羽月楓
月曜日の放課後。
教室を出た僕はそのまま帰らずに、隣の校舎にある図書室へと向かう。
頼んでいた本がそろそろ届く予定だからだ。
隣の校舎へと通じる渡り廊下に出た時、一組の男女が揉めているのが視界に入った。
「なあ、いいじゃんか。絶対に俺たちお似合いのカップルになれるぜ。お試しでも良いからさ、付き合おうよ」
「ごめんなさい。さっき言ったとおり、君とは付き合えない」
「でも羽月さん、付き合っている人いないんでしょ? もったいないじゃん!」
「それと君と付き合うかどうかは別の話だよ」
羽月さんと男子生徒が揉めている?
話している内容から察するに、羽月さんが男子生徒を振って、その後、男子生徒が諦め悪く羽月さんに迫っているというところだろうか?
羽月さんの表情は硬く、いかにも迷惑そうだ。
男子生徒もそれには気がついているのだろうけど、引くに引けず意固地になっているようだ。
どうしよう……?
かなり面倒な場面に出くわしてしまったぞ。
正直関わりたくはない。
だけど無視するのも気が引ける。
助けるべきなのだろうけど、どうやって?
頭の中であれこれ考えていると、男子生徒がこちらに気がついた。
「あ? 何見てんだよ?」
男子生徒が高圧的な態度でそう言った。
ああ、本当に嫌だ。関わりたくない。
関わりたくはないけれど……、仕方ない。腹を括ろう。
「そういうの、よくないと思うよ……」
こういう時、堂々とした態度で言えたら、かっこよかったのだろうけど、自分の口から出た言葉は、あまりにも弱々しいものだった。
人と関わるのが苦手な僕からしたら、目の前の男子生徒はかなり苦手な部類の人間だ。
「あ? 何言ってんだ? 聞こえねえよ、はっきりと言え!」
男子生徒の大声に気圧されそうになるのを堪える。
目の前には敵意向きだしの人間がいる。
逃げ出したい……。
だけど、それとはまた別の気持ちも自分の中で芽生えているのを感じる。
こいつからは逃げ出したくはないという気持ちが。
曲がりそうになる背筋をしっかりと伸ばして、目の前の相手を睨みつける。
たったそれだけのことで相手は怯んだ。
「なんなんだよお前……!? うぜえな、引っ込んでろよ!」
男子生徒が近づいてきて、こちらの胸ぐらを掴み、拳を振りあげる。
男子生徒のまさかの行動に驚く。あまりにも短絡的すぎる。
だけど、こっちだって黙って殴られる気はない。
胸ぐらを掴んでいる手を外そうと、ジタバタと暴れながら叫ぶ。
「明日には噂が広がるよ!」
「あ!?」
男子生徒は意味がわからないといった感じに顔を歪める。
「羽月さんに振られた後、無理矢理迫った挙句、止めに入ったやつを殴り飛ばしたっ、て噂がだよ」
僕が早口で言った言葉を聞いて、男子生徒の動きが止まる。
周りを見ると、僕らの他にも図書室に向かう途中の生徒が、何人か集まってきていた。
彼らの男子生徒を見る目は厳しい。
「……覚えてろよ、お前」
男子生徒は舌打ちすると、胸ぐらから手を離し、足早に去っていった。
他の人たちも、少し戸惑い気味に図書室のほうに歩いていく。
人がいなくなり、今この場所には、僕と羽月さんだけが残っている。
「それじゃ、僕もこれで……」
羽月さんと二人きりになってしまい、どうしようか焦った僕は、小さな声でそう言って、結果として逃げ出すことを選んだ。
こういう時、コミュ症な自分が心底うらめしい。
「あっ……、ちょっと待って……」
羽月さんに背を向けて歩いて行こうとする僕を、彼女のか細い声が引き止める。
振り向くと、いつもの明るい雰囲気の彼女はそこにいなくて、暗い顔をした羽月さんが、こちらを見ていた。
その顔を見た僕は、羽月さんがこちらに何かを訴えかけてきているように感じた。
「えっと……、あの」
羽月さんもなんで僕を呼び止めたのか分かっていないようで、次の言葉が上手くでてこないようだ。
羽月さんの強張った顔を見て。
そりゃ、そうかと思うと同時に、逃げ出そうとしていた、今の自分の行動を反省した。
羽月さんの目の前で今起きていたことを考えると、彼女がこうなってしまうのも無理はないと思った。
あの男子生徒、怒鳴り散らかすは、暴力をふるおうとするわ、好き放題していたし……。
たぶん羽月さんは今心細いのだろう。
「あの、大丈夫?」
「……え?」
僕の言葉に羽月さんが驚いた顔をする。
「怖かったと思うけど」
僕の精一杯の言葉に、羽月さんがふわりと微笑んだ。
「うん、ありがとう。巻き込んじゃってごめんね」
羽月さんの表情に少しずつ明るさが戻ってくる。
それを見て、なぜかわからないけど、僕まで嬉しくなってくる。
「さっきの奴のことはどうするの?」
感情的で暴力的。
あんなのに迫られていたんだ。羽月さんからしたら、これからのことに不安も大きいだろう。
「それについては、私の方でなんとかするよ。こういう時に頼れる人がいるんだ」
「それならいいんだけど」
なんとか解決できそうで安心した。
そのことにほっとしていると、羽月さんが真剣な顔になる。
「今日は本当にありがとう。君のおかげで助かりました」
そう言って羽月さんは頭を下げる。
普段とは違う真面目な表情をする羽月さんに、心臓がどきりとする。
こんな顔もできるんだ……。
羽月さんはすぐに真剣な顔を引っ込めると、笑みを浮かべて「名前、教えてもらえる?」と言った。
表情がころころと変わる人だな。
「小鳥遊涼です」
「小鳥遊くんね。……よし、覚えた! また今度話そうね! 私はこれから部活に行きます!」
手をぶんぶん振りながら、羽月さんが去っていく。
たしか彼女が所属している部活は手芸部だったけ?
から元気だとは思うけど、とりあえずは元気になったようで良かった。
羽月さんの姿が消えたところで、ほっと一息つく。
なかなかに大変な出来事だった。
気分転換にどこかに寄り道でもして帰ろうかな。