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3.謀りの仮面 6/9

 (しん)花妃(ファフェイ)は仮の部屋にいた。自室はまだ片付いていないのだろう。室内には花妃と海真かいしんがいて、何やら話していたらしい。

 珠蘭しゅらん劉帆りゅうほが着くなり、花妃は立ち上がった。


「呼び立ててごめんなさいね」

「いえ」


 珠蘭たちを出迎えようと沈花妃がこちらへ歩み寄るが――その拍子に、被帛(ひはく)が引っかかり、(つくえ)に飾っていた花がふわりと床に落ちた。


「あら――」


 珠蘭と花妃が同時に花を拾う。互いに一輪ずつ拾ったところで、花妃が聞いた。


「珠蘭。あなたが今拾った花の色は、何色?」


 問われ、じっと花を見る。

 しかし珠蘭の瞳には、その花弁も花茎もすべて枯緑色(クーリュー)に映っている。時間をかけて腕輪と見比べればわかるのかもしれないが時間がかかる上、精度も低い。

 どう答えたらよいかと悩んだ末、珠蘭は首を横に振った。


「枯緑色に見えます」

「……この花が、枯緑に?」

「私は色覚異常があります。私が持つ花も、花妃が持つ花も、どれも褪せた枯緑色をしています」


 もしも花妃がこの花を大事にしていたのなら、鮮やかな色で咲き誇るそれを枯緑と表現する珠蘭は疎まれるだろう。しかし勘に頼って紅や緑と嘘をつくよりは、正直に色覚のことを告げた方がよいと思ったのだ。


 珠蘭のこの決断は正しかったらしい。返答をしばし反芻していた沈花妃は、口元を柔らかに緩めて微笑んだ。


「海真。あなたの言う通りね――突然ごめんなさいね。海真からあなたの瞳について聞いたものだから試してみたかったの」


 花妃は、花を戻した後、椅子に腰掛ける。


「不思議な瞳をしているのね。色がわからないけれど、凄まじい記憶力を持っているなんて面白い子」

「花妃の役に立つと思って、こちらに連れてきました」


 海真は恭しく答えている。妹である珠蘭に接するときとは少しばかり違う表情をしていた。


「後宮では何があるかわかりません。謀りの園であっても信頼できる者がいれば違うでしょう」

「そうだったのね。史明ったら事務的な挨拶しかしないんですもの、珠蘭のことをもう少し教えてくれたらよかったのに」

「李史明は難しい一面がありますから。でも彼も花妃を案じているから、ここに珠蘭を連れてきたのですよ」

「そうねえ。史明も海真ぐらい素直だったら良いのに」


 招かれてきたはずが、珠蘭や劉帆を置いて、海真と花妃の二人で話し込んでいる。花妃も今までと違い、穏やかで柔和な態度だ。珠蘭を部屋に呼んだ時の冷たさとは異なる。


(……なんだろう、この微妙な空気)


 親しく話している二人を眺めていると置いてけぼりの気持ちになる。所在なげにしていると劉帆が密やかな声で言った。


「耐えろ。この二人が話し出すと長い」

「ええ……? 呼び出されたのに?」

「用なら最初に終えたやつだろう」


 となれば花の色を試したやつか。あれを試すために呼び出され、確かめ終わればこの置いてけぼりである。いまだ海真と花妃は楽しそうに談笑していた。

 海真の表情は、故郷でよく見た笑顔だ。再会してからは微笑んでいても何かの感情が凝り固まったようにぎこちないものだったが、花妃の前では自然に振る舞えるのかもしれない。


(不死帝のふりをするのも疲れるだろうし、沈花妃と話すことが兄様の癒しになるのかもしれない)


 海真は本当に楽しそうにしている。居心地の悪さはあるが、兄が幸せそうにしているのは良いことだ。


「珠蘭、少し外で待ってようか」


 海真と花妃の話がなかなか終わらぬとみて、劉帆が声をかけた。花妃がこちらに視線をやる。


「あら。気にしなくて良いのよ」

「いえいえ。今日は色々あって気も滅入っているでしょう、気心知れた者と言葉を交わして和んで頂ければ」


 恭しく一揖した後、劉帆が珠蘭の腕を引いた。この隙にと珠蘭も部屋を出る。



 呼び出されてきたはずがまったく何のために来たやら。部屋を出て一息つくと、周りに聞こえぬよう小さな声で劉帆が言った。


「沈花妃は変わっているから驚いただろう?」

「そりゃまあ」

「兄を取られたような気になったか?」


 珠蘭は目を剥いた。何を言うのか。しかしそれに近い気持ちはある。花妃と接している時の海真は柔らかな表情をしていた。

 どう答えようか迷っているうちに、劉帆が続けた。変わらずひそひそと周りに聞こえぬ声量で喋っている。


「沈花妃は、後宮で唯一、帝の渡りを拒否している」


 驚きに、喉が詰まりそうになった。


 後宮の妃の務めは、帝を満足させることである。不死帝は死を超越した存在であるから子を成す必要はない。しかし、子を成さぬといえど不死帝も欲を持つ。後宮は名家や豪族が権力を誇示する場であり、帝は妃にて身に余した欲を発散するものだと思っていた。

 その妃が渡御を拒否するとは、理解できない。


「本来は許されないことですよね?」

「そうだな。他の宮はいつでも受け入れる姿勢を取っているが瑪瑙宮だけは頑なだ。まあ、不死帝が夜半に後宮を訪ねたのはここ数年ないけども」


 不死帝がここ数年後宮を訪ねていない、というのは中の人が変わる制度も関係しているのだろう。兄が何年前から不死帝になったのかは知らないが、現在も渡りがないところを見るに、海真は誰かと(しとね)を共にすると考えていないようだ。

 兄に特別な感情を抱いているわけではないが、少しばかりほっとした。それでなくても命の危機がある立場で、情欲に溺れてしまえば危険が増す。海真の無事を願う心が安堵を生んでいた。


「しかしだ。瑪瑙宮の立場を考えると、そろそろ不死帝も動かなきゃいけないねえ」


 嘆息と共に劉帆が言う。


「後宮内での立場が低いのは不死帝の渡りを拒否していることが大きい。その状況が変われば他の宮からの当たりも変わるだろうに」


 後宮内の立場を思えばそうするべきであろうに、なぜ拒否するのか。

 河江が語った、沈花妃の秘密とやらが頭に浮かぶ。それはこの事柄に関係しているのだろうか。


 その時であった。廊下奥から足音が聞こえてくる。複数人の足音だ。何事かと身構えていると、水影すいえいを先頭に大勢がこちらにやってきた。

 水影は珠蘭の姿を見つけるなり指をさして大声をあげる。


「いたわ! あれが仮面を盗んだ犯人よ!」


 武装した兵が駆けてくる。珠蘭を捕らえようとしているらしい。

 この騒ぎは部屋の中にいた沈花妃や海真にも聞こえたようで二人は戸を開けてこちらを確認していた。


「何の騒ぎです?」


 花妃が聞くと、宮女や宦官たちは頭を低くする。水影もそれに倣いながら、小脇抱えていた箱をずいと差し出した。


「沈花妃。翡翠の仮面が見つかりました」


 それは間違いなく、花妃の部屋から消えた塗箱だ。水影が蓋を開けると、中には翡翠仮面が入っている。傷一つなく無事のようだ。


 水影は速やかに珠蘭を指さし、宮中に響き渡るような大声で告げる。


「こちらは、董珠蘭の部屋にございました。あたし、見ていたんです。花妃の部屋から塗箱を持ち出すところを」


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