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6.寵愛の末路 2

 夕刻前に珠蘭は瑪瑙宮を出た。沈花妃には行き先を伝えている。


(まずは珊瑚宮を見てみよう)


 体調不良を訴える宮女は共通していて、同じ方角の宮女室を使っている。その窓は珊瑚宮の方角を向いていた。

 翡翠宮で体調不良を訴える宮女たちも全員ではないらしい。おそらく珊瑚宮の方角にある部屋を使っているものだけだろう。

 となれば、珊瑚宮を調べるのが一番だ。陽が沈み、風が肌寒くなってくる中、珠蘭は珊瑚宮へと向かう。


「……あ、咲き頃」


 珊瑚宮の庭が見えてきた時である。庭のあちこちに枯緑色の花が咲いている。この花は独特な形状をしていて葉がない。花茎の先には、空に向かって手を広げるように放射状に広がった細い花弁がついている。反り返ったそれは今にも手を掴もうとする子供の手にも似ていた。

 これが珊瑚宮の宮花、石蒜(ヒガンバナ)である。珠蘭の瞳にはそれが稀色としか映らないが、鮮やかな紅色をしていると聞いた。枯緑色(クーリュー)の花弁を眺めれば、皆と同じように色の判別が出来ていたのならと悔やまれる。


 主のいない珊瑚宮に人影はない。耳を澄ましても聞こえるのは風の音ばかりで、金切り声の歌が聞こえることはなかった。


「……ふむ」


 あたりを見渡して珠蘭が頷く。現段階で得られるものはなさそうだ。


(夜に来てみないとだめか。河江に頼んで部屋を交代してもらおう)



 何もないことを改めて確認し、踵を返そうとした時である。


「おや。珍しい場所に珍しい者がいる」


 静寂を割いたのは飄々とした物言いだった。見れば、(よう)劉帆(りゅうほ)がこちらに向かっている。


「こんなところで会うなんて奇遇ですね」

「本当に。珠蘭はここで何をしているんだい?」

「少し調べたいことがあって。でも終わったので瑪瑙宮に戻ります」

「なるほど。僕も君が喜びそうな甘味を貰ったから、瑪瑙宮に届けようとしたところだ。一緒に行こうか」


 こうして劉帆と共に歩き出す。歩き出してすぐに劉帆が訊いた。


「それで。君は何を調べていたんだい? 無人の宮に咲く石蒜を眺めにきたわけではないだろうに」

「瑪瑙宮と翡翠宮の宮女たちを悩ませている『歌』について調べにきたんです」


 珠蘭は花妃たちから聞いた話や、河江たちの体験談を聞かせた。


「――というわけで、珊瑚宮を見に来たんです。体調を崩す宮女たちの部屋は、こちらの方角に面しているので」

「なるほどねえ。歌か……」

「瑠璃宮にこの噂は届いていませんか?」


 これに対し、劉帆は首を横に振った。


「僕のところにはまったく」


 劉帆は後宮のことに詳しい印象がある。今回の件も劉帆は何か知っているかと期待していたのだが、肩透かしに終わって珠蘭は俯く。


 そんな珠蘭の表情から見抜いたのだろう。劉帆は袂から包を取り出して開いた。


「珠蘭、口を開けて」

「はい?」


 言われるがままに口を開けた瞬間である。口中にむずりと何かが押しこまれる。


「ふぁ、ふぁひふぉ……」


 もがもがと動かしながら、口に押しこまれたそれを抜き取れば、そこにあったのは枯緑色の饅頭だった。饅頭には焼印が入っているが、見たことのない形をしている。都の名物だろうか。


「それ、食べていいよ」

「いいんですか?」

「貰い物だけど、僕は甘いのが好きじゃないから。瑪瑙宮に着くまでの間に君が食べるといい」

「ありがとうございます。では早速」


 甘味に遠慮は無用。早速珠蘭は饅頭にかじりついた。

 大変美味しい饅頭だ。皮はふにゃりと柔らかくすべすべで、歯を立てることが罪深く思えてしまう。皮はほんのりと甘いが、中に包まれている餡はとても甘い。砂糖にかじりついているようだ。だが皮の絶妙な甘さ加減によって餡のくどさは軽減される。調和が取れている。最高の味だ。


 ひとつ、またひとつと顎を動かしながら、甘味を堪能する。あまりの美味しさに目を細めていると劉帆が笑った。


「君は本当に甘味が好きだな」

「はい。幸せの味がします」

「そんな顔されるとまた餌付けしたくなるね、うん」


 どうやら饅頭は一つしか持っていなかったらしい。劉帆は手をひらひらと振ってそれを示し「また今度持ってくるよ」と穏やかに言った。





 その晩。珠蘭は河江に部屋を代わってもらった。窓は珊瑚宮の方角を向いている。

 宵も深まり高く昇った月がゆるりと高度を落とす頃である。その歌は確かに聞こえた。


(これが、噂の歌)


 女の声だ。甲高く叫び、それは悲鳴に似ている。

 窓を開けて覗きこんでみるがあたりに人影はない。歌声の大きさから察するにだいぶ離れていると思うのだが、特徴的な金切り声は耳について離れない。


(毎夜これが聞こえていたら、確かに参るかもしれない)


 おぼろげに聞こえてくる泣き叫ぶような歌。誰かの死を悲しむものだ。


 『愛しい者が みな死ぬ』

 『帰らぬ 帰らぬ』

 『幸福は わたしを 裏切る』

 『帰らぬ 帰らぬ』


 歌詞はそのような悲哀の単語だらけである。死んでしまった愛しい人を悲しんで、呪って、殺してくれと歌っているのだ。


(誰が歌っているんだろう)


 声は珊瑚宮の方角から聞こえていた。


***


 あまり寝付けなかった。河江たちが不眠で悩むのがよくわかる。歌声が止んだかと思って目を瞑ればまた聞こえて、途切れたと思えばまた歌い出す。不規則な歌は睡眠を妨げた。

 大あくびをしながら厨に向かう。部屋を代わったことで河江はよく眠れたらしく、珠蘭の姿を見るなり両手を握りしめて感謝の言葉を述べていた。


「本当にありがとうねえ。今日もあたしの部屋を使っていいんだよ」


 にこやかに提案されるも承諾は出来ず、返答は濁した。さすがに今日は眠りたい。

 次に沈花妃の部屋に向かう。隠していた背の傷を珠蘭も知ったことで沐浴や着替えなどの仕事も任されるようになっていた。瑪瑙宮に来たばかりの仕事なし状態が今では懐かしいほど。

 花妃の朝支度を終え、朝餉を運ぶ。そうして変わらぬ一日が始まると思っていた時である。


 瑪瑙宮の宮女が、顔色を変えて沈花妃の部屋に飛びこんできた。部屋にいた花妃や珠蘭、他宮女たちも一斉に扉の方を見る。


「花妃、大変でございます」


 慌てた口ぶりで宮女は頭を下げる。その体は震えていた。


「翡翠宮の伯花妃が何者かに襲われた様子」

「伯花妃が?」


 予想外の報告に沈花妃も顔色を変えて立ち上がる。珠蘭も息を呑んだ。


「朝、珊瑚宮付近を散策の際、襲われたようです。翡翠宮の宮女二名が大怪我をし、伯花妃も怪我をしたとのこと。犯人は逃走し捕まっておりません」


 宮女たちがざわつく。後宮内で事件が起きたのだ。この囲われた敷地でよくも出来たものだ。不届者が捕まっていないとなれば後宮内を逃げ隠れているだろう。珊瑚宮に近い瑪瑙宮に乗りこんでくることも考えられる。


「各宮に武装兵の配置が決まりました。つきましては沈花妃も宮の中でお過ごしください。くれぐれも外に出ないよう」

「……わかったわ」


 青ざめた沈花妃が、ぐったりと席に着く。手も体も震えていた。


 後宮は守られている場所だ。後宮を治めているのは序列一位の伯花妃だが、後宮の所持者は不死帝にある。建物や植物、すべて不死帝のものだ。

 伯花妃が後宮を取り仕切るといえ、懲罰の沙汰は瑠璃宮つまり不死帝に委ねられる。後宮について花妃に許された権利はわずか。後宮は不死帝のものと言って過言ではない。

 その後宮内で、しかも花妃が襲われるという大事件である。花妃たちを守るために閉ざされている場所が急に恐ろしく思えるだろう。沈花妃が狼狽えるのは当然のことだった。


「厨に行って、お茶を用意して参ります。温かいものを飲んで落ち着きましょう」


 珠蘭が提案する。河江に頼んで沈花妃の好きなお茶でもと考えたのだが、すぐに返答はこなかった。何やら逡巡の後、口を開く。


「珠蘭、お茶はいいからお願いがあるの」


 ようやく顔をあげた沈花妃は珠蘭の手を取り、言った。


「伯花妃の様子を見てきて。花妃もあなたが来てくれたら心強いと思うの」

「ですが、私で伯花妃の力になれるのでしょうか」

「大丈夫よ。伯花妃はあなたのことを信頼している。この恐ろしい事態だからこそ、あなたが力になってあげて」


 弱々しい声に背を押され、珠蘭は頷いた。


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