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5.不死帝の黒罪 9

 駆けつけた者たちと共に花妃を部屋に運ぶ。救出が早かったことが幸いし、命に別状はないと宮医が告げていた。宮女たちには、沈花妃が風邪を召さぬよう、しばらくの間薬湯の用意が命じられた。

 花妃が自害を試みたことは瑪瑙宮の者たちをざわつかせた。無事であることが知らされ安堵はしていたが、沈花妃が身を捨てたくなるほど思い詰めていたのである。


 翌朝になって珠蘭と劉帆が花妃の部屋に向かった。宮医と交代し、花妃に薬湯を渡す。


「……あなたたちに、迷惑をかけました」


 寝台から身を起こした沈花妃は憂いた声で告げる。劉帆は険しい顔をしていた。


「迷惑をかけたと詫びる前に、なぜこのようなことを思い至ったのか答えてほしいものだ」

「……」

「偶然、僕が瑪瑙宮の近くにいなければ、沈花妃は死んでいたかもしれない。それを助けようとした珠蘭だって、一緒に池に落ちたかもしれない」


 珍しく劉帆は怒っているようだった。声も表情も強ばっている。

 しかし沈花妃は俯いたまま何も答えなかった。その表情は悲哀だけを浮かべている。


「海真のためか?」


 呆れ息を混ぜながら劉帆が訊いた。

 それにも沈花妃は答えない。沈黙を肯定と受け取ったらしい劉帆が続ける。


「他者に特別な感情があるからと帝を拒否し、それを貫くために自害するというのはやめた方がいい。その背には瑪瑙宮や沈家、様々なものがのし掛かっているはずだ」

「……っ」


 沈花妃の顔が苦しそうに歪められる。

 珠蘭も、当初は劉帆と同じように考えていた。沈花妃が不死帝の渡りを拒否したいのは、海真のためであると。


 だが、それだけではない気がしていた。海真への想いだけではない、もう一つの理由。


 沈花妃の噛みしめた唇が開くことはなく、そこで珠蘭が動いた。


「私の思い過ごしかもしれませんが……沈花妃が帝を拒否する理由は、もう一つありますよね?」


 おそるおそる訊く。しかしこれは当たっていたらしい。沈花妃の驚きに見開かれた瞳が珠蘭を捉える。


「私が瑪瑙宮に仕えてから、花妃の着替えや沐浴などは手伝っておりません。その刻限になれば古参の宮女たちがやってきて退室を命じます。花妃が肌を晒す事柄になれば、必ずのこと」


 信頼を得ていないのかと悩んだこともあるが、実際は違った。月日経つにつれ、沈花妃は珠蘭を可愛がった。暇な時は呼び出して茶を楽しもうと提案するぐらいに。


「この宮にいる宮女の数が少ない理由。着替えなどは、花妃が沈家から連れてきた古参の者たちにしか任せないこと。これらから、何か秘密があるのかもしれないと想像していました。いつか信頼していただけた時にお話しして頂けるのかと思っていましたが」

「で、それがもう一つの理由になると?」


 劉帆に問われて、珠蘭が頷く。それから珠蘭は沈花妃を見た。


「沈花妃、お話してもよいですか?」

「……ええ」


 沈花妃の返答は諦念で作られていた。


「その背に大きな傷跡が見えました。見たのは、昨日のことです」

「やはり、見てしまったのね」

「はい。でもこれで謎が解けました。沈花妃が帝を拒否する理由は、海真への想いだけでなく、その傷を隠したいのでは」


 劉帆が驚いたように沈花妃を見る。花妃はため息と共に頷いた。


「……そうよ。この醜い傷を見れば、不死帝はわたくしを厭うでしょう。宮から追い出されるかもしれない。受け入れても不死帝に傷が知られて追い出される。受け入れなくともわたくしは立場を追われて、宮から出て行くことになる。どちらも結末は変わらないの」


 細い手で顔を覆う。声が震えていたことから、泣いていたのかもしれない。


「海真を想うのなら帝を受け入れる。それはとっくにわかっているのよ。でもね、不死帝を受け入れてこの傷を知られてしまえば、醜い体を持つわたくしは宮を追われるでしょう。そうなれば二度と海真に会えなくなる」


 沈花妃は背の傷を疎んじているのだろう。だから親しい宮女にしか背を見せなかった。そして傷を不死帝に見られることも恐れている。


(いまの不死帝は海真だから、背の傷で追い払うことはしないと思うけれど)


 しかし珠蘭が知るそれを沈花妃に伝えることはできない。劉帆も額に手をやり考えこんでいるようだった。

 ならば今こそ。翡翠宮で伯花妃から聞いたことが使えるのではないか。


「沈花妃、提案があります」


 珠蘭の発言に注目が集まる。


「不死帝が渡る日、私と入れ替わりましょう」

「い、入れ替わるって……」

「その夜だけ私が沈花妃に成り代わります。背丈や体つきは似ていますから、髪や服を誤魔化せば何とかなるはずです」

「でも不死帝に気づかれてしまったら大変な騒ぎになるのでは」

「かもしれません。でも不死帝と沈花妃はまだお会いしたことがない。今なら騙せます」


 おそらく伯花妃が提案したかったのはこれだ。沈花妃と珠蘭の背丈は似ている。どちらも細身だ。顔つきはそこまで似ていないが、仮面をつければ誤魔化せる。

 それに、これが騒ぎにならないという確信がある。


(ここに劉帆がいるから、海真まで話が通るはず)


 兄はこの提案を協力してくれるだろう。

 この方法ならば沈花妃が傷つくことはなく、不死帝を受け入れたとして後宮内の立場が追いやられることもない。全員が幸せになる手段だ。

 だがこれに意を唱えたのが劉帆だった。


「まてまて。お前が沈花妃のふりをすると?」

「はい」

「……相手は不死帝だぞ。お前も、それはわかっているはずだ」

「もちろん承知しています」


 どうも劉帆は納得していないらしい。

 沈花妃はというと、突然舞い込んできた話に困惑しつつ、しかし希望の光を見いだしたのか表情が明るい。


「珠蘭……本当にいいのね?」

「はい。ここは仮面後宮ですから、私たちだって仮面をつけて騙しましょう」


 沈花妃を安心させるようにっこりと微笑む。

 劉帆はというと、物憂げなまなざしを珠蘭に向けたまま、その唇は不機嫌な一文字を描いていた。




「どういうつもりだ?」


 花妃の部屋を出て、渡り廊下まで歩いた時である。無言を貫いていた劉帆がやっと声をあげた。


「成り代わりを提案するなど、正気か?」

「正気ですよ。沈花妃のことを考えての行動です。こうすれば沈花妃が傷つかずに済みますから」


 どうやら劉帆はあの提案が気に入らないらしい。声音は苛立ちを含んでいる。


 珠蘭は、劉帆がここまで怒る理由がわからなかった。沈花妃に成り代わる手段は誰も傷つくことがない。この話が海真まで至れば問題はないはずだ。不死帝として海真がやってきても何事もなく朝になるのを待てばいいこと。沈花妃は傷つかず立場も守り、海真だって沈花妃を守る。

 だというのに劉帆の機嫌は沈んでいる。これはいくら考えても理由がわからなかった。


「劉帆が怒ることでしょうか?」

「この件に怒っているのではない」

「では何に腹を立てているんです?」


 すると、劉帆は足を止め、振り返った。


「最近の珠蘭が理解できないからだ」


 飛んできた答えに珠蘭は首を傾げるしかなかった。想像の斜め上である。


「僕が思っていたよりも後宮の物事に深入りしていく。瑪瑙宮に入っても沈花妃にここまで肩入れするなんて思っていなかった。沈花妃だけじゃない、伯花妃にも気に入られている。だから余計な話を聞いてきたのだろう」


 余計な話とは(あん)銀揺(ぎんよう)のことだろう。思い当たるも、口にすることはできなかった。


「君はするりと人の心に入って、何かを変えていく。冷えた毒の園である後宮が、君が来たことで変わっていくんじゃないかと怖いんだ」

「劉帆は、後宮が変わることが怖いんですか?」


 その問いかけに、劉帆は少し悩んだ後、頷いた。


「怖いとも。ここは温かな場所じゃない。謀りと裏切りの園だ。愛だとか恋だとか、そういうものを僕は信じていない」


 その言葉は珠蘭に向けているようで、しかし劉帆自身に言い聞かせているようでもあった。

 答えた後、気まずそうに背を向けてしまった。珠蘭はその背を追いかけ告げる。


「私は、信じたいです」


 ぴくりと、劉帆の背が揺れた。


「この場所が……後宮に優しさがあってもいいと思います。誰かが泣いたり苦しんだりするだけの場所じゃないと信じたいです」


 それは、伯花妃や呂花妃、沈花妃それぞれの生き方を見てきた末に珠蘭が辿り着いた結論だった。

 珠蘭はそこで足を止める。珠蘭の言葉が劉帆に届いたのかはわからない。彼は振り返ることも口を開くこともなく、渡り廊下の先へと歩いていった。


(私は、沈花妃が悲しむ姿を見たくない)



 後日。沈花妃は珠蘭の提案を受け入れた。

 花妃の自殺未遂は瑪瑙宮以外に知らされることはなく、不死帝の来宮は予定通り行われることとなる。

 この数年、後宮に通うことのなかった不死帝がついに花妃を訪ねる。不死帝を拒絶していた瑪瑙宮に。

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