3.謀りの仮面 3/9
勝手な掃除も板につき、今日も廊下をぴかぴかに磨き上げるぞと意気込んでいた時だった。厨の前を通った時、中にいた大柄の古参宮女の河江が顔を出した。
「あんた、ちょっとおいで」
河江は厨の仕事を主に請け負っている。ほとんど厨にいるので顔を合わせることは滅多にない。その上大柄で、声も太く大きいので迫力がある。
(何かしたかな……)
怖気づきながらも厨に入ると、河江は扉を閉めた。奥から甘い香りのするお茶を運んでくる。
「飲みな」
「え?」
「いいから。ずっと掃除ばかりしていたら疲れるだろう。余り物だけど飲めばいい」
河江は素っ気なくいいながらも、他宮女のように珠蘭を疎んじていなかった。向かいの椅子に腰掛け、肘をついて珠蘭をじいと眺める。
「あ、あの……いいんですか?」
疎んじられている珠蘭と接すれば、この河江も同じ目に合うかもしれない。それが恐ろしく出された茶に手をつけることができなかった。
「かまいやしないよ。あんたがここに馴染もうと掃除に精を入れてることはあたしがよく知ってる。いつもここの前を磨いているだろう。厨を預かる身として、それに礼を告げただけさ」
河江は小さく頷いて、茶に口をつけた。珠蘭も一口飲む。花のように甘い香りは、口中でも甘く香る。菓子のように甘い茶だ。
「甘くておいしい……」
「蜜糖を入れてあるんだ。沈花妃が好むからね。残り物だけど、あんたの口にあったならよかったよ」
瑪瑙宮にきて初めての優しさだ。甘いお茶が体に満ちて、涙腺が潤む。他人からの厚意がこんなに沁みるなんて、知らなかった。
涙ぐむ珠蘭に気づいたのか河江が笑った。
「今はね、ちょいと忙しい時期だから、あんたを構えたのさ」
「忙しい時期ですか?」
河江は頷いた。
「今度、翡翠宮で茶会が行われるんだよ。翡翠宮の伯花妃は、この後宮の序列一位だ。今回は不死帝を招いての大がかりなものになる。茶会は宮女を連れて、それぞれの宮の権威を示す場だからね、みんな大張り切りさ」
不死帝も来るとなれば、不死帝の仮面をつけた海真も来るのだろう。出来ることならば珠蘭も行ってみたいが、この調子では呼ばれないだろう。
「瑪瑙宮は今回は水影が主導だからね、随分と気合いを入れてるらしい。水影にすれば、ここで沈花妃に認められれば宮女長への道が開けると思っているんだろう」
「なるほど。だから水影は私に強く当たっていたんでしょうか?」
珠蘭に冷たい態度を取っていたのは日頃の鬱憤を晴らすための八つ当たりかと思われた。しかし珠蘭の発言に対し、河江の反応は渋い。
「どうだろねえ。でも、水影があんたに対して取る行動は良いものじゃない。新人いびりにしては粘っこいからね、何か理由があるのかもしれないよ」
水影が珠蘭を疎む理由はいまだはっきりとせず。瑠璃宮からきたことで彼女に疎まれているのならばよいのだが、別の理由があるのならそれを知りたい。
何にせよ、河江という他の宮女と言葉を交わせたことは珠蘭にとって大きな喜びだった。茶を飲み終えたところで深く頭を下げる。
「ありがとうございました。お茶、美味しかったです」
「また来るといいよ。こんなことしかしてやれないのが申し訳ないけどねえ」
厨を出ると、宮女がぱたぱたと廊下を駆けていった。反物を持っていたことから、茶会で着る襦裙を仕立てるのに忙しいのだろう。宮内の空気がひりついているのもそのためだ。
出来ることなら茶会までに沈花妃の信頼を得て、翡翠宮主催の茶会を見てみたいところだ。
何か方法はあるだろうかと考えながら、廊下掃除を再開した。
***