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4.恋色なき園で 6

 後日、珠蘭(しゅらん)(シン)花妃(ファフェイ)と共に珊瑚(さんご)宮へ向かった。手土産として持ってきた菓子は河江(かわえ)が今朝焼いたものだ。籠から甘く香ばしいかおりが漂っている。


 珊瑚宮は紅を基調とした宮だ。枯緑色(クーリュー)にしかみえなかったものの、珠蘭の瞳について知っている沈花妃がすぐに色を教えてくれた。


「……珊瑚宮は毒花が植えられているのでしょうか?」


 珠蘭が訊いた。というのはどこを見渡しても毒花が見つからなかったからだ。

 すると沈花妃は珊瑚宮の庭園を指さした。


「時期じゃないだけよ。珊瑚宮は紅の石蒜(ヒガンバナ)が咲くの」

「石蒜……やっぱり毒がある花なんですね」

「そうね。どこも毒花だらけよ、ここは霞の後宮なんだから」


 毒花など些細な出来事だと言うような軽さで、沈花妃が答えた。今日は非公式の集まりなので仮面をつけていない。

 石蒜に珊瑚、紅の柱。どれも燃えるような紅色をしているのだろう。この瞳ではそれを稀色としか映さないことが、少し寂しい。


 そうして歩いていくと(リョ)花妃(ファフェイ)が待つ部屋へと着いた。(つくえ)には茶器が並んでいる。宣言通り、茶と菓子を用意していたようだ。


 呂花妃は仮面をつけていない。仮面を外せば、沈花妃と大して変わらぬ年齢に見える。赤茶けた髪は側頭部低めの位置で編み、輪のようになっている。飾りは質素なものをつけている。沈花妃の胸部は襦裙(じゅくん)を持ち上げるほど大きいのに対して、呂花妃の胸部はささやかで、すらりと引き締まっている。腕はほそりとしながらも筋肉のこわばりがわかる。体を動かすことが好きなのかもしれない。


 その呂花妃は目を光らせ、珠蘭に顔を寄せた。


「待っていたのよ。董珠蘭が大立ち回りをした瑪瑙宮のお話を聞かせてちょうだい」

「い、いや……大立ち回りは大袈裟すぎるかと……」

「あら。でもあなた、記憶力がいいのでしょう? 難事件も解決できるとか」


 噂が一人歩きしている。難事件の解決など初耳だ。珠蘭が口にしたこともない。どこぞの宮女たちが面白おかしく話しているのだろう。勘弁してほしいとため息をつきながら、珠蘭は丁寧に説明する。


「記憶力は確かに良いです。でも難事件の解決は難しいかと」


 これ以上厄介な頼み事を引き受けたくない。そう考えて発したものの、呂花妃の耳には入らなかったようだ。


「ねえ。私があなたに難事件の調査を依頼したら、引き受けてくれるのかしら」

「は、はい? ですから私は、難事件の解決は難し――」

「これを見てちょうだい」


 否定しようとする珠蘭だったが、呂花妃が椅子を大きく揺らして立ち上がったことで遮られた。


 呂花妃は話を聞いていないのではない。あえて聞こうとしていないのだ。珠蘭を呼んだことも瑪瑙宮の一件を聞く名目をつけておきながら、実際は異なる。その意図をようやく察し、珠蘭は静かに呂花妃の動きを待つ。


 彼女は厨子(ずし)から一本の(かんざし)を取り出し、几に置いた。それはどこかで見たことのある、足の太い簪だ。文様が彫り込まれている。珠蘭の瞳にはそれが枯緑色としか映らなかったが、確実に瑪瑙宮の簪と違うことがわかった。


(文様の花が違う)


 色はわからなくとも、文様が異なる。波濤の間に咲く花が、瑪瑙宮の毛地黄(ジギタリス)ではない。丸く可愛らしい花弁が五枚の花。何の花だろうかと考えていると、隣に腰掛けていた沈花妃が表情を強ばらせて呟いた。


「翡翠の……簪……」


 声が喉に張り付いてしまったように枯れている。それほど驚いているのだ。


(これが翡翠色の簪をしているなら描かれている花は翡翠宮の宮花――夾竹桃(キョウチクトウ)


 花の正体を知り、納得する。これは翡翠宮で作られた簪だろう。簪に掘られた夾竹桃の花は三輪。

 不思議なことにこの簪は欠けていた。文様が途切れた先で折れている。


 まじまじと眺めていれば、席に戻った呂花妃が口を開いた。これから語るものが珠蘭を呼び出した本当の理由だと告げるように真剣な顔つきをしていた。


「珊瑚宮の宮女が殺された話は、知ってるかしら?」

「聞いたことがあります」

「じゃあ話が早いわね――この簪は、殺された宮女の近くに落ちていたの。第一発見者はうち(珊瑚宮)の宮女だから、この簪も一緒に見つけたのよ」


 視線だけを動かして隣の様子を伺えば、沈花妃は口元を扇で隠して固まっていた。絶句しているのだろうが、その表情を見せぬよう隠しているのだろう。しかし瞳は不安を示すように揺れていた。


「簪の折れた先はわからない。でもこれがそばにあったということは、翡翠宮のものが宮女を殺したんでしょう」

「このことを瑠璃宮や宦官たちには伝えましたか?」


 珠蘭が訊くと呂花妃は頷いた。


「もちろんよ。犯人を捜してもらいたかったから――でも事件は未解決のまま片付けられようとしている」

「未解決って……どうして」


 咄嗟に聞いたのだが、珠蘭の問いかけは呂花妃の顔色を変えた。声音は悲痛に沈み、うつむきながら答える。


「相手が翡翠宮だからよ。伯花妃に誰も逆らえない」


 線が、繋がった気がした。

 呂花妃が翡翠宮の(ハク)花妃(ファフェイ)に強硬な態度を取るのはこれが理由だろう。珊瑚宮女の遺体そばにあった翡翠の簪。しかし誰に訴えても翡翠宮にいるだろう犯人を探そうとしないから。


(……でも、引っかかる)


 線は繋がれど、腑に落ちないところがある。簪ひとつで翡翠宮が犯人と決めつけるのは尚早だ。例えば、殺された宮女が何らかの理由で翡翠簪を持っていただけかもしれない。犯人と結びつけるまでには、様々な可能性が秘められていて、断定できない。


 もう一つ気になるのは、第一発見者が珊瑚宮の宮女ということ。これは聞くしかない。珠蘭は呂花妃をじっと見据えて問いかけた。


「遺体を発見した珊瑚宮の宮女は、なぜ黒宮に近づいたんでしょうか?」


 呂花妃は唇を真一文字に結んだまま。珠蘭がさらに問う。


「黒宮は廃宮。近づけば呪われるとの噂を聞いたことがあります」

「そうね。わたくしも聞いたことがあるわ。後宮にきたばかりの頃、黒宮に近づいてはならないと教えてもらったもの」


 沈花妃も黒宮の呪いについて知っているようだ。ありがたい援護射撃である。それでもまた口を割ろうとしない呂花妃のため、さらに言葉を並べる。


「黒宮は後宮の外れにあります。ここからでも随分と歩くはず。呪いだなんて物騒な話のある宮にどうして向かったのでしょう」


 すると呂花妃はようやく口を開いた。震えた声で答える。


「殺された宮女は樹然(じゅねん)と言うの。朝から樹然の姿が見えなくて、うちの宮女たちが探し回ったのよ。でもどれだけ後宮を探しても見つからなかった。黒宮の呪いは私も皆も存じていること、誰も近寄りたがらなかった。だから最後に向かったの――そして黒宮の近く、柳の木の下で樹然の首を見つけたわ」


 言い終えると、呂花妃の瞳から大粒の涙がこぼれた。手をかたく握りしめている。手のひらに爪が食いこむ音が聞こえそうなほど強く。


「樹然は……大切な宮女だったの……私が珊瑚宮にきた後で、呂家からわざわざ追いかけてきてくれた。信頼できる、大切な存在だったわ」


 涙は拭わず、頬をぬらしたままで、呂花妃が珠蘭を見つめる。濡れた瞳が悲しげに煌めいた。


「お願いよ。樹然を殺した犯人を捜して」


 これが、呂花妃が頼みたかったこと。呼び出しの真意にようやく触れれば、それはひどく重たい。珠蘭は小さく息をついた。


「……私は、難事件の解決ができるわけではありません」


 珠蘭は宥めるように告げる。彼女の瞳があまりにも憂いて美しいから、目を合わせることはできなかった。


「自分にできることをしているだけです。ですから、犯人を見つけると約束はできません」


 告げると呂花妃の瞳からぼたぼたと涙が落ちた。彼女にとって珠蘭は、事件解決のための最後の寄辺だったのかもしれない。裏切られたように悲しげな顔をした後、涙を拭う。


「……あなた、正直者なのね」


 涙声で呂花妃が言った。


「約束はできなくともいいわ。でもあなたが後宮で、この件に関わる何かを見た時、教えて頂戴」


 珠蘭は静かに頷いた。


(呂花妃は……犯人が見つかった時、どうするのだろう)


 もう一度、呂花妃の手を見る。強く握りしめられた手のひらは赤くなっていた。




 部屋を出て、渡り廊下を歩く。じわりと温かな風が流れ心地よい。庭を見るが、そこは寂しい荒れ地だった。


「時期がよければ珊瑚宮の庭が美しいと聞いたことがあるの」


 沈花妃は暗い話など忘れたように明るく微笑んでいる。呂花妃も誇らしそうに頷いた。


「もう少し涼やかな頃だったらね、石蒜(ヒガンバナ)が咲いてそれはそれは綺麗なの。その頃にまたいらして」

「まあ楽しみだわ。その頃にまた伺いましょうね、珠蘭」


 二人は和やかに庭を見ている。石蒜が咲くのだろうあたりは雑草もわずかにしか生えていない。石蒜は多年生の球根性植物だ。それが植わっている場所は土壌も毒にやられ、雑草すら生えにくくなる。咲き頃以外は寂しい庭だ。


 そしてふと、庭園の奥に目をやった時である。小さな池の向こう、そこに花が咲いているような気がした。


「……あれは何を植えているんですか?」


 珠蘭が呟くと、呂花妃は足を止めた。


「私が植えたのよ。毒花だけの庭なんて寂しいでしょう? 石蒜の咲かない頃でも、お花があれば心が凪ぐから」


 ここからは色の判別が難しい。しかし花弁の形から花が咲いていることはわかる。目をこらしている珠蘭に気づいた呂花妃は、くすりと微笑みながら告げた。


「見に行きましょう。こちらにきて」


 渡り廊下をおりて、庭園に立つ。庭園の外れに、確かに花壇があった。花はもちろんのこと、葉牡丹(はぼたん)石菖(せきしょう)といった草も植えられている。


「毒のない花たちなの。土壌から変えなきゃいけないから少し大変で」

「とっても綺麗よ」


 陶酔した呟きは隣の沈花妃である。


 その場所は呂花妃が語ったように、別のところから土を運んできたのだろう。土の色が周囲と異なり、綺麗に削られた御影石で囲っていた。

 呂花妃は身を屈めて、じいと花壇を見やる。愛し子を眺めるように、穏やかに微笑んでいた。


「この場所の手入れが毎日の楽しみなの。季節に合わせて花も植え替えようと思っていて」

「素敵な楽しみね。わたくしの庭園でも花壇を作ってみようかしら」


 二人が愉快な笑い声をあげる中、珠蘭はじいと花壇を見つめていた。


 石蒜の荒れ地とは違う、緑の園。それは毒花溢れる後宮でも珍しく清らかなる場所。

 珠蘭の稀色の瞳は、しばしの間花壇を目に焼き付けていた。褪せた枯緑色の園を。

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