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3.謀りの仮面 2/9

 かくして珠蘭は瑪瑙宮の宮女となったのだが――三日経っても仕事を与えられることはなかった。

 かろうじて宮女部屋は与えてもらえたものの、瑪瑙宮のどこに行けども仕事は与えてもらえない。


「あら。またお飾りがいるわ」

「ほんとね。どこの田舎からきているのかしら」


 そして風当たりもよろしくない。何かした覚えもないまま、厄介者として扱われるようになってしまった。廊下を歩けば、他の宮女たちに指をさされ、笑われる。


「あれじゃあ沈花妃も、仕事させたくないでしょうね」

「他の宮にいけばいいのに」


 ぼそぼそと聞こえてくる陰口は、気にしないようにしているものの気が滅入る。


 仕事を与えられないからと座ってばかりいればただ飯食らいになってしまう。ないのであれば自分で探すだけ。今日は廊下の床を拭くと決めていた。


 そうして床を拭き上げていると、影がさした。また宮女が嫌がらせをしにきたのかと振り返れば、そこにいたのは(よう)劉帆(りゅうほ)だった。


「やあやあ妹御。随分と宮女の姿が似合っているようで」


 本人は飄々とした態度をとっていたが、珠蘭はというと内心大騒ぎである。後宮に、それも史明ではなく劉帆が来ているのだ。驚きに目を見開く珠蘭に対し、慌てたように劉帆が説明する。


「様子が気になって見に来たんだ。宦官のふりをしてね」


 周りには誰もいない、が気を遣って小声でひそひそと話していた。

 確かに今日は薄藍色の袍を着ている。史明が着ていたのは濃藍色の袍だった。濃淡は位を示すというから、史明よりも立場の低い宦官に扮しているのだろう。


「海真も来ている。今は沈花妃に謁見しているけどね」

「えっと……それは……」


 不死帝として、ということだろうか。まだ太陽も出ている頃からお渡りとは、複雑な気分である。中身が兄だとわかっているからなおさら。

 妙な想像をして顔をしかめる珠蘭に、劉帆は笑った。その耳に顔をよせて密やかな声で告げる。


「海真も宦官だよ。あ、それとも夜伽のことを考えたのかい? 安心していいよ。真っ昼間からはさすがにねえ」

「あ、安心って……」

「おや、そういう顔をしていただろう」


 珠蘭は頬を赤くしながらも、きつく睨んだ。その鋭いまなざしが届くかというと、からからと楽しそうに笑う劉帆にはいまいち届いていない。


「ご用件は?」

「君に調べてほしい事件があったからその話をしたかったんだけど――この状況では調査どころではなさそうだ」

「……はい」


 状況がよくないことは珠蘭も承知している。何が悪かったのか、宮女たちからの評価はよろしくない。沈花妃も珠蘭を遠ざけているように感じる。


「信頼を得るに越したことはないよ。特に後宮で生きるのならば、後ろ盾の一つはあった方がいい」


 劉帆の声は、いつもより、少し真剣なものだった。


「沈花妃の信頼を得なければ、この先何もできないと思った方がいい」

「信頼を得ると言われても方法が浮かびません」

「ううん、それは難しいねえ。急いたところでうまく転ぶものでもないし、寝ていれば好機は通り過ぎていく」


 具体案はないものの、信頼を得ることの重要さは珠蘭もひしひしと感じている。


 廊下の向こうから人影が現れた。海真だ。沈花妃との謁見は終わったのだろう。


「珠蘭。瑪瑙宮には慣れたかい?」

「残念ながら、あまり」


 この状況を海真も勘付いていたのだろう。特に驚きもせず「そうか」と低い声音で告げた。


「何か手伝えればいいんだけどな……俺も劉帆も、宦官に扮してこないといけないから」

「大丈夫です。手伝いはいりません。やれるだけやってみるので」


 その話が終わったところで、一人の宮女がやってきた。


「あら。仕事ももらえぬ宮女以下は、今度は宦官をたらしこもうとしているのかしらね」


 ずかずかとやってきた彼女は、ここに劉帆や海真がいることなどおかまいなしで告げる。ぴんと張った声は遠くの方まで聞こえそうだ。


 彼女の名前は水影(すいえい)と言う。年齢は珠蘭より上に見えるものの、瑪瑙宮の宮女内で威張り散らしていた。どうやら沈花妃の身支度をする際は必ず呼びつけられていることや、宮女長に可愛がられていることが、彼女の自意識を高めてしまったらしい。

 珠蘭は水影があまり得意でなかった。瑪瑙宮の宮女でも、特に悪意をぶつけてくる。わかりやすい嫌味にはじまり、珠蘭の足に棒を引っかけるだの、扉の上部に濡れ雑巾に挟んでおくだの、子供じみた嫌がらせばかりする。


 海真や劉帆がいるところで水影に会うのは、珠蘭にとって良いことではなかった。


「宦官は尽くすというものねえ。瑪瑙宮にいながら宦官に現を抜かすなんて浅ましいこと!」


 水影はこれみよがしにと大声で騒ぎ立てる。これには通りがかった宮女も足を止めてこちらを覗きこむほどだ。


「おやおや。瑪瑙宮の宮女は元気だねえ。特に口がよく回るようだ」


 劉帆がからからと笑って、水影の前に立つ。


「あらよく回るのは口だけじゃありませんのよ。あたしたちは、ちゃんと見ていますから。珠蘭が瑠璃宮侍中からの推薦でやってきたということ、少しでもおかしな態度を取ればすぐに追い出しますわ」

「なんだ、君は珠蘭が李史明の口利きで瑪瑙宮に来たことが気に入らないのか」

「こうして宦官と親しく喋っていることも、怪しいってもんじゃありませんか」

「ふむ。話を聞けば聞くほど、水影の言うことは正しいな。珠蘭がことさら怪しく思える」


 劉帆が味方してくれるのかと思いきや、言いくるめられて水影側に回ってしまった。少しは庇ってくれてもいいだろうに。

 しかし呆れている場合ではない。何とかこの場を収めないと。どうしたらいいかと考えているうちに、奥から人影が現れた。


「何しているんです」


 その声は瑪瑙宮の主、沈花妃のものだった。


「水影に海真、劉帆……そして珠蘭。ここに揃って何用です?」


 それぞれは頭を低くして、やって来る沈花妃を出迎えた。まず口を開いたのは水影だった。我先にと口が回る。


「珠蘭が宦官をたらしこんでいましたので、瑪瑙宮の風紀が悪くならぬよう叱責していたところでございます」

「宦官をたらしこむ……? どういうことです?」


 沈花妃の視線が珠蘭に移る。咄嗟に否定しようとした珠蘭だったが、かぶせるように水影が続ける。


「ろくな仕事もせず、宦官なんぞに愛嬌を振りまいているのです。宦官に現を抜かすなど瑪瑙宮の品格が落ちます――ああ、このような薄汚いお話。花妃の御耳を汚してしまい申し訳ございません。どうぞ珠蘭の処罰はお任せ頂ければ」


 演技がかったものだ。呆れてしまう。

 沈花妃が水影のそれを信じたのかはわからない。ただじいと、珠蘭と海真の顔を交互に眺めていた。


「……珠蘭」


 花妃が口を開いた。


「あなたはわたくしの部屋へ。水影は持ち場へ戻りなさい」


 水影は何か言いたげにしていたが、一揖した後、廊下の奥に消えていった。

 劉帆と海真は特に申しつけられていないため頭を低くしたままその場に残っていた。珠蘭は歩き出した沈花妃の後を追う。



 入ったのは花妃の部屋だった。木蓮のような甘ったるい花の香りがする。香を焚いているのかもしれない。

 珠蘭は、部屋に入っても端の方で身を低くしていた。先ほどの水影が言ったことについて、何らかの沙汰が下るかもしれないと覚悟していたのだ。


「珠蘭。あなたは李史明の遠縁だと聞いていますが、あの二人とも顔見知りなのですね」

「失礼ながら花妃、あの二人とは」

「劉帆と……海真のことよ」


 沈花妃の声はどこか重たい。宦官と親しいということはやはり印象がよくないのだろう。ここは話せる範囲で素直に答えた方がよいと判断し、珠蘭はちらりと顔をあげる。


「お二人には入宮の際に声をかけて頂きました。親しい間柄というわけでも、何らかの感情もございません」

「そう」


 花妃は素っ気なく答えた後、棚から豪華な飾りのついた塗箱を二つ取り出していた。中身を確認しているらしい。その作業をしながら珠蘭に告げる。


「叱責をするつもりはないの。あの場を収める方法がこれしかなかったから呼んだだけよ。外が落ち着いた頃に出て行って頂戴」

「ありがとうございます」

「……あなた、別の宮に行った方がいいかもしれないわね。ここではあなたにお願いできることなんて何もないから」


 ずきりと胸が痛む。宮女からも花妃からも信頼を得ていないのだと、ひしひしと感じる。これならば一人で壕にいた方が気楽に過ごせたかも知れない。

 水影の言いがかりは的を得ていると思う。知らぬ人から見れば、劉帆や海真といった宦官と親しく話している珠蘭は疑わしき者だろう。それが瑠璃宮の口利きで入った者となれば疑いはより濃くなる。


(でも、沈花妃の信頼を得ないと)


 すぐに諦めてはいけない。どうにか信頼を得なければ。

 沈花妃の部屋を出た珠蘭は再び、宮の掃除に精を出した。仕事を与えてくれないのならば自ら動くまで。


(まず廊下掃除。気になったところも掃除して……花器も綺麗に磨いてしまおう)


***



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