6.寵愛の末路 13/13
外が暗くなり、細く消えそうな月が空に昇る頃。列となった手提げ燭台の灯りが後宮を進む。
不死帝がやってくるのだ。その灯りが近づくにつれ、瑪瑙宮に緊張が走る。
だが今回は違っていた。
(不死帝のふりをして、会いにくる理由は何だろう)
史明から話を聞いた後、ずっと考えていた。
ただ話にくるだけならば宦官に扮して瑪瑙宮に来ればいい。珠蘭の部屋で話したことだってある。それが今回は不死帝になってやってくるというのだ。
何か理由があるのだろうが、考えたところでわからない。
沈花妃のふりをして広い部屋で待つ。しばらく待っていると扉が叩かれた。宮女が不死帝の到着を報せるものだ。
その後は前回と変わらない。不死帝を部屋に通した後は人払いをする。部屋の灯りも弱めた。
「突然悪かったな」
外に人の気配がなくなったのを確かめてから不死帝が告げる。仮面を外せば、やはり楊劉帆がそこにいた。
相手が劉帆であることを確かめた後、珠蘭も気を緩める。寝台に腰掛け、劉帆に聞く。
「渡御を史明が報せにきたので驚きました。何事かと思いましたよ」
「本当は僕が行く予定だったんだがなあ。史明が、珠蘭にいやがらせをしたいから自分が行くと言い出して」
確かにあれはいやがらせである。渡御の意図をなかなか伝えないものだから、胃が痛くなったものだ。珠蘭だけでなく沈花妃だって冷や汗を浮かべていた。
「まあ、楽にしよう。珠蘭もその簪を外せばいい。重たいだろう」
「そうしたいんですが、一度外せば自分で着けられなくなりそうで」
「僕が手伝えばいい」
あっさり言ってのけ、珠蘭の髪から簪を引き抜いた。そうして戻せなくなったところで「簪を挿すのは初めてだけどな」と笑っていた。どうやら戻すのは諦めた方がいいかもしれない。
飾りを外せば寝台に寝転ぶのも楽になる。かたや花妃をふりをした宮女、もう一人は不死帝のふりをした隠し子。それが二人して寛いでいるのだからおかしな光景だ。
「ところで今日、ここにきたのは理由があるのでは?」
珠蘭が訊くも劉帆は天井を見上げたまま「さあ」と告げた。
何の理由もなくここに来るとは思えない。それに、引っかかるものが一つ。
(楽しそうにしてはいるけれど、劉帆の表情は悲しげだ)
簪を外したりと楽しそうに笑ってはいるが、たびたび彼は悲しげに俯く。やはり何かあったのだろう。
劉帆から言い出せないのなら、珠蘭が聞くまで。しばしの無言の間に考え、そして一つ、浮かんだ。
「……劉帆。もしかして泣きたいのでは?」
身を起こし、問う。劉帆は「まさか」と笑いながら答えたが、その口元は震えていた。
瑠璃宮では泣くことなどできなかったのだろう。幼い頃から瑠璃宮で命を狙われてきた劉帆にとって弱味を見せることは憚られる。ずっと隠してきたに違いない。
この国の仮面は涙も許さない。涙を一粒こぼせば仮面と顔を貼り付ける米糊が落ちる。仮面は感情を隠すものだ。
だから涙など、流せない。
胸の奥にある温かなものがふつふつと揺れる。切なげな横顔がたまらず、珠蘭は劉帆の頬に触れる。
「今は私しかいないので泣いてもいいですよ」
確信はない、けれどこの人は泣きたいのだと思ったのだ。
劉帆が身を起こす。ふらりと揺れて「敵わないな」と笑った。
彼はうつむき気味で、その表情はわからない。様子を伺おうとした時――珠蘭の肩に温かなものが乗った。劉帆が顔を埋めているのだ。首に劉帆の髪の毛がかかってくすぐったい。
どうしたのだろう、と困っていると劉帆が震えた声で呟いた。
「晏銀揺が……死んだ」
劉帆の肩が小刻みに震えている。胸がぎゅっと締め付けられたように苦しくて、珠蘭はその背に手を回した。
何も言わず、子供をあやすように優しく背を撫でる。じわりと肩が熱い。こちらに見せぬよう泣いているのだろう。
「瑠璃宮が殺したわけじゃない。元から病だった。あの人が狂っていったのも病のせいでな、今日ついに……父のところへ旅立った」
晏銀揺は最後まで、子が生きていることを知らなかったのだろう。報せないまま劉帆は母を看取ったのだ。
「水影は瑠璃宮にいる。殺さないよう手は回した。だからこれで……終わりだ」
黒宮は誰もいなくなる。あの悲しい場所から人がいなくなるのだ。
ぽたぽたと肩に涙が落ちる。
「悪い。もう少しだけ、このままで」
「大丈夫ですよ。好きなだけ、泣いてください」
「覚悟はしていたのにな……悲しくて……僕がこんな生まれでなかったら……」
今宵は、不死帝が涙を流すための渡御。劉帆を優しく抱きしめる珠蘭の頬に、一筋の涙が落ちていく。
宵が深まり、涙の跡も乾いた頃。楊劉帆が口を開いた。珠蘭に甘えるようにして泣いた手前恥ずかしかったのかも知れない、顔を背けたまま語る。
「本当は泣くつもりじゃなかったんだ。色々あったから君の顔を見たら落ち着くかと思って」
「それで、落ち着きました?」
「ああ。ありがたいことにな」
寝台に腰掛けた劉帆の隣に、珠蘭も座る。距離の近さを嫌だとは思わなかった。心地よいと感じる。
「珠蘭」
劉帆は珠蘭の手を取り、こちらをまっすぐに見つめた。
「僕は……この後宮や霞を幸せにしたい。感情を抑えず、面と向かって想いを伝えられるような場所にしていきたい」
「はい。いいと思います」
「そのためには不死帝が終わりを告げ、仮面は割れるかもしれない。荒療治だな」
呆れたように劉帆が笑う。その瞳に決意が見えた。
「今は好いた人に想いさえ伝えられない場所だ。いつか理想となる場所に近づけたら、君に話したいことがある」
劉帆の秘めたるものが何であるのか、はっきりとはわからないが、その温度に似たものは珠蘭も抱えている気がした。
おそらく同じものであるから、彼が語る明るい未来が来ればよいと思う。仮面をつけず、感情を殺さず、好いた人に想いを伝えられるような場所に。
「劉帆が語るような、理想の場所はきっと――」
その場所をこの瞳に映したのなら。想像していた時、隣の劉帆が「稀色だろうな」と微笑んだ。
珠蘭も、そう思う。
「私は、劉帆と共に稀色の世を見たいです」
瞼を伏せて、思い浮かべる。珠蘭の記憶に焼き付いた稀色の後宮。それが劉帆の語るような場所になればどんな色にんるのだろう。きっと美しい。それは稀色に輝き、美しい場所になるのだろう。
<完>
最後までお読みいただきありがとうございました。
今回登場しなかった二つの宮や珠蘭の故郷について等、
書き切れないものがいくつか残っているため、いずれ第二部という形で続きを書けたらと考えております。
閲覧、ありがとうございました。




