第32話 昔話
ベームさんは、“懐かしい気持ちになっている”と話してくれた。
どこか遠い過去を見て、懐かしむような目をしている。あの頃が恋しいとか、そういった感情が直接俺の胸にも届いてきた。
「それは、エアリーのことですか」
「ああ、ちょうどこの子ぐらいの年だったかな……。まだ王様専属になる前の話だ。エアリーはその時から既に白魔術師として凄まじい実力を有していたらしくてな、よく冒険者や王国騎士団に誘われていたよ」
ほう……。それは初耳だ。にしても、クラリスの年と同じぐらいってことは、つまり十歳と少しって事だろ?やっぱり昔から凄かったんだな。
「でも、冒険者としても、王国騎士団としても活動してないって事は、つまり――」
「そう、全て断っていた。曰く“私の魔術は人を傷つけるものじゃない”と。
自分が回復、補助の役割として入れば確かに怪我人は減るだろう。しかし、その分相手はどうなる?負傷したはずの兵士がすぐに回復されてしまっては、いずれ攻め滅ぼされるというのは容易に想像がつくだろう。
死を恐れないというより、死ぬ事がない、足止めも効かない軍団になってしまえば、結果的に傷つく人が恐ろしく増えてしまう。それを危惧して、エアリーは誘いを全て断ったそうだ。十年と少ししか生きていないというのに、よくもまあ、そこまで考えたもんだよ」
以前ここでご飯を食べた時、少しだけ戦争の話が出た。その時のエアリーの様子を思い出すが、確かに暗いというか、思い詰めたような表情だったような気がする。争いが嫌い、戦いが嫌い、何より人が傷つくのが嫌いなのがはっきりと伝わった。
自らが戦いの場に赴いて魔術を使うと、そりゃ確かに結果的に怪我人が増えてしまうだろう。弟子を取ったのはきっと、自分が耐えられないから、代わりに助けてあげてほしいという気持ちがあったからだろうか。
「とにかく、エアリーは昔から人を笑顔にするのがとにかく好きだったんだ。悪戯っ子でもあったから、よくみんなを驚かせて笑っていたりしたが……。今思えば、本当に可愛らしく、そして愛おしい子だったよ」
「へぇ……。そんな過去があったんですね。というか、悪戯っ子だったんだ」
「そうだな……。天井に張り付く魔術を使って、知り合いを驚かせたりして遊んでいたよ」
その話はこの前聞いたな。あれマジでやってたんだ。
「まあそれでも、基本的にはずっと一人で机に向かっていたかな……」
勉強熱心なのも昔からなのか。俺には出来ない芸当だ。
「カヅキカヅキ、これ美味しかった!なんて飲み物?」
クラリスは、空になったグラスをこちらに見せてくる。もう飲み切ったのか、早いな。
「ベームさん、これはなんだったんですか?」
「ん?ああ、オレンジジュースだ」
まあ、想像通りではある。俺もちょっと飲みたかったな。俺の世界のオレンジジュースとどう違うのか気になるし。
「オレンジジュース?ベーム、これ美味しかった!ありがとう!」
「はっはっは!それは良かった!」
にしても、ベームさんはエアリーのことを小さい時から知っているだけあって、俺の知らない事を沢山教えてくれる。
あいつの事、正直もっと知っておきたい。話を聞いていると、何故かこう、少し不安になってくる。
別にとんでもないことをやらかしそうとか、周りに迷惑をかけるとか、そんなものじゃなく、もっとこう、根本的なところで抱えているものがあるような気がするからだ。
「エアリーはまだ戻りそうにないですし……。もし良かったら、あいつのこと、色々教えてもらえませんか」
「ん、ああ、構わんが……。俺が話せる範囲だけで話させてくれよ。聞かれたくないこととかあるだろうしな」
あいつの気持ちを考えたら、それは間違っていない。誰だって、自分の知らないところで自分の身の上話を全て語られるのはいい気がしないだろう。
「そこは大丈夫です。あいつに直接聞く事があれば、その時に聞きますから」
「ああ、そうしてやってくれ。話してくれるかはあいつ次第だがな」
そう言って、ベームさんはカウンターから水の入ったピッチャーと、コップ二つを器用に片手で持ち、改めて机の上に置いた。
そして、隣の机に備え付けられていた椅子を持ってきて、自分たちのいる机に加わるように座った。
「……まずは、あいつの生い立ちからだ。あいつが孤児だって事は知っているか」
「ええ、本人が教えてくれました」
「そうか。あいつの親、二人とも魔術師だったことは?」
「……それは初耳です」
「あいつが魔術の適正、感性が強い理由は恐らくそれが理由だ。魔粒子を効率良く吸収し、扱える体質は遺伝するとされているからな」
そうか、魔粒子は体内に自然吸収される素粒子。体質に大きく依存するのも納得だ。
「そして、二人は既に亡くなっている。生前の姿は俺も一度しか見た事がない」
「そうなんですか」
「そうだ。初めて会ったのは、俺の故郷が魔物の類に襲われていた時だ」
その目は少し虚で、過去辛い目にあってきたことを物語っていた。