第7話:変化
「それじゃあ、わたしは何か作ってくるから、またあとでいろいろ聞かせてもらうわね」
「うん。分かったよ」
部屋を後にするテレジアを見送ると、ヒカルはサラに目を向けた。すやすやと寝息を立てて太ももの上で気持ちよさそうに眠りこけている、ちまっこく可愛い紅毛の犬。この姿を見ていると、とても自分を助けるためにあれほどの力を出した精霊とは思えなかった。
「サラ…」
見る者すべてに幸福感をあたえそうな、慈愛に満ちたほほ笑みを浮かべ、サラの丸まった背をやさしく撫ぜる。艶々とした体毛の感触が心地よい。それがこそばゆかったのか、サラはその小さな口を目一杯広げ欠伸をすると、身体全体で伸びをし、ムクリと起き上った。
「あ、おはようサラ。起しちゃったかな?」
ちなみに今は朝である。木の窓から降り注ぐ柔らかな陽光は、ヒカル達をやさしく包み込んでいる。
「うむ、おはよう…!?ヒ、ヒカル!?目が覚めたのか!?ヒカルーー!」
起きた直後の寝ぼけ眼は瞬く間に退散し、その小さな双眸をいっぱいに開いてヒカルを視認する。次いでイノシシよろしくヒカルの胸元に突進し、すがりついて声を出して泣き始めた。
「うぇぇぇ、ヒカル、ヒカルぅ。我は、我はぁ。ヒカルぅ」
「うぐっ…う、うん。ボクは大丈夫だよ、サラ」
小さな身体に似合わず存外に重い突進を受けて、左腕と脇腹の痛みに顔が引きつりそうになるのを根性で我慢し、サラに無事である旨を伝える。あと少し、左にずれていたら感動の場面をぶち壊しにしてのたうち回っていたかもしれないと、内心冷汗をかきながら、 涙声で何を言っているかよく分からないサラの背を、それこそ泣きじゃくる幼子をあやすかのように撫でつける。
サラも案外泣き虫なのかもしれないな、と頭の片隅で思いながら苦笑し、そこでふと、手に伝わるサラの色艶のよい体毛の感触にある疑問が浮上した。
「あれ…サラ、なんで具現化できてるんだ?」
起きてすぐは少し寝ぼけていたのと、いきなり場所が変わっていたこと、テレジアと話していたこともあって、気にしていなかったが、今考えるとすこぶる疑問に思う。サラの説明のニュアンスから、精霊の具現化は某ゲームのような召喚獣をヒカルは想像しており、そのことから考えたら、あの森から具現化し続けていると思われるサラの存在はちょっとおかしいのではないか。
「ぐす…ぐす…うん?ああ、そのことか。うむ…ずびぃい、ぐすん、よし」
ひとしきり泣いて落ち着いたのか、ひときわ強く鼻面を押し付けると、人の胸で盛大に鼻をかみ、涙はともかく鼻水で服をべちょべちょにするサラ。何がよしだ借りものなんだぞ。
「うむ、我がこのように具現化し続けていることは我も不思議に思っておった。人間の魔力ではよくても四半刻(30分)ほどでカラになると思っておったのじゃが…。ヒカルの魔力は特筆にあたいするやもしれぬな。寝ておる時も我への供給が途切れなかったぞ?」
「それを言ったら今までの状況全部特筆にあたいしそうなんだけどなぁ。…それにしてもボクの魔力、か」
顎に右手を添え、考え込むヒカル。おそらく甚大な量の魔力を持っていることと、意識を失ったいる間でも供給されていた魔力。理由を考えてはみるが、最近まで日本の学生という、魔力の「ま」の字もかすらない生活を送っていたのだから、分かるはずもない。まぁ、強いて理由をつけるというのならー
「これも何か関係があるのかも…いや、かもじゃないな。関係がある」
こちらに来たことか、自分が女になったことか、あるいはその両方か。しかし、いずれにせよ、
「ボクだけで考えるのには知識がなさすぎるな。…分かってたことだけど。…まぁ、最初に具現化したときみたいな全身の脱力感はないし、魔力が多すぎて困るってことも今はなさそうだし、諸手を挙げて歓迎する必要な無いにせよ、悲観する必要もなさそうだね」
「ふむ。ヒカルが良いなら、我が気にしても仕方がないの。それに我としてヒカルの魔力は心地が良いから、喜悦こそすれ邪険にするいわれはないからの」
「ははっ…そいつはどうも。あ、そうだ。寝てる間も魔力を供給してたって言ってたけど、一体どのくらいボクは気を失ってたんだ?」
気絶したのが夕方くらいだったとして、今が朝だから、半日とちょっとくらいか。しかし、実際は予想の斜め上だった。
「二日と半日ほどじゃ。心配したぞ」
「ふ、二日ぁ!?ボ、ボクそんなに寝てたわけ?」
「うむ。その間我に対して魔力は垂れ流し状態じゃったぞ?」
おまけにいくら摂受してもぐっすりじゃったぞ。と、先ほど泣いていたのが嘘のようにけらけらと笑うサラ。精霊に根こそぎ魔力を持っていかれて死に至る場合がある話を聞いているから、このやろう、怪我人になんてことしやがる、と、思わず喉から出かけるがここはぐっと我慢。今、ここでこうして無事にいるのもサラのおかげあってこそだ。サラがやったのはかわいいいたずらみたいなものだから、ここは大人の寛容さで受け入れよう!そうとも!あらあらうふふ、と大人の寛容さで許そうではないか!
「一度は森で行った時の10倍近くを一気に摂受してみたのじゃが、それでも阿呆のようにすやすやと眠りこけておったぞ?」
「怪我人になんてことをしてくれてんだよ!!」
寛容という言葉を、躊躇なく己の辞書から削除したヒカルであった。
「…テメルの森で魔力異常が発生した、だと?」
「はい」
男と老爺が、豪華な造りの書斎で話している。
「それはいつ頃発生したのだ?」
「二日ほど前に、私が精霊殿で瞑想を行っているとき感知致しましたので、おそらくその頃かと」
片膝をついた男が、巌のようなごつごつした顔に立派な髭を蓄えた老爺に報告をしていた。
「…何故報告せずに黙していたのだ」
「感知していたのがほんの数秒でしたので、私の勘違いかと思ったのです」
老爺は疑問を持つように眉根を寄せると男に問いかけた。
「では、何故今更になって報告を?」
「勘違いとは思えなくなったのです」
「それは何故?」
「…精霊術師としての長年の勘、です」
「勘?」
「はい。私の勘が、あれは勘違いでない、と今朝になって騒がしくなりましてね。それで報告をしに」
「ふむ」
老爺は立派な髭に手を添えると、しばらく考え込むように目を伏せると、おもむろに口を開いた。
「…お前の勘はなかなか侮れぬからな。よかろう。私から調査隊を派遣するよう進言しておこう」
「ありがとうございます。…それと、これも勘でしかないのですが…」
「かまわん。話せ」
「予感がします」
「予感?」
「はい。その魔力異常を引き起こした者が、我が国に、ひいては世界に影響を及ぼすかもしれません」
「…分かった。心に留めておこう。私は草案をまとめるからさがるとよい」
「はい」
男が書斎から出るのを確認すると、老爺は溜息をついた。…それにしても、魔力異常を引き起こした「者」、か。無意識のうちに人間が引き起こしたと思っているのだろうか。そう考えながら、調査隊派遣の草案をまとめようと、筆をとったところでふと思い出した。
先日、わずかに解読が進んだ石碑に刻まれていた一節を。
「…豊穣の…女神…。いや、まさかな」
そう呟きつつも、草案を早めにまとめあげると、老爺は石碑の解読に向かうべく書斎を後にした。




