーの膝元から復活したフィアナも串に齧り付く。
それぞれ思惑はあったが、とにかくおなかが空いていた。
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ぱちりぱちりと音を立てて燃える焚き火を見つめてリリーとフィアナは横並びに座っていた。
あたりはすっかり夜で暗いが、満月が海面を反射して光を作っている。
「わたくし…………あの人のことが、好きになってしまったんですの」
突然の告白にリリーは驚いてフィアナの横顔を見つめた。
「あ、あのって、あのって、あの人……?」
「ええ、吊り橋効果ですわ」
「つ、吊り橋」
「日常とは違う体験を共にしたせいで、恋心と錯覚してしまったんですの……」
そう言うとフィアナは立てた膝に額を埋めた。
リリーは何て言おうか必死に考える。
あんな人やめときなよ!何か上から目線だなあ……
そういうこともあるよね!どういうこと?
応援?応援……できる……?
「リリーさんはどうしてあの人のことが嫌いなんですの?」
「えっ!」
急に話の方向性が自分に向かってきてリリーは浮かんだ考えをとりあえず隅に押しやる。
「その、昔……あの人、友達にひどいことを言ったの」
まあ、と深刻そうな顔つきになるフィアナに、でもね!?とリリーは憤って続ける。
「ヴィントったら、あいつは本当にしょうがないな〜みたいな感じだし、友達ときたら『また遊びにきてね〜!』って感じで……」
「あ、あら……」
「私、私だけ、なんか、こう……」
リリーは言い淀んで、唇を尖らせる。
「ひとの心って、簡単にはいかないんですのね……」
本当に、とリリーは同意して、波打ち際に佇むヴィントと少し距離を空けて隣に立つオルフェを見た。
一体何の話をしているのだろう。
「少しは仲良く、なれたのかもしれませんわね?」
フィアナが言い終わるか終わらないかのタイミングでオルフェが思いっきりヴィントの尻のあたりを蹴り飛ばした。
そのまま殴り合いの喧嘩に発展したので、
「ぜ、ぜんぜんダメだった!」
とリリーは言いフィアナと慌てて止めに入った。