─第四章 無明─
降りだした雨の中、マサトの家に逃れた2人
呪いの物語 全4話
「はい、これでも飲んで」
マサトがインスタントのコーヒーを淹れてくれた。
喫茶店の珈琲とはまるで別物だが、これはこれで慣れ親しんだ味に心が落ち着く。
先程の竹藪での一件、後ろにいたマサトが竹藪に入った時に私は既に坂を下り始めていたらしく姿が見えない。けど悲鳴が聞こえたので慌てて追い掛け、坂を登りきったところで竹藪の出口で転んでいる私が見えた。例の影には気付かなかった…らしい。
「私を見て言ったのよ!ミサキちゃんって…」
少し興奮気味に切り出したが、ミサキちゃんと言い出したあたりで恐怖心が高ぶり、末尾は消え入りそうな声になった。
「今、解っている事をまとめると…」
少し考えてからマサトが言う。
「ミサキちゃんを追っているアイツはストーカーなんかの現実の人間じゃなく、影…幽霊なのかな?…何か人外の者で、ユミの事をミサキちゃんだと思い込んでいる様だ」
私が軽く頷く。
「それで現在使われていない電話番号からユミのスマホにメッセージを送ってきている」
あれ以降、メッセージは来ていない。
…と言うか電源を入れていない。
「竹藪では影ながら姿があり直接接触してきたが、最初にメッセージを送ってきた時は、家に着いたと言いながら姿を表してはいなかった…何故だろう?」
何故と言われても…そもそも幽霊に何故とか理由とか、そんなのあるのだろうか?考えてわかるものでもない様に思うのだが…
「実は前々から僕は幽霊の実態について仮説を立てていたんだが、今回の出来事でほぼ確信が持てたんだ」
…仮説?何の話?
「まず、幽霊とはおそらく空気中に漂う微弱な電気で普段我々の目に留まる事はない存在だ。電気は放電状態にならないと目視出来ないからね」
マサトが続ける。
「幽霊の話でよくある電灯がチカチカするだとか、テレビが点いたり消えたりだとか、どれも電気が関わる現象だろ?我々の思考も脳内の神経細胞が発する電気信号によって生じている。思考はできるが肉体を持たない幽霊が電気である可能性は高いと思わないかい?」
私の反応を待たずマサトが続ける。
「一方で古来より幽霊話に付き物なのが水だ。水辺に出る幽霊やタクシーから消えた幽霊のいた席が濡れていた等、幽霊話は水との関連性が強い。ここで先程の影の話に戻るが…」
ようやく本題の様だ。
「幽霊が電気だとするなら通電性の高い水との相性は良いと言える。幽霊が肉体に近い状態、つまり人間に目視できる状態になる時、そこには水が不可欠なんだと思う。昔から言う幽霊が透けるだとか触れないだとか言うのは幽霊の肉体が水だからだ。だから透けるし触れない。実体は無いからね。さっきの影が現れたのも雨が降る湿気の強い竹藪だった。アイツは漂う湿気を利用して肉体を作り出したんだと思う。携帯にメッセージを送ってきたのも電気ならば可能なんだよ」
「…で?」
「─つまりだね、今この部屋にはね、見えないだけで居るって事だよ、先程の影がね」
一気に寒気が走る。
何てことを言うんだ、マサトは。
わからないだけで、私の側に居るなんて!
「やめてよ!怖いよ、そんなの!」
「いやいや、今までもその状態だったわけだよ?生まれてからずっとだ。気付いていなかっただけだよ。君が震えて一晩明かした時、あの時もすぐ側にアイツは居たんだ。君と一夜を明かしたんだよ。気付いていなかっただけだ。今までと何も変わらないよ、何も変わらない。変わったのは君の意識だけだよ」
…マサトが気持ち悪い。異様な興奮状態で話し続けている。映画や漫画なんかで出てくるマッドサイエンティストの様に自分に酔っている。
「前々から見たいと思っていた。会いたいと思っていた。近隣の心霊スポットと呼ばれる所は全て回ったよ。けど一度も見れなかった、会えなかった。それが!今!ついに!偶然にもユミの周りに現れたんだ!
こんな幸福があるだろうか!幽霊が実在する証明!今まで誰も実証できなかった事象を今、僕が実証出来ているんだよ!」
オカルトマニアだとは思っていたが、これ程とは…。
おそらく…いや間違いなく、映画館でストーカーから逃れようとしたのは、この一連の出来事が幽霊の仕業だと証明するのが目的だったのだ。逆だったのだ。
もはやオカルトに取り憑かれている。
常軌を逸している。
「ユミのスマホの電源が落ちているなら僕のを使うといい!メッセージをくれ!会話をしよう!」
ブーッ!
マサトのスマホが揺れる。バイブ設定になっている様だ。
『お前はミサキちゃんじゃない』
マサトが笑う。
「ああ、ミサキちゃんを探しているんだったな。残念だけどミサキちゃんはここには居ないよ。この子はユミだ。お前に返信したかもしれないが、ミサキちゃんではないよ」
ブーッ!
『ミサキちゃんはどこ?』
「多分、残留思念である幽霊は強烈な思いだけを残しているんだろう。お前はミサキちゃんに会いたいという一心だけが呪いの様に残り、他の思いは消えているんだろうな」
ブーッ!
『ミサキちゃんはどこ?』
「僕の思う結論から言うとミサキちゃんは、きっともうこの世に居ないよ」
ブーッ!
『ミサキちゃんはどこ?』
幽霊との会話に夢中になっているマサトを置いて私はアパートを出た。
ミサキちゃんを追い続けるあの幽霊への恐怖心が和らぎ、少しばかりの憐みを感じながら駅へと歩を進める。
もう2度とここに来る事はないだろう。
「気付かないだけで身の回りに居る」
この呪いの言葉を植え付けられた絶望からか、それとも喪失の悲しみなのか、涙が頬をつたう。
三様の呪いが渦巻き勢いを増した雨の中、痛みに耐えながら帰り道を急いだ。