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3.謀りの仮面 1/9

 霞の都にある宮殿は()正城(しょうじょう)と呼ばれる。

 敷地は水堀と石塀で囲われ、門はいくつか。内部は帝が政治を行う外廷と居住区画である内廷がある。帝が住まうは内廷にある瑠璃宮だ。後宮へ至る門は瑠璃宮を通らねばならない。

 後宮は、霞正城の最も奥深くに存在するのだ。


「後宮といってもここ百年ほどは飾りですよ」


 そう吐き捨てたのは前を歩く()史明(しめい)である。


「表向きは不死帝の欲を満たすため美女を置いていますが、不死帝は子を成しません。不死帝が誰かを愛することはありませんからね。現在の後宮は、家柄や権力を誇示する場となっています」


 その話を聞きながら董珠蘭は史明と共に、毒花門に向かっている。毒花門は瑠璃宮と後宮を繋ぐ門だ。


 人気のない通路だからか史明が淡々と語る。その内容はこれから後宮に飛びこむであろう珠蘭のため、知識を与えるものだった。


「現在、後宮には五つの宮があり、それぞれに妃がいらっしゃいます。あなたが行く瑪瑙(めのう)宮の花妃(ファフェイ)(しん)家の娘ですね」

「花妃?」

「それぞれの宮を治める妃には花妃(ファフェイ)の称号が与えられます。瑪瑙宮の主は(しん)花妃(ファフェイ)。他にも翡翠宮では(はく)花妃、珊瑚宮は(りょ)花妃です。覚えましたね?」


 早口で伝えられて覚えられるものか。他の宮はともかく、これから世話になる瑪瑙宮の沈花妃は覚えておかなければ。


「瑪瑙宮は、あまり人手を必要としないようで。宮女のとりわけ少ない宮です。五宮で新しい方の花妃ですから、仕事はたくさんあるでしょう。邪険にされるような隙などないはずです」

「はあ……それは大変忙しくてこき使われるから覚悟しておけ、ってことですよね」


 うんざりしながら聞くも、史明はしっかりと頷き、淡々と語った。


「壕から出たことのない無作法者が後宮にあがるなど前代未聞ですからね。あなたのことは、李史明の遠縁と伝えていますが、私の顔に泥を塗らぬようお願い致します」

「はあ……」


 なるほど、彼が不機嫌の理由はこれだった。どうやら瑪瑙宮に口利きする際、史明の名を用いたようだ。

 後宮は、名家の娘たちが集う場所でもあるが、家柄がそこまでのうら若き娘にとっては宮廷作法を学ぶ貴重な場である。少しでも粗相をすれば元の家に連絡が入るのだと聞いた。珠蘭の場合は史明の耳に入るのだろう。


(そうなれば、ねちねちと説教をされそうだ)


 出会って二日目といえ、史明たる人物の嫌味が粘っこいことは、珠蘭も把握している。


 毒花門が見えた。兵に事情を伝え、門を開けてもらう。開門と同時に史明は迷わずすたすたと歩き始めた。

 後宮は帝以外女人しか許されない場だと思っていたのだ。そこに史明が平然と歩いているから珠蘭は疑問を抱いた。

 史明は、珠蘭が怪訝な顔をしていると気づいたらしく小さな声で聞く。


「私が後宮に入れることを驚いていますか」

「そうですね、まあ……」

「後宮に入ることができるのは女人はもちろんのこと、不死帝と宦官のみです」


 宦官とは性を捨てて帝に仕える者を差す。これは男しか成ることができない。性を捨てるとは男性器を切り落とすことだ。かなりの痛みを伴うらしく、術後に後遺症が残ることもある。

 性のない宦官は帝や女人からも喜ばれ、特に見目の麗しい者が好まれたという。珠蘭の住んでいた聚落でも、才知もしくは容貌のどちらかが優れる者は、宦官として売りさばくために拉致されることがあった。実際に兄の海真も、宦官になるべく拉致されたのだと思っていたぐらいだ。


「私は、宦官ですから」


 史明は足も止めずに歩いていく。ちらりと見えた彼の顔は怜悧に整いすぎていて感情が見出せない。


 毒花門を抜け、白の玉砂利が敷かれた道を歩く。後宮内は緑がたくさん植えられ、池もあるようだ。景観のよい場所で妃たちが茶会を開くのだろう。残念ながら珠蘭は緑と赤の区別が弱く、後宮内で若々しい緑色をしたそれらも褪せた枯緑色にしか見えない。


 そして不思議なことに、この後宮には『華』がなかった。

 壕にいた珠蘭だったが兄や両親が外のものを持ってきてくれたのでそれなりの知識はある。書もたくさん読んだ。特に花は土産として持ってくることが多かった。珠蘭が女人であるため両親が気遣ったのだろう。

 その花が、後宮には見当たらない。季節が悪いのかそれとも植えていないのか。


 考えごとに耽っていると、史明が足を止めていた。ぶつかりそうになって慌てて前を見る。


「瑪瑙宮に着きましたよ」


 史明は不機嫌そうに言った。


 見上げれば、そこには御殿が一つ。柱や木材は丁寧な塗りが施され、大きな瑪瑙の飾りが大扉の前にかかっている。瑪瑙宮という名の通りだ。柱などは、珠蘭には枯緑色にしか見えないが、おそらく朱色だろう。瑪瑙の名にあやかっているはずだ。


 瑪瑙宮にあがるための小さな(きざはし)をのぼっていると、その横にふわりと植わっているものがあった。

 背はすらりと高く、凜と伸ばした花茎に、釣鐘型の花がぎっちりと密集して咲いている。見ようによっては、その釣鐘型の花がぽかりと口を開けているようにも見える。美しい花のように見えて、そうではない。この後宮に相応しい花とは言い難いものだ。珠蘭は花の名を口にする。


毛地黄(ジギタリス)……毒のある花が植えられています」


 史明に聞こえるようぽつりと呟いた。史明は振り返らず「はい」と、淡々と答えた。


「わかっていて植えているのです。ここだけじゃありません。五宮すべて、毒花が植えられていますから」

「毒花を?」

「不死帝は死を乗り越えた存在。毒に屈することはありません」


 毒花を植えるのは、不死帝から後宮内外に向けての示威だ。後宮に娘たちを送りこんだ名家や豪族たちは毒まみれの後宮に恐れることだろう。たかが毒を盛る程度の謀りで、不死帝は殺せないのだと告げているような場所である。


(とはいえ、不死帝の真実を知ってしまうと驚きはないけれど)


 不死帝は一人ではないのだから、死を乗り越えているわけじゃない。知ってしまえば簡単な手法だ。仮面といい毒花といい、不死帝の仕組みを気づかれぬよう、入念に積み上げられている気がした。




 まず瑪瑙宮の主である沈花妃に挨拶することになった。話は既に通っているらしく、後は顔見せと数言の挨拶で済むようだ。それが終われば史明も戻るらしい。彼は早く戻りたそうにしていた。


「わたくしが、沈花妃です」


 現れたのは、妃として選ばれるのも納得してしまうほど、美しい女人だった。

 髪はふわりと大輪を二つ作って結い上げ、余りは下に垂らす。瑪瑙がついた簪の他、金銀細工の装飾品もつけているが、愛らしい顔立ちの前ではそれらも霞む。目元はふわりと甘く垂れ、ぷっくりと腫れた唇。胸部が襦裙(じゅくん)を持ち上げる様をみるに、平均よりは大きいのだろう。まさしく後宮の妃といった姿である。


「あなたのお話は伺いました。瑪瑙宮はあなたを歓迎します」


 沈花妃はそう言った後、口元を扇で隠した。


「けれど瑪瑙宮はあまり仕事がないのよ。あなたにお願いすることはほとんどないかもしれないわ」


(でも史明は、宮女が少ない宮だから仕事がたくさんあるって言ってたような……)


 違和感が生じる。沈花妃は、珠蘭をなだめるようにふうと息を吐いた。


「いまもあなたにお願いしたいことはないのよ」

「……はい」


 話が違う。しかしぐっと飲みこんで、珠蘭は一揖した。


「では私は戻りますので。沈花妃、珠蘭のことをよろしくお願い致します」


 用件は終わったとみるに、史明はさっさと部屋を出てしまった。「よろしくお願いします」と言っておきながら感情はまったくこもっていない。遠縁の娘という設定を、史明自ら壊しにいくような冷徹さだ。


 次に歩み出たのは瑪瑙宮の宮女だった。


「花妃、そろそろお茶会の支度を致しませんと」

「あら。そうでしたね」


 茶会の支度となれば、忙しいだろう。後宮の妃が身支度をするとなれば何人も宮女が付くはずだ。そう思って珠蘭も名乗り出る。


「では私も――」

「いいえ。あなたは結構です」


 珠蘭を止めたのは宮女の一人だった。


「これから花妃は身支度を致しますので退出をお願いします。あなたに手伝えることはありません」


 有無を言わさないと、珠蘭の腕を無理矢理に引いて部屋を出て行く。廊下に出たところでやっと解放されたが、沈花妃がいた部屋は扉が固く閉ざされていた。

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