4.恋色なき園で 7
翌日は、今にも雨が降りそうな鼠色の雲が広がる天気だった。重たい雲を見上げながら、珠蘭は翡翠宮を目指す。
これは沈花妃の頼まれ事がきっかけだった。朝一で呼ばれたと思えば、翡翠宮への届物を依頼された。先日の茶会のお礼として、河江が焼いた菓子を持っていってほしいと頼まれたのだ。
(というのは表向きで、実際は自由に散策していいってことだと思う)
依頼の真意は汲んでいる。珊瑚宮の事件について調べるのなら翡翠宮のことも調べねばならない。帰りは周り道をして黒宮も寄るつもりだ。噂の廃宮を一度は見たいところである。
茶会で通った道を辿れば翡翠宮につく。宮女たちが寵愛の宮だと噂していた翡翠宮は、改めて見上げれば荘厳な作りをしている。他の宮よりも広く、細部まで豪奢に飾られている。
「瑪瑙宮から届物を持って参りました」
門柱に翡翠宮女が見えたので珠蘭は声をかけた。
「……瑪瑙宮から?」
反応はどうにもよくない。その宮女は眉間に皺を寄せ、珠蘭の顔を矯めつ眇めつ眺めている。不審者だと疑われているのだろうか。
「ここでお待ちください」
宮女はそう言って、奥に戻っていった。
しばらく待つと、数人の宮女を引き連れて戻ってきた。皆の顔が険しい。珠蘭の来訪が快く思われていないことをひしひしと感じた。
「届物はこちらで受け取ります。お下がりください」
先頭に立つ宮女は冷ややかに言い放った。他の宮から来たのだ、もう少し柔らかな態度を取ってもよいと思うのだが、対する翡翠宮女たちは頑なである。
「翡翠宮は開かれた時以外、他の宮女を迎え入れません。これ以上踏みこめば伯花妃の怒りを買いますよ」
「……わかりました」
たかが届物なのにここまで言われるとは。ため息をつきながら珠蘭は籠を渡す。
すると籠を受け取った宮女は、その中身を確認し――庭に放り投げた。
「な、何を――!?」
河江が焼いた菓子は、土に落ち、ぐしゃりと凹んでいる。さらに宮女の一人が菓子を足で踏み、地面にこすりつけている。これでは到底食べることなどできないだろう。
せめてと泥のついた籠を拾い、珠蘭は宮女たちを睨む。
「どうしてこのようなことをするんですか」
「他の宮からの届物など必要ありません。花妃への毒が入っているのでしょう」
「毒など入っておりません」
言い返すも宮女たちの耳には届かない。用は終わったとばかり、宮女たちが背を向ける。
珠蘭は翡翠宮の奥に戻っていく背を睨むことしかできなかった。
(伯花妃と沈花妃の仲は悪くないはず。なのに届物を受け取らないってどういうことだろう)
疑問に思いながらも、珠蘭はその場を離れることにした。長く居座って、いらぬ誤解をされては困るためだ。
翡翠宮への届物はうまくいかなかったが、帰りは黒宮に寄ろうと決めている。翡翠宮の周囲をぐるりと回って黒宮に向かうことにした。
そうしてしばし歩くと、遠くに翡翠宮の渡り廊下が見えた。誰かが歩いている。
(豪奢な襦裙……伯花妃かな)
艶々とした黒髪から伯花妃だとわかった。その顔に仮面がついている。
宮の中でも仮面を着けることはあまりない。ほとんどの花妃が、宮では仮面を外しているのだと聞いた。そのため伯花妃が仮面をつけて渡り廊下を歩いていることが異質のように思えた。
まじまじと眺めていては花妃に気づかれるかもしれない。珠蘭は身を屈めて、茂みに隠れた。
花妃は渡り廊下をゆっくりと歩く。時折足をとめ、あちこちを見渡しながら。その姿が宮の中に消えた後、珠蘭は再び歩き出した。




