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6.寵愛の末路 5

 結局、珊瑚宮へは珠蘭(しゅらん)が向かうことになった。瑠璃宮からの許可状をもらったので珊瑚宮を警備する兵たちに見せれば難なく入れるだろう。

 劉帆(りゅうほ)海真(かいしん)を残し瑠璃宮を出ようとしたところで、珠蘭は名を呼ばれた。


「董珠蘭。話がある」


 呼びとめたのは()史明(しめい)だ。

 共に瑠璃宮を出て歩く。しばらく歩き、人の気配がなくなったところで史明が口を開いた。


「劉帆から、聞いたでしょう?」

(よう)苑月(えんげつ)(あん)銀揺(ぎんよう)のことでしょうか」


 尋ねると、史明は頷いた。


「知ってしまったのならば後はわかりますね。あの方を危険に晒してはなりません。あの方の存在は霞を変えてしまうかもしれない」


 霞を変える。言葉の大きさに珠蘭は息を呑んだ。


「劉帆の存在は不死帝という代替わり制度に生じた矛盾だ。殺しても、掲げてもならない。私は苑月様から、あの方を守れと命じられている。そして不死帝に血を通わせてはならないとも」

「血を通わせる。つまり、血族制に戻してはならないということ……」


 この島はいくつもの国があった。それは、不死帝によって統一され、霞はこの島を統べるに至った。他の国たちは、死を超越した不死帝を畏れたのだ。

 だが不死帝が消えれば、霞の皇帝は元の血族制に戻る。その時、この島はどうなるだろう。珠蘭はその答えを口にした。


「不死帝に血を通わせれば、島は再び戦火に包まれる……そういうことですね」

「察しがよくて助かります。だから、劉帆を守り隠しながら、不死帝の制度も守らなければならない」


 不死帝制度の矛盾である、楊劉帆。不死帝だった男の苑月が、晏銀揺を愛してしまったために生まれた子だ。

 彼の存在が明るみにでれば不死帝制度を壊すことになる。だが、苑月は史明に劉帆を守るよう命じたのだろう。だから、殺すことも掲げることもできない。


「だが、劉帆はあなたと出会って変わってしまった」


 史明が嘆息する。劉帆の変化というのは史明にとって快くないらしい。


「私は幼い頃から劉帆を見てきましたが、未来なんて信じるような男ではなかった。後宮での出来事も、遠い世界の物語を見るように一歩引いて笑い眺める。後宮という鳥籠の中でぼんやりしているだけでよかったんですよ、その方が扱いやすく守りやすいので」


 隠し子として生まれた劉帆は外の世界に出られず、後宮の中だけで過ごしてきたのだろう。

 今にして思えば、珠蘭を迎えに壕にきた時、彼はひどく愉しそうだった。後宮を出られる数少ない機会だったのだろう。それも一瞬で都に戻ってしまったのだが。

 後宮の中で生きる劉帆が可哀想に思えた。幼い頃からこの場所しか知らなかったのなら、明るい未来を信じることはなかっただろう。


(似ている)


 そう感じた。壕の中で生きてきた珠蘭と、後宮で生きてきた劉帆。境遇はけして同じと言い難いが、閉塞感ある場所で生きてきたのはどちらも変わらない。


「劉帆が何かに執着するところを見たことがなかった。でもそれはあなたが来て、劉帆を変えてしまった。先日は、誰の影響を受けたのか『この後宮を優しい場所』に変えたいなんて語ったんですよ、私の前で」


 そこまで口にして、史明が足を止める。

 振り返ってその顔を見れば、怒りのような恨みのようなまなざしが珠蘭に向けられていた。


「あなたが劉帆を変えてしまった。だから不用意に近づかないでください。これ以上、劉帆があなたの影響を受けないように」


 史明は力強く告げたが、珠蘭はそれを理解できなかった。


「劉帆が変わるのはよくないことなのでしょうか」


 声が震える。それを聞いた史明がぴくりと眉を寄せた。


「後宮に恋だの愛だのまやかしは必要ありません。生まれるのは過ちだけです」

「そんなことないと思います」


 珠蘭は史明を見上げ、はっきりと告げる。


「私は劉帆を信じています。彼がこの後宮を優しい場所に変えるというのなら、私も手伝います」

「……世迷い言だ」

「かもしれません。仮面をつけて表情もわからないこの国に生きるぐらいなら、不死帝に血が通って感情を取り戻した方がいい。後宮に恋や愛といった感情が許されてもいいと思います」


 島の安寧のために不死帝が敷いた制度は、後宮の花妃たちを苦しめた。後宮に植わる毒花はそこにいる人たちを少しずつ蝕んでいく。

 沈花妃と海真。珊瑚宮で報われない想いを隠していた呂花妃。名門の家を背負う伯花妃。帝と妃の許されない恋の末に生まれた劉帆。

 恋や愛といったものは優しさを生む。内通罪はあれど恋人を失った呂花妃に寄り添い、恩情をかけるよう動いた伯花妃のように。伯花妃の心を動かしたのは、呂花妃が誰かを一身に想う強さだろう。


 優れた記憶力は、それらの悲しみや苦しみの顔まできちんと覚えてしまう。出会った者たちの苦しみが鮮明に頭に浮かんだ。


(仮面で心を隠さず、通じ合えていたのなら)


 不死帝という恐怖の上に成り立つ平和はまやかしだ。珠蘭はそう思う。


「不死帝に血が通っても、戦火に包まれない方法があるかもしれない。私は劉帆を信じます


 不死帝に血が通う、その単語を聞いた史明のこめかみがぴくぴくと跳ねる。


「あなたはなぜ劉帆を信じると断言できる? あれの出生が罪深いものだと聞いただろうに」

「出生は関係ありません。劉帆の人となりを見て判断しています。でもそれは幼い頃から一緒にいる史明の方が詳しいと思いますよ」


 これは珠蘭の勝手な想像だが、李史明は楊劉帆を嫌っていないと思う。冷淡な口ぶりをしておきあがら彼のことを心から案じているのではないか。

 史明は立ち尽くしたままだった。うつむき、それ以上の言葉は出てこない。


「あなたが劉帆に仕えたいのなら……劉帆がいま生きているこの場所が、彼にとって良い場所であるよう尽くさなければならないのでは。今のあなたは劉帆を守っているんじゃなくて、楊苑月の命令を守っているだけです」


 珠蘭は一揖し、逃げるように駆けだして去った。

 自分としては気持ちや考えを素直に伝えたのだが、相手は李史明である。何を言い返されるか恐ろしい。


(斬られなくてよかった……しばらく史明に近づかないようにしよう……)


 振り返ることさえできず、だから李史明がどのような表情をしていたのか、珠蘭はわからなかった。





 いったん瑪瑙宮に戻り報告する。伯花妃の怪我の程度が軽いことをを告げると、沈花妃はほっとしたようであった。

 伯花妃が襲撃前に歌を聴いたことは伝えていない。これを伝えれば沈花妃だけでなく瑪瑙宮の宮女も混乱するだろう。理由は明かさず、珊瑚宮の調査に行くことを告げた。


 太陽がゆるゆると沈みだす。もうしばらく経てば夕刻に入るだろう。珠蘭は珊瑚宮へと向かった。

 武装兵たちに瑠璃宮の許可状を見せると中に入ることができた。珊瑚宮の中は調査が終わっているのか人気がない。珠蘭はまず石蒜(ヒガンバナ)の庭に行く。


(伯花妃は石蒜を見にきて、その帰り道に襲われている)


 この庭は、昨日も見に来た。今日も見事に放射状の細い花弁が開いている。葉のない石蒜は独特の形をし、花弁の紅色も珠蘭では判別が難しい。知らなければ花を葉と間違えたかもしれない。

 身を屈め、石蒜を眺めていた時である。


(おかしい)


 庭の景色は昨日見たものと異なっている。記憶力を頼りに違和感が生じた場所に近づく。そこは石蒜が曲がっていた。花茎が折れているのだ。


(誰かが折ったというより、踏んだのかもしれない)


 花茎が折れたものは一本だけではない。庭の、ある方角に向けて続いていた。おそらく誰かがそこを通ったのだろう。

 伯花妃が踏み荒らしたとは考えにくい。宮女たちもだ。翡翠宮は豪華な庭や亭がある。花を大切にするだろう。となれば他の者だ。


 折れた花茎を辿っていくと、そこには林があった。方角としては珊瑚宮と翡翠宮の間あたり。この林を奥まで進むと、いつぞや調べに来た黒宮がある。立派な柳の木がある場所だ。

 これは予感、だった。


(黒宮に……行ってみよう)


 林に入り、黒宮に向かう。林の中は鬱蒼としていたが、誰かが通っているのか下草が踏み潰れている。よく見ると石蒜の花弁も落ちていた。

 つまり、石蒜を踏んだ者がここを通っている。黒宮に向かうという珠蘭の勘は正しかったのかもしれない。

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