4.恋色なき園で 13/13
集まったのは伯花妃の部屋である。
二人の花妃の間に劉帆と珠蘭が座る。珠蘭を捕らえた宮女は両手と両足を縛った状態で、武装した兵に挟まれて部屋の隅にいた。
部屋の外では宮女や宦官たちが扉の隙間から覗こうとしていたが、伯花妃の一声で皆が散っていった。廊下はしんと静かだ。
珠蘭は立ち上がり、それぞれの顔を眺めた。
「珊瑚宮女の殺人事件は、珊瑚宮の宮女である樹然の首を、黒宮の柳の下で発見した――そういう話でしたね」
「……ええ」
これは呂花妃だけでなく、劉帆や伯花妃といった面々も頷いた。ここまでは皆、同じ認識だったのだろう。
「でも本当は違っていたんです。珊瑚宮の者が発見したのは、樹然の首ではない。胸を突かれて死んでいた樹然ではありませんか?」
伯花妃や劉帆は目を丸くしていたが、呂花妃だけはこちらを見ようともしなかった。唇を噛みしめている。
「おかしいと思ったんです。近くに簪が落ちていただけなのに翡翠宮が犯人だとどうして断言できたのか。これがもしも遺体に刺さっていたのなら、翡翠宮を疑うのは当然です。呂花妃は間違いなく翡翠宮だと断言していた」
「……」
「だから考えました。翡翠宮の簪が側に落ちていたと言っていましたが、実際は胸に刺さっていた。黒宮の発見現場に遺体切断をしたような大量の血痕が見つからなかったのは、あの場で遺体を切断していないから」
この件に翡翠宮の簪が絡んでいたことを、翡翠宮の主である伯花妃は知らなかったのだろう。驚いた顔をしていたが、すぐに扇で口元を隠した。話の腰を折らずにいてくれたことに、珠蘭は心の中で感謝する。
珠蘭は袖口から、布の切れ端を取り出し、皆に見せる。
「それは黒宮の柳に引っかかっていたという布だね」
劉帆の問いに珠蘭は頷いた。
「柳の幹にありました。珊瑚宮の宮女の襦裙に使われている布です。何かの拍子に千切れたのでしょう――例えば、幹に寄りかかっていた遺体を引きずる時などの」
「――っ!」
これに呂花妃が反応した。言葉は発さなかったものの、息を呑むその姿は、珠蘭の予想が当たりだと告げるもの。見れば顔色はみるみる青くなっていく。
「だが待て。なぜ遺体を首だけにする必要があった? わざわざ遺体を引きずり首だけにする必要がわからぬ」
「私もそれが引っかかっていました。遺体が首だけだったこと、体を隠す必要について考えてもなかなかわかりませんでした」
だがそれは黒宮で出会った不審な宦官が教えてくれたこと。その通りならば珊瑚宮は樹然の体を隠す必要がある。珠蘭は呂花妃をじっと見つめて告げた。
「柳の下で胸を突かれて殺された樹然は――男」
「男?」
伯花妃は訝しそうに首を傾げている。
「この後宮に男は立ち入れぬ。入れるのは宦官だけであろう」
「そうですね。しきたりとしては――でも、殺された樹然は男だった。違いますか?」
呂花妃の様子を見る。その体がかすかに震えていたが、口を割る様子はまだない。珠蘭は続ける。
「どのような事情かはわかりませんが、男である樹然を宮女として受け入れていたのでしょう」
「なるほど。男であっても小柄で華奢な体格の者がいる。髪を伸ばし襦裙を着せれば女人のように見えるかもしれぬな」
幸い、この後宮には仮面という制度がある。顏は上半分まで隠すことができるのだ。不死帝が渡るとなれば樹然を隠せばよい。他宮女たちの協力を得れば隠し通せるはずだ。
「でも樹然は殺されてしまった。だから珊瑚宮は彼が男であることを隠す必要がありました。遺体と首をわけ、おそらく体は庭に埋まっているのだと思います」
最近造ったという、毒のない花が植わった花壇。あの土はどこからか持ってきたものだった。樹然を埋めたことを隠すため、花壇を装ったのだろう。
すると劉帆が頷いた。
「では掘り返してみよう。珠蘭の推理が当たっているのなら、花壇の下に首のない遺体があるはずだ。さっそく人を集めて――」
「おやめください」
劉帆の提案を遮ったのは、呂花妃だった。静かな、低い声音である。その顔は苦しそうに歪められ、伏せ気味の瞳は切なく潤んでいる。
「……掘り返さないで、眠らせてあげて」
その言葉は、花壇の下に遺体が埋まっていると認めるもの。ぽたりと、まなざしから光る粒がこぼれ落ちた。
「樹然は……私の恋人だったの。あなた方の言う通り、女人のように華奢で可愛らしい男子だった。後宮入りが決まった時に別れを告げたけれど、彼は私を追いかけてきたわ」
「宦官にならず、宮女として、ですか?」
「そう。信頼できる宮女たちに樹然のことを話し、協力してもらったわ。不死帝が宮にくることなどないもの、想い人を側で愛でたっていいでしょう?」
不死帝の渡りはここ数年ない。帝がこないと考えて、男を招き入れていたのだろう。宦官になれば花妃のいる宮ではなく、瑠璃宮の所属となる。側に置くためには宮女になり、自らの宮に置かなければならない。樹然が華奢な者であったから出来た謀りだ。
「あの子はね、可愛い子だったの。宝物だった。でも私を後宮から解放しようとしていたわ。だから不死帝の秘密を調べていたらしいの」
「それで黒宮に近づいたのか」
劉帆がため息交じりに呟く。呂花妃は頷いた。
「樹然が最後に何を調べていたのかはわからない。だってあの子は殺されてしまった。あんなに可愛らしい子が無残に死んでいたのよ。胸に刺さった簪を引き抜く時の、あの絶望が、今も夢に出る。手が震えて、簪が折れたわ。あの子の胸に簪の先が残ったまま――だから私は誓ったのよ、犯人を見つけ出して仇をうつと」
ぼたぼたと落ちる涙を厭わず、その瞳は悲哀と憎しみを浮かべている。
呂花妃が翡翠宮をひどく恨んでいたのは、愛しい者が殺され、その犯人が翡翠宮にいると考えていたからだ。珠蘭に事件の調査を依頼したのは犯人を捜し出し、復讐するためだ。
「樹然のことが知られた以上、私や呂一族には処罰が下るでしょう。珊瑚宮も廃宮になる。その覚悟はとうに出来ているの――だから、犯人だけはこの手で」
告げた後、呂花妃は伯花妃に視線をやった。今も翡翠宮を疑っているのだろう。だが犯人は違う。
「犯人の話をします。伯花妃、筆をお借りできますか?」
聞くと伯花妃は立ち上がり、書箱から筆と紙を取り出した。
「印紙を使ってもいいのでしょうか?」
「よい。我は興味がない」
紙に書くなど初めてのことだ。貴重な機会に驚きつつ、筆を走らせる。紙は筆の滑りがよく、墨の吸収が早い。それに驚きながらも珠蘭は波濤と花を描いた。
「これは珊瑚宮で拝見した、遺体から見つかった翡翠簪の文様です」
波濤の合間に夾竹桃の花が三輪。その画を眺めていた呂花妃や劉帆は感嘆の声をあげた。
「すごい。あの簪とまったく同じ」
「記憶力の良さを生かして模写まで得意ときたか。いやいや、すごいなあ」
「翡翠色だったことや宮花の夾竹桃から翡翠宮だと考えたのでしょうが、これは伯花妃が持つ簪ではありません」
と告げるも伯花妃自身、違いに気づいていないようだった。
「うん? 我にもわからぬな。何の違いがある?」
「実物を出していただければわかるかと」
すぐさま伯花妃が厨子から簪を取り出す。紙の横に並べれば、違いが見えた。
「なるほど。我の簪は夾竹桃が四輪。画にあるのは三輪だ」
「はい。この簪は花妃が入れ替わった際に作られるものだと伺いました。これは別の、翡翠花妃の簪だと思われます」
「ふむ。となれば先代だな。三輪ということは、我の前にいた翡翠花妃のものだ」
呂花妃も画と簪の模様を見比べる。それから力なく椅子にもたれかかった。
「……何てこと。先代の簪だったなんて。私はずっと……伯花妃を疑って……」
すると伯花妃が立ち上がり、呂花妃の肩に優しく触れた。
「よい。これではおぬしが我を恨むのもわかる。誤解は解けたのだ、赦そう」
「伯花妃……ありがとうございます……」
「珊瑚宮に男を迎え入れたことについては言い逃れできぬ。どこぞで沙汰が下るかもしれぬ。だが、我はその気持ちがわからなくもない」
淡々とした物言いでありながら、言葉が温かい。伯花妃は微笑んだ。
「愛なき後宮と言われているがこれは寂しい場所だからな。誰かを想いたい寂しさや孤独は、我もわかる。辛い思いをしたな」
瞬間、呂花妃の瞳から再び涙が溢れた。誤解が解け、二人の間にあった溝が埋まったのだ。
そして残るは最後の問題――珠蘭は、縛られている宮女に視線を送った。
「……おそらくですが、彼女が知っているかもしれません」
手巾を手に立ち上がり、宮女の元へ向かう。
確証はないものの、予想は出来ていた。兵に宮女の顔を押さえてもらって、仮面を外し、手巾で顔を拭う。
手巾にはぱらぱらと粉のようなものや塊がついた。おそらく白粉に粘土や水分を混ぜて練ったのだろう。それを顔につければ元の肌を隠せる。分厚く取ったものを乾燥させ練粉で口元につければ皺のようになる。肌色に近づけるため粘土を混ぜたのだろうが、これがよくなかった。口を動かすたびぽろぽろと粉が落ちる。
手巾を水盤につけ顔を拭く。何度も繰り返していると、全ての練粉が取れた。
その顔をまじまじと眺めて、ため息をつく。そうかもしれないと想っていた人物がいたからだ。
「……水影」
その名を呼ぶ。水影は憎らしそうに奥歯を噛みしめて珠蘭を睨んでいた。
「耳朶の形からそうかもしれないと思っていた。顔を変えたのは私の記憶力から逃れるため?」
問うも水影は答えない。
瑪瑙宮で珠蘭に罪を着せようとした水影は、黒宮では老宦官に化け、ここでは翡翠宮の宮女に扮していた。顔を塗ってまで変装しようという意気は見事だが、水影がここまで至った理由がわからない。
「黒宮で会った老宦官は水影でした。そして老宦官は樹然が男だと知っていた――樹然を殺したのは、水影だと思います」
これにも水影は答えない。珠蘭の話を聞くなり立ち上がったのは呂花妃だ。おぼつかない足取りで駆け寄り、水影の両肩を掴む。
「ねえ、あなたなの? あなたが私の樹然を殺したの?」
「……」
呂花妃のうつろなまなざしを浴び、水影は嗤った。
「そう。あたしが殺した」
「っ、こ、この……!」
「あの男は黒宮を探っていた。だから、殺される前に殺しただけのこと」
すぐさま呂花妃の手が水影の首を掴む。
「お前が! お前が樹然を!」
かなりの力が込められているのだろう。細やかな腕が強ばって骨がうすら出ている。目は血走って、今にも水影の喉をすり潰さんとしていた。
「だめだ! 離れろ!」
劉帆や衛兵たちが慌てて呂花妃を引き離した。それでも呂花妃は泣き叫ぶ。
「仇をとるの。樹然が殺されたの。あの子はもう帰ってこないのよ」
「水影を連れていけ。珠蘭は呂花妃を押さえてくれ!」
「やめて、連れて行かないで、私が仇をとるの、お願い、私に殺させて」
呂花妃の悲痛な叫びは虚しく、水影は衛兵たちに連れて行かれた。
その姿が廊下に出て見えなくなっても、呂花妃の涙は止まらない。
「樹然……あなたが死んだのに私は……」
落涙一粒、床に落ちれば、悲しみが部屋に広がっていく。それは珠蘭の心にも届き、視界が滲んだ。
床に伏せて泣く呂花妃に寄り添ったのは伯花妃だ。彼女の瞳もまた悲哀の潤いを湛えている。
(恋も愛もない後宮か……寂しい場所だ)
瞳から涙が落ちぬよう天井を見上げる。
仮面で覆い隠す謀りの園は、恋色を知らない。ここにあるのは悲哀だ。




