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あたしはいつもこの街で

作者: めい

 あたしはいつもこの街で。

 あたしはいつもこの城で。

 安っぽい麝香のパフュームとつんとした煙草の臭い、ママの形見の真っ赤なキャミソール・ドレスにピンヒールの靴を引っかけて、繰り返し、繰り返し、ワルツを踊っているのだから。


 * *


 あたしのママはこの界隈で有名な女王様。ネコのように気ままなママが男の人とちちくりあってできたのがあたし。失敗しちゃって、がママの口癖。あたしには名前がない。

 だからみんなは私をこう呼んだ。――お姫様。

 女王様の娘のお姫様。

 お城のBGMはママの喘ぎ声。でも腰をふってワルツを踊る女王様は二年前に死んだ。王様に殺された。

 あたしが十三の夏――暑い、蒸し暑い日だった。

(許して! あたしが悪かったの! あなた以外に……!)

(い、いや……やめてぇ!)

 絶叫と、静寂。

 クローゼットに隠れていたあたしが外に出た時、ママは汚れた床に横たわって血まみれになっていた。ドレスには今までなかった紅い花が咲いていて、それはそれはキレイだった。

 目に焼き付いて離れない紅い花。

 気づいたらあたしはママのドレスをはぎ取り自分のものにしていた。

 背中のチャックを上げて鏡の前でくるりとひとまわりする。

紅い花で染められたドレスは予想以上にキレイで、とても満足だった。

 そしてあたしはこの城の支配者になった。


  * *


 その日もあたしは王様の胸の下でせわしない息づかいと、喘ぎ声を繰り返してた。

 喘ぎ声はイミテーション。あたしはママみたいに上手く踊れない。ママのドレスを着ても、それらしく振る舞えない。だけどいっしょうけんめい踊れば踊るほど、王様は悦んでくれる。そして少しだけプレゼントをはずんでくれるから、あたしは大げさに腰をふる。

 そこまでは何もかも普段どおり。

 いつもと違う出来事が起きたのは、王様がいよいよ絶頂を迎えようっていう時だ。バタンと音を立ててカギを掛けてあったはずのドアが開く。そちらを向くと、よれよれのワイシャツを着た長身の男がひとりドアを背にしてあたしを見ていた。

 綺麗な男の人だ。今まさにあたしの上に乗っている王様とはぜんぜん違ってあたしは目を奪われる。

 ニコリと笑うと、彼は低くなめらかな声で歌うように言った。

(ごめんね。通らせてもらうよ)

 その響きはすごく柔らかであたしは思わず尋ねてしまう。

(あなたは?)

(悪いけど、説明している時間はないんだ。失礼)

 彼は部屋を突っ切ると窓の外へ身をすべらせた。直後だ。

 バタンと扉が開いて灰色の服を着た男たちが乱暴に乗り込んでくると、ベッドの上のあたしを一瞥した。

 彼らは胸ポケットに手を伸ばすと四角い手帳をちらりと覗かせる。そして男の後を追うように窓から消えていった。

 あたしの下では、すっかり萎えた王様が呆気にとられてそっちを見ていた。


 その四、五日後だったかな……。


 あたしの城のドアが叩かれた。まだ午前十一時ちょっと過ぎで眠りこけていたあたしはあくびをしながらカギを外した。入ってきたのはこのあいだの白いシャツの男だった。

 何か用? と低血圧のあたしは問う。

(先日はすまなかったね)

 男はそう言って、あまり反省していない様子で笑った。

 あたしは彼を見つめる。

 やっぱり綺麗だった。

 薄くて形のいい唇も、すっと伸びた高い鼻の先まで伸ばした黒くて繊細な髪も。それに、長い前髪の隙間から見える切れ長の瞳は、今まで見たことのない澄んだ色をしてる。

 あたしは彼を王子様と呼ぶことに決めた。

 王子様と、お姫様。することはひとつでしょ?

 でもそれを伝えると彼は形のいい唇をゆがめて笑った。

(子どもは趣味じゃないんだ)

 ――子ども! 

 あたしにそんなことを言った男は初めてだ。あたしはお姫様なのに! 王子様がお姫様の求愛を拒むなんて。

(試すくらいならいいじゃない)

(だって君、まだ子どもだろ?)

(子どもじゃないわ)

(子どもだよ)

(イヤ、イヤ)

 シャツの裾をつかんで駄々をこねるあたしを困り果てたように見下ろした後、彼はおもむろに天井を仰いだ。

(まいったなあ。でも、君には借りがあるし…どうしようか)

 ぽりぽりと頭をかき、考えるように黙り込む。

 あたしは彼の細く尖った顎先を見つめて答えを待った。するととつぜん彼があたしを見下ろし、そして何かとても良いことを思いついたとでもいうように満足げに笑う。

 彼は言った。

(君が嫌いってわけじゃないんだ。まあ、君と出会ってさほどの時が過ぎていないわけだから当然だけどね。それに君はとても可愛いと思うよ)

 その言葉にあたしは目を輝かせる。

(じゃあ試してくれるの?)

 だけど返ってきたのは望みどおりの答えじゃなかった。

(できない。それは、僕の思想と主義に反するから)

 セリフの最初しかあたしには理解できなかった。怒ってそれを伝えると彼はニコリと笑って答える。

(落ち着いて、最後まで聞いて。ねえ、僕は君の王子様になる変わりに先生になろうと思うんだ)

 先生。

 耳慣れない言葉だった。

 首をかしげたあたしを後目に彼は続ける。

(先生っていうのはね、教える人のことだよ)

 その言葉にあたしはむっと唇を尖らせた。

(あたし、もう大人だもん。いろいろ知ってるわ)

(分かってる。だから君も僕の先生になってくれるかな?)

 意外な言葉だった。あたしはもちろんうなずく。彼にものを教えるなんて、なんだかとても面白そうだったから。

 それで、週にいちど、彼は必ずあたしの城を訪れるようになった。彼はあたしの知らないことをたくさん教えてくれた。文字の読み方、書き方、物の価値とか、とにかくたくさん。

 あたしが彼に教えたことは、あたしの毎日だ。王様が何人いて、その王様たちはどんな人で、何をしたら悦ぶとか。彼はそれを知りたがるくせに、聞いた後は必ず悲しそうな顔をした。それから決まって自分の思想とかいうものについて話しはじめるのだ。

 彼はあたしを助けたいと言った。

 いや、君みたいな子どもたちを助けたい、だ。

 子どもじゃないわ、といつもの反論をすると彼はわずかに微笑んだ。

 そしてあたしの頭に手を置いてそっと撫でながら――自分自身に言い聞かせるように呟く。

(……君のためにも、僕は頑張るよ)

 彼は世の中を変えるための活動をしていると言っていた。

 灰色の服の男たちに追われているのもそのためだと。捕まったら殺されるから、普段は仲間の家を転々として暮らしているんだって。ある日あたしは彼にその活動をやめるように頼んだ。彼が殺されたら困ると思ったから。

 すると彼はくすぐったそうに笑って静かに首をふった。

(やめられないよ)

 あたしは彼の繊細な指を握って、どうしてと尋ねる。

(あなたが死んだらあたし困るわ)

(大丈夫、僕は死なないから)

 その答えに、なぜだがすごく腹が立った。あたしは頬を膨らませてきつい口調で言う。

(そんなの分からないじゃない)

 彼はちょっと目を見開き、あたしを見た。

(そうだね、無責任なこと言っちゃったね。……うん、ごめん)

 切れ長の瞳が天井を彷徨った。それが彼の考える時の癖だと、あたしはもう気づいていた。なぜそうするのかは分からない。だけど彼は気づけば空を見つめているのだ。そういう時、あたしはただ黙って彼の細い顎先を見つめることにしていた。

 やがて彼のまなざしが空から還ってくる。

 迷いのない澄んだ瞳があたしを見た。

(命を懸けても遂げる価値を持つものがあると君にもきっと分かる日が来るよ)

 繊細な指があたしの手をそっと握り返す。

(だからお姫様、僕がいつ死ぬかなんて分からないから、血のついた喪服なんて早く脱いで。新しい服に着替えて)

 彼はニコリと笑った。それはとても美しい笑顔で、あたしはあまりの眩しさに思わず目を細める。

(早く明日に踏み出すんだ)


 それが彼と話した最後だった。


 あたしは何も言えなくなった彼の前に立った。酷い死体だった。細い爪はぜんぶはがされていて、腕も足も変な形に曲がっていた。綺麗な顔も、殴られてぐちゃぐちゃ。

 彼は灰色の服を着た男たちに捕まって拷問され、仲間のもとに返された時はもうすでに虫の息だったという。

 死ぬ直前、彼はあたしに何か言い残したらしい。

 彼の仲間だという人が、泣きながらあたしに伝えてくれた。

(君はもうお姫様じゃない。分かるね?)

 それが、遺言だという。

 あたしは目を閉じた。

「……バカ」

 小さく呟く。

「王子様が死んじゃったらお姫様もいなくなるしかないじゃない」

 それからゆっくりと目を開けて腕を背中に伸ばした。ドレスのチャックを引くと、まわりから驚きの声が上がる。だけどあたしはそのままドレスを脱いで、下着だけの姿になった。そしてもう何も言わなくなった彼の上にドレスを投げる。

 死体を紅いドレスが覆い隠した。

「ねえ、これでいいよね」

 あたしは彼がするみたいに空を仰いだ。


 空はどこまでも青く澄みわたっている。


 彼が空を見つめ続けた理由が、なんとなく分かった気がした。

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