11.兄弟
この、落ち着かなさは何だろう。
オルフェを伴ってディ・イ・タミラに帰ってきたからだろうか。
住み慣れた王城だというのにまるで親しみがない知らない場所に来てしまったような落ち着かなさがある。
「お姉さま、おもどりですか」
「ロシャン、ただいま帰りましたわ」
柔らかな金髪の弟は三歳になったばかりで、幼さの残る顔立ちが愛らしい。
ロシャンはぴんと背筋を伸ばし、張りのある大声で言った。
「はるばるロマネストからの、ご帰還おつかれさまでした。健やかにお過ごしとのこと、お喜びもうしあげますっ!」
「ロ、ロシャン、ロシャン」
あまりに張り切りすぎて所々声が裏返っている。
挨拶は立派だが、三歳が姉にする挨拶には少し相応しくない。
フィアナは慌てて声をかける。
「お母さまが伏せている合間もしっかりしていて偉いですわね……後でねえさまと遊びましょうか」
「お勉強がありますので……」
明らかに落ち込んだ表情で下を向くロシャンにフィアナは優しく頭を撫でた。
「では後でねえさまと一緒に勉強しましょうね」
「はい!」
乳母と一緒に退室していく弟をフィアナは複雑な気持ちで見送る。
三歳にしては随分と励んでいるようで……すこし周囲に忠告しておきたいものの、果たして出来が悪いと言われている自分の意見がどこまで通じるものか。
「あれお前の弟か」
「ひゃ!?」
いつの間にか後ろにオルフェが立っていた。
「い、いきなり話しかけないでください!」
「……人が多いな」
「王城ですから、それなりの警備はあります」
オルフェに答えながらフィアナは城内のヒトの多さに思案する。
元より警備の兵など人魚族の出入りはそれなりにあるが、こんなに他の種族が城に入っているのは初めて見た。
この、落ち着かなさはヒトの多さからくるものだろうか。
「……宝物庫から回ってみましょうか。何かあるとすればそこです」
「……何だこれ?」
オルフェは思わず呟いた。
宝物庫はまばゆいばかりの金銀財宝に溢れている……と思いきや、床も並べられた宝物も上品に整えられている。
その上入り口から入ってすぐに展示されていたのは黒や鈍色の地味な石だ。
「おとぎ話じゃないんですから、床を埋め尽くす財宝とかはありませんわよ」
冷たい目線で睨めつけるフィアナに考えを見透かされた気がしてオルフェはそっぽを向いた。
「……これは海底で産出される鉱石です。電動機など機械製品に用いられるので重宝されています」
説明しながらオルフェの腕を引き、フィアナは小声で忠告した。
「普通にして下さい。怪しまれます。奥です」
入り口にいる警備に怪しまれないよう説明しながら奥に進む。
美術家の彫刻、生活に使われていた古い調度品、伝説の海獣を屠ったとされる槍……
「いやでけーよ」
「海獣も巨大ですから……射出して使います。人魚族の多くは下半身こそ泳ぎに特化して鍛えられていますが、上半身は魔力に頼り切りで──……」
「いた。出来損ないだ」
「帰ってきてんじゃん。挨拶しろよ」
説明の途中で声をかけられ、フィアナははーっと深いため息をついた。
「ただいま戻りました、ストレラお兄さま、ケイラお兄さま」
人魚族式の挨拶で頭を下げ、フィアナは二人の兄に挨拶した。
「お前何だよあの成績?ホント何やってもダメだなー」
「どうすんだよ、ディ・イ・タミラにも居場所無いのに。ロマネストでも落ちこぼれじゃん」
ぐっと胃のあたりがむかむかするのを感じる。
昔から兄二人とは折り合いが悪いのだ。
「別に落ちこぼれという訳ではありません。これからですわ」
これから、だって!二人の兄は声を上げてげらげらと笑った。
「二本足でやる事やるのに必死なんだろ」
「二本足って……」
フィアナは怪訝な顔で訝しみ──つまり、人間の様相で性交しているという暗喩だ。
頬がかっと熱くなり言い返そうとしたが、そちらの知識は兄たちが上だ。
言い返したところでもっといじられるだけだ。
「…………」
結局またいつものように、ただ押し黙るだけだ。
兄たちは気が済むまで、あるいはフィアナが泣き出すまでなじってストレス解消のはけ口にされるのだ。
限界まで首を下げて、なるべく兄たちが視界に入らないようにする。
「お前何だよ!」
「放せ!」
はっとフィアナが顔を上げるとオルフェがストレラの腕を掴んでいた。
「──成る程な、上半身がからっきし、ってのは本当らしい。この程度もふりほどけねぇのか」
「やめろ!放せ!」
ストレラは怒って乱暴に腕を振りほどこうとするものの全く振りほどけず顔を青くする。
やめろ!と声を上げたもう一人の兄ケイラも表情が凍りついた。
「魔法無効化の土魔法は初めてか?お前らご自慢の魔法も効かねえよ」
あ、あ、とただ呆然としていたフィアナも慌てて止めに入る。
ここで騒ぎを起こせば警備兵が入ってきてしまうだろう。
「お前も。ロマネストで何学んでんだよ。これが兄貴か?そこらの海藻よりひ弱だろ。気に食わねえなら殴ってやれ」
──殴る?
突き飛ばすようにストレラを振り払ったオルフェの赤い瞳がフィアナを見た。
射抜くような鋭い瞳と初めて目が合った気がする。
親友のリリーは何でも持っていた。
人形のような美しい容姿、誰にでも優しく、勉強も運動も何でもできた。
「あーあ。あたしってば才能なーい」
クラスメイトの嘆きに自分の心の声を口に出してしまったのかとフィアナはどきりとする。
「仕事もないかも。どうしよ」
「じゃ、じゃあエライユに就職する?自然は豊かだし……お店はなくて、ちょっとスリルだけど……」
リリーの提案にクラスメイトたちはわっと歓声を上げた。
お店ないのに何に就職するの?故郷紹介するのにちょっとスリルって言うの何?と盛り上がる。
いくらやっても成績は月並みだし、何者にもなれない。
みんなそう思っていた。
だけどそれでも、許されるような気がしていた。
オルフェの話を聞いた時、少しだけ魔が差したのだ。
アリオンの涙とは何だろう。
強大な力を持つアーティファクトだという噂は聞いてはいた。
オルフェはそれを手にした時、何者かになるのだろうか。
少しだけ、見てみたいと、そう。
フィアナはオルフェに近寄ると腕を取る。
「……わたくしは、あなたのように強くなれませんわ」
そう言うとオルフェの手のひらを両手で握り込んだ。
そして、兄たちに近づく。
何だよ、と怪訝な表情を見せる兄を、
「んやっ!」
右ストレートでぶん殴った。
な、何してんだよとノックアウトしたストレラに近づいたケイラも、
「んにゃっ!」
フィアナは思いっきりぶん殴った。
はあ、はあ、はあ、と肩で息をしながら、崩れ落ちた兄二人に向かって言う。
「わ、わ、わ、わたくし、ロマネスト、では、融通を学んでますの!──衛兵!衛兵!来て!!」
「……はあ?」
まさか本当に殴ると思っていなかったのか、オルフェは気の抜けた顔でフィアナを見る。
どうしました姫様!?やや!?王子!?一体何が!?と混乱気味に入ってきた警備兵にフィアナはオルフェを指差して説明した。
「この方がお兄さまを殴りました」
「あ゛?」
フィアナに握り込まれた拳を上げたままのオルフェは頓狂な声を上げた。
き、貴様、連行しろ!!とわらわらと数でやってきた衛兵にあっという間にオルフェは連行された。
続きます
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