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5.不死帝の黒罪 8

 宮女たちは花妃を案じて廊下に詰めかけていたが、見張りは交代交代にするよう河江が提案した。花妃が心配だからと廊下にいては瑪瑙宮の仕事が滞る。それならばいつ命じられても速やかに動けるよう、軽食や薬湯、湯浴の用意はしていた方がいい。

 珠蘭も自室に戻った。


(明日は、沈花妃と話せるかな)


 普段ならば眠っている時間だが、寝台に身を預けても眠気はなかなかやってこない。沈花妃のことが心配で眠れそうになかった。

 花妃が閉じこもってしまったことで瑪瑙宮は灯りを欠いたように暗い。沈花妃はこの宮にとって大陽だったのだと、改めて思い知った。


 宵はだいぶ深くなっても寝付けず、ついに珠蘭は起き上がった。


(少し、庭を散歩しよう)


 夜の散歩で気持ちが鎮まればいい。珠蘭は部屋を出た。




 毛地黄(ジギタリス)の見頃は終わっているが瑪瑙宮の庭を歩くのは好きだった。特に庭奥の池がよい。

 池は宮を建てる前からあったらしい。池は水深が深く、人が立ち入らないよう御影石の囲いが作られていた。

 珠蘭はこの石に腰掛け、池に映る月を眺めるのが好きだった。池に浮かぶ水草が風に流されて漂う様に、故郷の海を思い出す。池は美しい蒼海色ではなく濁った枯緑色をしていたが、そこに水があるだけで癒された。

 周囲には草や花が植えられている。花は麝香百合(テッポウユリ)など、やはり毒を持つ花に限られている。毛地黄が咲かぬ今はこういった花たちが庭を賑やかにしていた。


 庭をぐるりと一周し、池に映る月でも眺めようかと思っていたのだ。

 しかし池が遠くに見えてきた時、そこに人影があった。影だけでその人物が誰であるのか判明し、足が動かなくなる。


(まさか、あれは沈花妃?)


 その者は夜着を纏っていた。しかし予感があったのだ。あの人影が沈花妃かもしれないと。

 そして――池に近づく。その足先が凪いだ水面を割ろうとした瞬間、珠蘭は駆けだしていた。


「だめです!」


 この庭は毒花が咲く。土壌まで影響を与える毒花があるかはわからないが、隣接する池の水に影響がでないとは限らない。

 珠蘭の叫び声にその人物が背を震わせ、振り返る。


「……っ、」


 振り向いた顔は、やはり沈花妃だった。珠蘭の顔を見るなり、慌てたように池に飛びこむ。


「だめ!」


 ばしゃん、と盛大な水音が響く。池は沈花妃を飲み込み、その反動で水しぶきがこちらまで飛んでくる。


 珠蘭は慌てて池を覗きこんだ。

 寝着を着たまま水中に飛びこめば沈むのが早い。慌てて寝着を掴み、引っ張り上げる。衣は水を含んで重たく、引っ張り上げるのも大変だ。さらに沈花妃は珠蘭を嫌がって、手で振り払おうとする。

 引き上げようとしても振り払われてうまく行かず、もう一度水中に手を入れる。

 自らの衣が濡れることも厭わず必死に腕を伸ばした。片手で御影石を掴み、身を乗り出す。沈花妃を救うために夢中になっていた。

 ようやく寝着を掴む。振り払われても掴んだ手を離さなかった。そして引き上げる。


「いま、助けますから!」


 水中から人間を引き上げるのは労力がいる。珠蘭の細腕一本では難しいこと。しかしもう片方の手で何かを掴んでいなければ、珠蘭も池に落ちてしまう。

 しかし悩む暇はない。この間にも沈花妃の身はどうなるかわからないのだ。

 その時。


「いま助ける! 珠蘭、耐えろ!」


 男の声がした。姿を確かめなくとも声音から確信する。


「劉帆! 助けて!」


 その人物がこちらに駆け寄ってくる。そしてぐいと珠蘭の腕を掴んだ。


「よく耐えた。任せろ」


 二人がかりになれば沈みかけていた体も楽に持ち上げられる。

 まもなくして沈花妃の体を池から引き上げた。


「花妃、無事ですか?」

「池の水は何が含まれているかわからん。宮医を呼ぼう。助けを呼んでくる」


 劉帆が瑪瑙宮へと駆けていく。珠蘭は花妃に付き添っていた。


「あ……わ、わたくしは……」

「大丈夫です。いま、助けますから」


 沈花妃は、意識朦朧とし、足から頭まで全身が水で濡れていた。早く室内に連れて行かないと風邪を引いてしまいそうだ。

 助けると告げたものの、引っかかるものがある。花妃がこの池に飛びこんだのが偶然でないことを、珠蘭が目撃しているからだ。


(沈花妃は……死にたかったのだろうか……)


 助けようと水中に伸ばした手を振り払われたことも頭に残っている。

 沈花妃は、死にたかったのだ。


(そこまで思い詰めた理由は不死帝のこと……なのかな……)


 他にも外傷はないかと沈花妃の姿を確認する。水に濡れた寝着は肌に張り付き、白色の寝着にぼんやりと肌の色が映し出されていた。だが背に、肌の色としては異なる、白く浮かびあがった跡のようなものがあった。


(背に、大きな傷がある)


 それは今出来た傷ではないだろう。その部分は肉が盛り上がって瘢痕(はんこん)となっていた。


(もしかするとこれは……)


 宵の、月が照らすだけの夜。董珠蘭が触れたものは、沈花妃が抱える、それもまた夜のように暗いものであった。

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