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その十五 入院

 飾り気が全くない白い部屋だ。広さは3メータ四方くらいでそれほど広くない。壁の一方には広い窓がありカーテンが掛かって柔らかな日差しが差し込んでいる。エアコンが効いているのか暑くも寒くもない。窓の反対側には引き戸があり、閉まっている。部屋にはベッドがひとつだけだ。


 僕の身体には電極とかケーブルがいっぱい付いておりかたわらの機械が規則正しい音を立てていた。

 ドラマとかで見た事のある医療機械や、独特の匂いでここが病院だと判る。首を持ち上げるとイスに腰掛けスマホを見ている捺稀さんが目に入った。

 僕の動きに気がついたのか捺稀さんは僕の方を向く。


「あ、気がついた。良かったー。心配したんだよー」


 不安を貼り付けた顔が安心の笑顔で塗り替えられていく。目が赤く充血しているのが判る。僕はまだぼうっとしていて、何が起こったか混乱していた。その頃になってやっと直前の事を思い出していた。


「ああそうか、ドアから落ちたんだ…… 捺稀さんは大丈夫なの? 怪我とかしてない? うっ」


 あわてて身体を起こそうとして右肩に激痛が走る。それに左腕がうまく動かない。見ると左腕は白い布の塊で固定されており、すぐにこれはギプスだと判った。反対側の腕には点滴の針が固定されている。


「無理に動かないで。肩が脱臼してて、手首も骨折してるから。目が覚めてほんとに良かった。すごく心配したんだから。わたしは大丈夫。ちょっと打ち身があるだけ。真仁くんがクッションになってくれたから怪我もしてない。本当にごめんね。わたしのせいで……」


 返事をしながら横たわる僕の横に置いてあったスイッチを押した。

 少し間があって、頭の上のスピーカーから雑音の乗った声が聞こえてくる。


「どうしました?」

「彼が、気がつきました」


 捺稀さんが答えると雑音が消えた。

 パタパタという音とドアが開く音がして看護師が飛び込んできた。その後、すぐに担当を名乗る医師がやってきて、僕の手足を触ったり、質問したりされた。


「見たところ頭も脊椎も大丈夫そうですね。CTでも問題は見られませんでした。ただ、24時間は様子を見なければなりませんが、ひと安心です」


 医者の予想では落ちた場所が良かった。雨が降って乾ききっていない土の地面だったので衝撃を吸収したのだろうとの事だ。


 母さんが部屋に早足に入ってくる。


「良かったー。目を覚まさなかったらと、すごく心配したわ」


 不安気な顔に、目に涙が浮かんでいるのが判る。化粧も崩れている。本当に心配してくれたんだ。話している内に穏やかな表情になってくれた。と思ったら突然捺稀さんに向かって怒鳴り出した。


「あなたね、真仁に怪我をさせたのは。あなたが勝手に怪我をするのは構わないけど、真仁を巻き込むのはやめなさい。もう付き合わないで」

「あら、聞き捨てならないわね。それではうちの娘が全て悪いみたいではないですか。もちろん、うちの娘に責任の一端がないとは言いませんが、東雲くんももう自分の意志がある歳ですから。一方的物言いも彼のためによろしくないでしょう」


 振り向くと捺稀さんのお母さんが腕を組んで立っていた。


「あ、あ、あなたはこの子の母親ね。母親がこんなだからあんな子になるのね」

「その言葉は聞かなかった事にしてあげるわ。とにかく場所を変えましょう。子供たちに聞かせたくない話もありますからね」


 そう言った瞳にはただならぬ力があった。その迫力に母さんは息を飲んで後を付いて病室を出て行った。


「捺稀さんのお母さん、怖いよ」

「うん。母さんが本気になるとわたし何も反論できなくなるよ」

「うちの母さん大丈夫かな。捺稀さんも後でしかられるんじゃないの?」

「真仁くんのお母さんは大丈夫だよ。基本的にわたしに責任があるからね。わたしのことは……、どうかしら、わたし本気で反省しているの。だって、この事故は完全にわたしの不注意だから。本当にごめんなさいね」


 捺稀さんは俯いて僕の腕のギプスにおでこを軽くコツンと当てる。


「いいよ、捺稀さんが怪我をしなかった事が僕にとって一番だから」

「ありがとうね。真仁くんほんとにいい人ね」


 いい人か…… その言葉に心がちくりとする。


「わたしのことは、理由を説明できて結果を受け入れている時には母さんにしかられた事ないから。厳しい顔で『判っているようね』と言われてお終い。同じ事を二度繰り返すと厳しい罰が待っているけどね」


 信じられない。うちの母さんと全く違う。家庭によってそれぞれとは言うけどこんなに違うんだと、ショックを受けた。


 結局、戻ってきた母さんはあれ以上は特に何も言わず、意外にも捺稀さんとも付き合うなと言い出す事もなかった。後で聞いた話では、入院治療費のいっさいと、捺稀さんには厳重に注意しておく事を約束してくれたとの事だった。それだけにしては母さんが大人しいのだが、それ以上は詳しく教えてくれなかった。


 結局3日の入院で済んだ。

 次の日には捺稀さんが面会に来てくれて、何かと世話を焼いてくれた。お昼過ぎには顔を出していたので、授業をさぼって来ていたのだろう。僕と言えば椅子に座り本を読む制服姿の捺稀さんをずっと眺めていた。見ていると僕の視線に気がつくのか、ふっと目を上げてこっちを見る。


 捺稀さんと目があうと思わず恥ずかしくて僕は視線を外してしまうのだが、彼女は唇をとがらせるだけで何も言わない。僕が視線を外すと、また本を読み始めるので僕はそれを眺めていた。


 ゆっくり流れていく時間、その時間がとても愛おしくて、時に僕はこの人を好きで堪らないのだと叫びそうになる自分を押さえていた。

 夕方になると堤野さんが顔を出し、捺稀さんとさぼった事でひと悶着あった。けど険悪になる事もなく最後には柔やかに会話していたので、堤野さんも病室だと言う事で気を使ってくれたのだろう。


 夕方には母さんが妹を連れて見舞いに来てくれた。


にいさん、聞いたわよ。馬鹿をやったんだって⁉」

「勝手だろ」


 むすっとして言い返すと減らず口で返された。


「それで入院していれば世話はないわ」


 妹はいつになく突っかかってくる。中学になる頃までは仲が良かったが、それ以来仲が悪いなんてこともなく、特に仲が良い訳でもない、日ごろはあまりかかわり合わないようにしている妹にしては珍しいことだ。


「さっきの人がにいさんの恋人? 綺麗な人だね」


 丁度帰るところの捺稀さんと入れ違いに来たので顔を見たらしい。


「いや、(まだ)友達だよ」


 心の声を押し殺し、事実だけを口に出した。


「へー。彼女を守って怪我をしたって聞いたので、見直してたのに。残念だねー」

沙夜さやも止めなさい。それくらいにしてあげたら」

「はーい。まあ、そのうち紹介して、仲が進展したらで良いからね」

「おい沙夜、ひと言多いぞ」


 最後まで減らず口を叩いて帰っていった。

 入院しているにしては慌ただしい一日だった。


 さらに、その日の夜の面会時間終了間際になって捺稀さんのお母さんが顔を出した。僕の母さんも帰った後だったので、気を使ったのかも知れない。


 椅子に座ると話しかけてきた。


「こんな時間に面会に来てごめんなさい。東雲くんとはじっくりと話をしたかったの」


 足を組み替える。香水の香りなのかふわりとした大人の色気が脳を直撃する。やばい、どきどきする。


「この度は捺稀が迷惑をかけてしまってご免なさいね。それから、捺稀を守ってくれてありがとう。捺稀はあんな子だから、付き合うのは大変だと思うけど、友達(﹅﹅)になってくれて感謝しています。あの娘はなかなか友達ができなくてね。好き勝手に振る舞うから皆すぐに離れていってしまうのよね」


 昔の事を思い出しているのか言葉を一旦切った。


「あなた、捺稀の事、好きでしょ」


 突然の質問に思考が停止する。答えていいのだろうかの自問と、彼女との約束が頭をよぎる。


「……え、あの」

「はっきり言って良いのよ。ここにあの娘はいないから」


 その言葉に返事を絞り出す。


「はい、好きです。女の子としてすごく意識しています」

「そうよね…… あの子も恋愛を考える歳になったのね…… 私も老ける訳だわ」


 捺稀さんのお母さんには以前、名前で呼ぶように言われていたので名前で呼びかける。


「そんなことないですよ。茉利香まりかさん、大人の女性で素敵です」


 最近読んだ本の中の科白を思い出して使ってみたが見抜かれていた。


「東雲くん、どこかで聞いたような科白だわよ。それでは捺稀を口説けないわよ?」

「はい、振られました。恋愛が判らないし、誰かを好きになった事もないし、友情を壊したくないからって。僕は告白を取り下げて、友人として付き合っていくと、もう告白なんてしないと約束しました」


 痛む胸を心の手で押さえながら告白していた。誰かに聞いて欲しかったんだ。


「あらあら、それは。捺稀ったら酷い子ね、東雲くんの人の良さにつけ込んで」


 茉利香さんは少し黙ってから思い出を語る風情で続けた。


「そうかあ、恋愛が判らないって? 私があの子の年頃は、もう捺稀を身ごもっていたのに、父親に似たのかしら。奥手だったものね」


 鼓動が跳ね上がる。僕らと同じ歳には茉利香さんは妊娠していたんだ。人の事だけどドキドキする。


「奥手だったんですか?」

「そうよ。でも、私の情熱溢れる押しに応えてくれたの。捺稀だって私の子だもの恋愛ができないって事ないはずよ」


 捺稀さんが好きな事には積極的なのは、茉利香さんに似たんだ。分野は違うけど似たもの親子なんだと痛感した。


「それでどうするの、あなた、大丈夫なの? 我慢できるの? 耐えられるの?」

「判りません。ただ、僕は彼女のそばにいたいです。そして、彼女を見ていたいです」

「そうなの? あなたも辛いわね。じゃあ捺稀から告白されるように頑張ってね。もちろん、私はあの子の母親として、捺稀には傷ついて欲しくないし、人を傷つけるような事もして欲しくない。でも、人と人がかかわると、時に誰かが傷ついてしまう事は起こることだし、その覚悟があるなら私は何も言わないわ。ただ、誰もが不幸になるような事だけは許さないわ」


 僕の瞳を覗き込むようにそう言った。不幸になる事が何なのかはっきり言わなかった。許されないとどうなるのかと疑問も湧くが、このお母さんなら単に脅しって事もなさそうだ。


 その時、僕の脳裏に昨日の階段を先に上っていく捺稀さんの姿が浮かび、見上げる視線と覗き込む先が心を掠めた。背中を冷や汗が伝う。はっきり言われなかったものの言葉の意味は感じ取れた。それは、僕を更に縛る鎖だった。


「判りました。心に留めておきます」

「ありがとう、話をして良かったわ。これからも捺稀と仲良くしてね」


 そういって、帰っていった。

 すごく疲れた。ほんの五分ほどだったけど、いままでの人生で一番疲れた五分だった。

 寝つけるまで、自問していた。人生ってうまくいかないってこと、人を好きになるって楽しい事ばかりじゃないんだって事を噛みしめていた。



 次の日は退院の日だ。頭に後遺症はなく、右肩の脱臼も無理に動かさなければ痛む事もなかった。左手首の骨折はギプスを取るまでひと月は掛かるとのことだ。それまでは不便を我慢するしかない。幸か不幸か左手なので不便なだけで生活に困る事はなかった。


 夕方に母さんが迎えに来てくれて、タクシーで家に戻った。途中捺稀さんから電話があった。退院の時間にこられなかった事を謝られたけど、授業に出ていたら当然なので、気持ちだけ受け取っておいた。

 言い訳によると、堤野さんに監視されていて途中抜けができなかったそうだ。

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