4.恋色なき園で 5
茶会が終わり、珠蘭は沈花妃と共に瑪瑙宮に戻ろうとしていた。翡翠宮を出て玉砂利の道を歩く。珊瑚宮を通り過ぎる直前で、その人物がこちらにやってきた。列の中にいる珠蘭を見抜き声をかけてくる。
「瑪瑙宮の董珠蘭かしら?」
それは先ほど見たばかりの人物、珊瑚宮の呂花妃だった。宮女を二人しか連れていないお忍びの状態だ。
珠蘭の周囲にいた瑪瑙宮女たちは一斉に頭を下げた。他宮の花妃であれ敬意を払わなければならない。突然、呂花妃がやってきたことで呆然としていた珠蘭も我に返って頭を下げた。
「あら。頭をあげてちょうだい。私は、董珠蘭に頼みごとがあって来たのよ」
「……頼みごと、でしょうか」
おそるおそる顔をあげる。呂花妃は仮面をつけたままだったが、口元をにいと緩めて微笑んだ。
「瑪瑙宮での一件を聞いたの。あなた、なかなか面白いじゃない。だから、私はあなたとお話がしてみたくって」
固まる珠蘭だったが、このやりとりに気づいた沈花妃がやってきて助け船を出した。
「まあ、呂花妃。わたくしの宮女に御用でも?」
「董珠蘭の噂を聞いたから私も話してみたかったの――そうだわ、沈花妃も珊瑚宮にいらっしゃらない? お話を聞かせてほしいわ」
珠蘭だけを誘うのかと思いきや、沈花妃も巻き込まれる形となってしまった。
相手は茶会でも唯一翡翠仮面をつけなかった呂花妃である。翡翠宮の伯花妃と友好な関係を築くのであれば、ここで珊瑚宮の呂花妃と関わるのを避けた方がよいだろう。
どう答えるだろうかと沈花妃の様子を盗み見る。仮面をつけたままといえ、悩んでいる様子が窺えた。
「……では今度お伺いします」
しばしの間を置いたのち沈花妃は答えた。相手の誘いに乗ったのである。この重大さをわかっている宮女たちが息を呑んだのがわかった。
「ああ、よかった。美味しい茶と菓子を用意して待っているから、沈花妃も董珠蘭もきてくださいね」
誘いに乗ったことが喜ばしかったのか、呂花妃の声音は高い。早口でまくし立てるように言った後、優雅に礼をして去っていった。
嵐のようにやってきて嵐のように去る人だ。彼女の背を見送る沈花妃も苦笑している。
「誘いを断らなくてよかったのでしょうか?」
珠蘭は小声で聞いた。すると沈花妃はにっこりと微笑み、珠蘭の耳元で小さく囁いた。
「いいのよ。だってあなた、珊瑚宮に行かないと調べられないでしょう?」
つまり、沈花妃は珠蘭のために呂花妃の誘いに乗ったのだ。
確かに珊瑚宮女殺人事件を探るのなら珊瑚宮に近づく必要があるのだが、沈花妃がそこまで協力してくれるとは想像もしていなかった。
感謝の気持ちで思考が停止する。こんなにも沈花妃に良くしてもらっていいのだろうか。髪に挿した簪が重たいから余計に嬉しく思えてしまう。
「……ありがとうございます」
素直に感謝の言葉を伝える。すると花妃が微笑んだ。
「あら珍しい。あなたが嬉しそうにしているなんて」
「こ、これは感謝の気持ちを伝えようと――」
「照れなくてもいいじゃない。あなたの笑顔は可愛らしいわ」
髪に挿した簪が重たい、けれど、心地よい。




