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1.壕に土色の

 後にして、彼女の視る色を稀色(まれいろ)と呼ぶのだが、この時は名などついていなかった。



 場所は島統一を果たした()王国の外れ、海岸の小さな聚落(しゅうらく)

 海側から見上げれば、自然を切り取ったような岸に人工的な四角い穴が空いていた。貴重品である玻璃を使った小窓で、これは海を望むために設けられている。

 陸にあがったら岸を回り込む。鬱蒼と茂る藪を抜け岩場に近づけば、苔むした岩に長葉が覆い被さっている。その葉を避けると、隠されていた入り口が見える。それは彼女がいる壕に繋がっていた。


 この壕は洞を加工して作られたらしく、岩の合間に補強として差し込まれた木材がある。木材は黴びて黒ずんでいた。奥に行くにつれ、岩は姿を消してほとんどが木の壁となり、定期的に手入れをしているのか木材の傷みも減る。

 壕に明かりはなく、手持ちの蝋燭のみ。海が近いからかじめついて、肌に纏わりつく。あまり良い環境とは言えない。


 最奥部。ぽかんと開いた木の部屋に、彼女――(とう)珠蘭(しゅらん)がいた。

 光源となるものは海に面した小窓しかなく、一日中薄暗い部屋では明かりがいる。壁の吊り燭台はゆるやかな灯りをともしていたが、蝋はちびていた。もうすぐ蝋燭を変えねばならないとわかっていながらも珠蘭は窓に目をやっている。

 小窓から覗く海に、一艘の船が見えていたのだ。珍しいことである。だが積み荷は随分と少ない。ここから船が見えてもほとんどは漁船であって、人や荷の少ない船は見たことがない。不審船だと珠蘭は考えた。

 不審船が止まっていたとしても、珠蘭に影響を与えることはないだろう。だから動じることなくぼんやりと窓を見つめている。

 この壕は聚落の者でも一部しか知らず、訪ねてくるのは両親ぐらいだ。一日に二度ほど、ここへご飯を運び、身の回りの世話や外の話をして去っていく。


(今頃、兄はどうしているのだろう)


 来訪者のことを考えていた時に浮かんだのが、三年前に消息不明となった珠蘭の兄、(とう)海真(かいしん)のことだった。珠蘭は頬杖をつき、考えこむ。


 海真は、事情により壕に住むこととなった妹を気遣い、足繁く通ってくれた。外で見つけた花や草を手土産に、面白い話を仕入れては珠蘭に聞かせてくれたものだ。

 幼き頃から学問の才があると言われ、その片鱗は珠蘭にも伝わっていた。穏やかな物腰でありながら観察眼に優れ、記憶力もいい。学問への探究心が強く、時間さえあればいつも書を手にしていた。

 聚落の男は、よほどのことがない限り漁師の道へ進むのだが、海真はいずれ都に出て貢挙を受けるのだと思われていた。周囲の者がそう思うほど、彼には才があった。

 それが三年前に失踪したのである。それも、ここを訪ねた海真が『妹を残していけないから、僕は都に行かない』と宣言した日のことであった。以来、海真が壕に来ることはなく、涙を浮かべた両親から海真の消息不明を聞かされて終わった。


(おそらくは生きているんだろうけど、二度と会えないのは寂しい)


 ため息をつく。三年経つが、報せは届かない。

 実家には、定期的に莫大な金子(きんす)が届いているらしい。送り先が都なのは間違いないのだが、誰が送ったものかはわからない。

 この時勢、そういった話はよくあるもので、どこぞの聚落にいた才人が拐かされて宦官になっただの都に連れていかれただのと聞く。兄もその一人で、きっと都で生きているのだろうと思っていた。

 三年前に行方不明となり、兄が都で生きていたとしても、一生会うことはできない。それは壕の中で生きる珠蘭にとって、ひどく寂しいものだった。


 兄のことを考えていた珠蘭の瞳に、あの不審船が映っていた。そして物音がする。物思いに耽っていたため気づくのが遅れたのである。物音は外からではなく、後ろ。

 足音だ。音の数から察するに一人ではない。

 両親がやってくる刻限ではなかった。となれば侵入者か。


「誰?」


 珠蘭は立ち上がり、通路を睨みつける。


 ここに親族以外が立ち入ったことはなく、武器になるようなものを置いていない。咄嗟に手にとったのは(つくえ)に置いていた石である。昔に、先端が細くなっているから珍しいと兄が拾ってきたものだった。特段思い入れがあって取っておいたわけではないが、文鎮代わりにちょうどよかった。それをこんな風に使う日がくるとは。

 珠蘭は石を構えたまま息を潜めて待った。複数人の足音。


 竦み上がりそうだった。怖い。誰かがここに立ち入ることが、これほど怖いとは。


 土色をした木の壁。ここらは床にも木材を用いているので靴音がこつこつと響く。そして土色の床を踏んで現れた靴は――枯緑色をしていた。


「やあ。君が妹御だね」


 珠蘭の耳に入るは気の抜けた声だった。

 男である。背はすらりと高く、胡服を着ているものの細部まで手が込んでいる上、布地が平民のそれと違う。そして宝飾、腰に下げた刀の煌びやかなこと。

 こちらは、いつでも攻撃できるよう石を振り上げたままだというのに、男はそれを一瞥しても悠然としている。それどころか大きく口を開いて、珠蘭を嗤った。


「聞いていた通りに肌が白いな! 日に当たらぬと聞いてはいたが、かように白ければ蘑菇(きのこ)にもなれぬなあ。それに勇ましいときた」

「……あ、あの、あなたはどうしてここに」


 妹御、と言っていた。そしてどこからか珠蘭の話を聞いてきたらしい。


 けたけたと下品に嗤う男の後ろから、何者かがにょいと顔を出した。

 下品な男と背丈も髪も似ているので、分身したのかと冷や汗をかいたがよく見れば違う。年月を経ても懐かしさは色褪せない。懐かしい顔つきに、珠蘭は声をあげていた。


「兄様!」


 名を呼べばその顔が綻ぶ。珠蘭へ柔らかな微笑みを向けた後、董海真はこちらに手を差し出した。


「迎えにきたよ」


 三年ぶりに会う兄は、記憶にあるものと相違ない。しかし差し出された手のひらは、《《たこ》》や《《まめ》》でごつごつとして、珠蘭の知らぬ年月が刻まれているようだった。


「珠蘭の力を貸してほしい。だから、都にきてくれ」



 (とう)珠蘭(しゅらん)。彼女の運命はこの日大きく変わることになる。

 壕を出た彼女が向かうは、不死帝が治める()王国の中心 霞正城(かしょうじょう)。謀りと毒が跋扈する仮面後宮にて、董珠蘭が視る色は――稀色(まれいろ)

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