思ひ
朝早く娘から突然電話がかかってきた。
6時過ぎで、まだ外は真っ暗だった。
胸騒ぎがし、一気に眠気は吹っ飛び、スマホを耳に当てた。
か細い、しわがれた声で助けを求めてきた。
どうやら寝違えたらしく、首が全く回らず、少しでも動かすと激痛が走るらしい。
婿殿は自分で身支度をして出社できるものの、残された孫娘の世話がままならない。
その日、午前中は急ぎの仕事はなく、会議は午後からだったもので、なんとかなる。
とにもかくにも、これから駆けつけるんで、それからどうするか決めようということになった。
急いで朝ご飯を掻きいれ、シャワーをさっと浴びて、用を足す間もなく、なんとか7時過ぎには着きそうだ。
娘の家に着くと、上半身を硬直させ直立不動の娘の傍ら、膝につかまり立ちする孫娘の不安そうな顔がそこにあった。
『どうや?大丈夫か?』
と声をかけると…
「うん、ちょっとましになった。でも、なんにもできない!」
そうか、それでどないしよ?という話をしたら…
「お母さんに電話したら、なんとか仕事をずらして面倒みれそうだから連れておいでって…」
文京区の茗荷谷まで連れていくのはもちろんこの僕しかいない。
しゃがむことさえできない娘の指示にしたがって、必要なものをバッグに詰め込んでいく。ちょくちょくあっちの家には連れて行っているので、たいがいのものは揃っており、それほど大荷物にはならない。
僕の車で連れて行けば、そのまま職場に直行できるのだが、いかんせんチャイルドシートなんてものは積んでないんで、載せ換えるのは結構な作業だ。
安全性を確保するためにぎっしぎしに固定してあるもんで、それを取り外すことを考えるだけで億劫だ。
そこで、そのまま娘の車を僕が運転して、戻って自分の車に乗り換え出勤するのがベストということになり、そうなると時間の余裕はそれほどないということで出発を急いだ。
あぁ娘のところで用を足そうと思っていたが、まぁなんとか持ちそうだ。
首はまわらないが、なんとか会話はできそうなんで、少し話した。
『ひょっとしたらお前の結婚式以来ちゃうかなぁ…』
子どもや孫のことで、メールのやりとりや電話で話したりはしていたが、顔を合わすのは、ほんとに久しぶりのような気がする。
娘がネットでこっそり登録者だけに公開しているWebページの写真で最近の姿は見たりしていたが、なんとも不思議な気分だった。
少しでも早くと、都心は混むので、多少遠回りとはなるが、高速で新宿から池袋の方に回って茗荷谷に向かった。
そのとき、ふと昔一緒に聴いたロックバンドの歌が脳裏を駆け巡った。
♪ On your finger
Unknown ring …
On your tomorrow
Uknown future …♪
近くまで来たところで、娘がもうすぐ着くと電話を入れた。
それほど、鼓動が高まることはなかった。
やがてマンションの前に着くと、すでに娘と孫を心配してたたずむ姿があった。
懐かしい、かつてこのむさくるしい胸がときめいたこともあった姿がそこにあった。
♪ Remembering your smile
I've ever hugged it
Now I'm looking at you
without any words
As if I was seeing an old picture ♪
ベビーカーやバッグを車からおろして、対面した。
お互い、少し気恥ずかしい思いでの数年ぶりの再会だ。
孫娘をチャイルドシートから抱きかかえ…
そして、初孫を慈しむ、かつて愛した女に手渡した。
「ご苦労さま!後は任せておいて!」
♪ Impressed to see you again
Since I did not intend to come to this town again
How are you living, none of my interest
I just wanna ask you
Calm and happy? ♪
ここはクールな面持ちで、祖父としての威厳を精一杯装い…
かつて生活をともにした、ある意味、盟友と呼んでもいい、娘と孫娘を託せるだけのその存在を目の前に…
おもむろに,この今胸に込み上げてくる思いの丈をぶつけてみてしまった!
…
…
…
…
『すまん!うんこさしてくれへん?』
…
…
…
…
朝ご飯食ったあと家を飛び出たもんで、それほどやばくはないものの、出しときたかったもんで…
「あほか!そこらで野ぐそでもしとれ!もしくは、コンビニで借りてこい!」
うひゃぁ、相変わらずきっついのぉ~!
といった、届かぬ思い…
ショートムービー化した場合の希望キャスティング
主人公:伊原剛志
かつて愛した女:萬田久子
娘:中条あやみ