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5.不死帝の黒罪 4

 掃除を終え水桶を抱えた珠蘭(しゅらん)が自室に戻ろうとした時である。廊下の角を曲がって自室が見えてきたと思えば、扉の前に海真(かいしん)が立っていた。


「話は終わりましたか?」


 相手は兄であるが、ここは瑪瑙(めのう)宮。他の宮女たちがいることを思えば、親しい口ぶりはできない。宦官と宮女の関係性を装って声をかける。


「ああ。今は、とりあえず」


 海真の返事はどうも歯切れが悪い。良い話ではなかったのだろう。


「少し時間をもらえないかな。相談したいことがあるんだ」

「……わかりました。場所は?」

「後宮内を歩こう。(シン)花妃(ファフェイ)には珠蘭を借りると言ってあるから気にしなくていい」


 既に手回しはされていたらしい。となれば着いていくだけだ。珠蘭は水桶を部屋に置き、支度を調えて部屋を出る。


 瑪瑙宮を出れば外は赤く染まっている。西に向けて歩けば強烈な西日に眼球を焼かれてしまいそうだ。珠蘭と海真は日陰を選んで歩く。

 向かったのは瑪瑙宮と珊瑚宮の間。砂利道を外れて、茂みの方へと歩いていく。その先に何かがあるわけではなく、人気の無いところを選んでいるのだろう。


 珠蘭もあたりを見渡し、誰もいないことを確かめてから聞いた。


「呼び出した理由を教えていただいても?」


 おそらく瑪瑙宮では出来ない話だったのだろう。沈花妃に関することなのは予測できていた。

 海真が口を開けば、想像通り沈花妃の名が出てくる。


「今日、沈花妃に会ったのは説得のためなんだ。沈花妃が不死帝を拒否していることは知っているだろう。あれを何とかしないと花妃の身が危うくなる」


 樹の根元に腰を下ろし、海真はため息をつく。


「珊瑚宮の一件が事態を悪くさせた。公にしていないが、樹然が男だったという話は瑠璃宮で噂されている。そして今、瑪瑙宮の沈花妃は不死帝を拒否している。瑠璃宮の者たちは沈花妃も同じ罪を犯しているのではないかと疑っているんだ」


 珊瑚宮の件は内々で処理されると聞いたが、瑠璃宮の宦官たちは知っているのだろう。沈花妃が拒否していることも不審な態度と見なされ、内通を疑われるかもしれない。海真が頭を抱えるのもわかる。


「ましてここ数年の不死帝は花妃の元に行っていない。後宮の平穏を保つには不死帝が必要だ。だからこそ瑪瑙宮にと考えているんだけどね……」

「沈花妃は拒否したことでしょうね」

「そうだね。今日も泣いていた。史明が来てくれなかったら、沈花妃はまた部屋から逃げ出していたかもしれない」


 これが李史明も駆けつけた理由だったのか。劉帆と史明はその説得のために沈花妃の元に向かったのだろう。しかし、結果がそこまで良いものでないことは、疲労感のにじみ出た兄の表情から察しがついていた。


「そこで珠蘭に頼みがある」


 海真は顔をあげ、珠蘭を正面から見つめた。


「沈花妃の様子を気にかけてほしい。今回の件で精神的に追い詰められているだろう。だから、よからぬことをしないよう見守ってほしいんだ」


 不死帝の渡御があるとなれば、沈花妃は絶望するだろう。沈花妃は優しく、しかし芯の強さを持っている。その心に董海真がいるうちは、他の男と夜を共にしたくないと泣くだろう。

 沈花妃を見守ることに異論はない、のだが。珠蘭にはわからないことがあった。


「兄様は、沈花妃をどう想っているのでしょうか」


 わからないことは海真の心だ。

 問うと、海真は気まずそうに唇を噛みしめて俯く。


 しばらく黙っていた海真だったが、覚悟を決めたかのように唇が動く。わずかな隙間から漏れ出た言葉は弱々しいものだった。


「俺の立場はわかってる。これが許されないこともわかってる……だけど、彼女は特別な存在だ」

「……恋、ですか?」

「どうだろう。沈花妃は俺を助けてくれたから、恩人として焦がれているのだと思ってた。でもそれは違って、今では恩人だけじゃない特別な存在だ。これを何と呼ぶのかは、俺にもわからない」


 しかしぼんやりと遠くを見つめる瞳には、沈花妃への思慕が映っている。言葉にしないだけで海真自身は、その感情に気づいているのかもしれない。


「俺さ、いきなり連れ去られただろう? 瑠璃宮は不死帝の条件に合う男を捜していて、それに俺が当てはまっていた。気がついた時には都にいて、家に帰りたくても帰れない。ここにきて最初の頃は、地獄にいるようだった」


 その口が語るのは、三年前のこと。珠蘭の前から董海真が消えた時だ。

 こうして連れ去られることは他の聚落でもよくある話。宦官になるべく処置を受け、都に連れて行かれるのだとよく語られていた。だから珠蘭たちの親は、海真が帰らぬことを嘆いたが、定期的に届く金子から都で生きているのだと悟っていた。


「珠蘭や両親、見慣れた海。故郷に帰りたくて、逃げ出したことがある。霞正城(かしょうじょう)を出て、都をひた走った――こうしてここにいるから、結果はわかっていると想うけど」


 海真がため息をつく。望郷の念に駆られて城を飛び出したという話が、珠蘭の胸を締め付ける。兄の苦しそうな顔を見ているのはやはり辛い。


「その時に出会った人がいた。綺麗な人だった。彼女は居場所のない俺を匿ってくれた。見るからに不審な人物だったろうに、優しく声をかけてくれたんだ。でも彼女は後宮に入ることが決まっていた。入る宮はまだ決まっていないが、家の意向で入宮は間違いないのだと教えてくれた」

「もしかして、その人が沈花妃ですか?」

「まだ花妃になる前だったから、(しん)麗媛(れいえん)という名だったけどね」


 空を見上げる、その表情は昔を懐かしんでいるのか穏やかだ。その瞳が夕暮れの空を映しているから、寂しく切なそうに思えてしまう。


「この人が苦しむことのないよう守らなければと思った。幸い俺はそういう立場になれる。その時、故郷を捨てたんだ。俺は霞正城で生きる。この人を影から守るために」

「もしかして。私を瑪瑙宮に入れたのも、そのため?」

「もちろん後宮の掌握のためはある。でも瑪瑙宮を選んだのは、お前が宮女としてあの方のそばにいれば、何かあった時力になれるから」


 兄は、沈花妃を慕っている。立場としてその感情を認めることができないまでも、故郷や家族を捨てられるほど、沈花妃を守りたいと思っているのだろう。


「不死帝の渡御がなければ沈花妃の立場が危うい。これは沈花妃を守るための提案なんだ。それを珠蘭もわかってくれ」

「……はい」

「それ以外も後宮は何があるかわからない。だから沈麗媛のことを頼む」


 今の海真は不死帝だ。いつ殺されるかわからない立場にいる。


(兄様の身に何かが起きても、私が沈花妃を守れるように)


 ここで頼まれたことは、今日明日で終わるものではない。たとえ兄が死んだとしても続く頼み事だ。


(兄様と花妃はすれ違うしかないのかな)


 不死帝であることを明かせず、ただの宦官として接する海真。海真を慕うが故に不死帝を拒否する沈花妃。

 同じ道を見ているようですれ違う。それがもどかしく、悔しさから手を強く握りしめた。



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