第6話:出会い
女が森の中を歩いてた。腰まで伸ばした見事なブロンドを首の付け根の辺りで一つまとめているその女は、森の中で探し物をしていた。
「…ここも違うようね。かすかに名残りがあるけれど、そこまで強くはないわね…」
異変は、朝日課にしている剣術と魔法の鍛練を行っているときに訪れた。森全体を覆うように発生した強力な魔力の流れを感じたのだ。時間的にはそれほど長く感じていたのではないのだが、それがかえって怪しさと不自然さを醸し出し、結局午前の鍛練もそこそこに、装備を整え、こうやって調査に赴いたのだ。
「うーむ。名残りがそこかしこに散乱しちゃってて、中心地がイマイチよく分からないわね。…っと、ここからさきは番のグリズルの縄張りか。迂回をっと…ん?これは…人の足跡?」
金髪の女は、グリズルの縄張りをを迂回しようと、踵を返した先で真新しい人の足跡のようなものを見つけた。
自分と同じように朝の魔力異常を調査しに来たのか魔法使いか、あるいは魔力異常を引き起こした者なのか。…何れにせよ何か話が聞けるかも知れない。思わぬ発見にほくほく顔の金髪の女は、足跡の主のもとへ尋承してもらおうと、足跡の行き先を確認すると、その美しい顔を台無しにするようにあんぐりと大口を開けた。
「ちょ、ちょっと何よこいつ!グリズルの縄張りに一直線じゃない!馬鹿なわけ!?自殺志願者なわけ!?あー、もう!!」
金髪の女はそう悪態を吐くと、猛然と駈け出した。見た目は所謂クールビューティーといったところなのだが、その性分は案外世話焼きなのかもしれない。
続く足跡は、グリズルの縄張りの中心へずんずん進んでいる。もう、馬鹿であることは決定である。そのことに軽く舌打ちしながら、踏み込む足に力を込め、先を急ぐが、一向に追いつく気配がない。
追いつけないことへの焦りと、グリズルの縄張りの中心へ考えなしに進んでいる戯け者の馬鹿さ加減に理不尽な怒りが金髪の女に湧いてくる。
「こいつ…まさか、本当に自殺志願なわけ!?」
だとしたら、助けた後にしこたま殴って半日は説教してやる!
戯け者を縄で雁字搦めにして天井から吊るし、長々と説教を垂れている場面を想像し、口角を吊り上げる金髪の女の耳に、障りのある咆哮が饗然する。
まだ距離がある。立ち止まり、咆哮の大きさと残響からグリズルの位置と方角を目測する。…急がねば、今朝の魔力異常を引き起こした人物なら、あるいは大丈夫かもしれないが、普通の人間だったらほぼ間違いなく殺されてしまう。
「くっ…。間に合えっ!」
最悪の想像を振り払い、もはや足跡は無視して、最短距離でグリズルに接近し、制圧すべく、より一層力を込めて駈け出す。
「ま・に・あ・え〜!!」
彼女の健脚の助けもあり、グリズルの咆哮や地面を蹴る音が徐々に大きなり、ついにはグリズルとグリズルの咆哮を三度凌いだ猛者を視界にとらえた。
「犬…と、女の子!?」
思わずそう言ってしまった。世にも珍しい黒い髪を持った少女と紅毛の犬。あの凶暴なグリズルの咆哮を三度も掻い潜った猛者が、こんな年端もいっていないであろう少女とペットの小さい紅毛の犬であろうとは。しかし、その認識は直後に覆されることになる。
「!!!!!!!!!!」
炸裂する咆哮。そして、吐き出される巨大な火球。グリズルを容易く吹き飛ばし、気絶させたそれを見て、紅毛の犬はペットではなく、黒髪の少女が契約している精霊であると認識を改める。
そうしてそのギャップに呆けていたのと、黒髪の少女が無事グリズルを退けたことに安堵していたため、番のグリズルが木々を薙ぎ倒し、その少女に肉薄するのに全く反応ができなかった。
殴り飛ばされる黒髪の少女。咄嗟に左腕で防御を図ったとはいえ、グリズルほどの剛腕では無事では済むはずもなく、大きく後方へ飛ばされ、樹木に叩きつけられ、崩れ落ち、ぐったりと動かなくなる。
「…っ!わたしとしたことが、呆けて番の接近を許すなんて!」
数瞬とはいえ、呆け、周りの警戒を怠り、その結果黒髪の少女に重症を負わせてしまった。そのことに対する自責の念と、己の迂闊さに歯噛みすると、金髪の女は腰にさしている剣を勢いよく引き抜いた。ブロードソードのような幅広な刀身には、刃に被さらないようにびっしりと何かの文字や記号が刻まれており、それが普通の剣の類ではないことを暗に明示する。
「ふっ!!」
剣に魔力を注ぎ込む。文字や記号がそれに呼応するように淡く光りだすと、刀身の周りに暴風が吹き荒れる。金髪の女は剣を頭上高くに振りかぶると、今しがた黒髪の少女に止めを刺そうと歩み寄るグリズルへ向けて、勢いよく振り下ろした。
「いけぇぇぇぇ!!!」
剣から解き放たれた暴風は、射線上の障害物を薙ぎ倒し、グリズルを襲う。見当もつかない第三者からの攻撃にグリズルは大いに驚き、これまた大きく吹き飛ばされると、先のグリズルと同じように岩や樹木に激突し、気絶してしまった。
金髪の女はそれを見て、グリズルが起きだしてこないことを確認すると、取り敢えず魔法で応急処置をし、近くの村の診療所へ連れて行こうと、いまだぐったりしている黒髪の少女のもとへ駆け寄った。
まどろみとともにゆっくりと意識が覚醒して行く。さらさらと心地の良いシーツの感触を肌で感じると同時に強まってくる左腕と脇腹の痛みとおなかの圧迫感。…おなかの圧迫感?
「…サラ?」
なるべく痛まないように、首だけを動かして確認すると、ヒカルのおなかの上にはサラが丸まって寝息を立てていた。
精霊も眠ったりするんだな。そんな場違いのことを考えながら、ヒカルはあたりを見渡した。
「たしか、あの熊に殴られて、そこで…えーっと、どうなったんだ?…それに、ここはどこだろう?」
最後に目を閉じたときは森の中だったはずだ。だが今は清潔なシーツにくるまれてベッドの上で寝ころんでいるし、木の机や椅子、漆喰の塗られた壁、縦方向に格子の入っている木の窓など、あきらかな人工物に囲まれている。微かに消毒液のような匂いもするし、何処かの病院かなにかかもしれない。
「夢…じゃないよな。怪我もしてるし、サラもいるし、第一こんな場所はしらない」
それでもあまり驚かないのは、知らない場所に飛ばされる経験が以外に豊富だからだろうか。とりあえずサラを太ももの上にずらして起き上がってみる。それだけも左腕と脇腹には刺すような痛みが走り、思わず顔をしかめる。そして自分の体を見回すと、左腕は動かないように板か何かをあてられ、包帯でぐるぐる巻きにされていて、服もグリズルと会った時のような長袖シャツに動きやすいナイロン製のズボンといった出立ちではなく病人が着るような白いゆったりとした浴衣のようなものに着替えさせられており、おまけにサラシも外されていた。
「あら?気がついたようね。気分はどう?」
そこに現れる謎の女性。見事なブロンドを腰のあたりまで伸ばしたその女性は、ほほ笑みながらやさしい声で語りかけてきた。
「え、あ、えぇと。多分大丈夫です。はい、多分。あの、あなたが助けてくれたんですか?」
急に現われた事と、その美しさもあって、前半は赤面し、しどろもどろになりながら答えるヒカル。
「ええ。とはいっても、もうちょっとわたしがしっかししていれば、あなたは怪我をしなくてすんだのだけれど、ね」
眉根を寄せ、唇を噛み、悔しそうな表情を見せる金髪の女性。綺麗な顔の女性にそんな表情をされると変な迫力があるし、罪悪感も大爆発である。何があったかは知らないが、自分が怪我をしたのはこの女性のせいではないため、あわてて右手を振り、女性の言葉を否定する。
「いえ、そんなことないですよ。おかげで死なずに済んだんですから、この程度の怪我は気に病む必要はありませよ!」
「ふふっ。そういってもらえるとこちらも随分気持が楽になるわ。ありがとね」
「いえ、礼を言わなければならないのはこちらですよ。助けていただいてありがとうございました。それで、えぇと…あなたは…」
「ん?あぁ、そういえば自己紹介がまだだったわね」
言いよどむヒカルに両手をポンと打ち合わせ、そう告げる金髪の女性。
「わたしの名前はテレジアよ。一応職業は魔法使いといったところね。よろしくね、ヒカル」
「よろしくお願いします、テレジアさん。…って、あれ?なんでボクの名前を?」
「その子」
テレジアが指をさした先にいるのは、いまだにすうすうと心地よさそうな寝息と立てて身体を丸めて眠っているサラ。
「サラからいろいろ聞いたわ。あなたも大変だったようね。あ、そうだ。お腹すいてない?リクエストがあればなにか作ってくるわよ?」
そう言われると、お腹がすいているような気がする。そう思ってお腹をさすると、待ってましたと言わんばかりに盛大な声を上げる腹の虫。ヒカルは赤面し、苦笑するとテレジアに何か頼むことにした。
「すいません。それじゃあ、なにかお願いしてもいいですか?」
「ふふっ、いいわよ。たくさん食べて、怪我を早く治さなくっちゃね」
テレジアは、ご飯を作るためにヒカルのいる部屋を出ようとして、なにか思い出したように振り向くと、右手の人差し指を立てた。
「ああ、それと」
「なんですか?」
「わたしに対して以後、敬語は禁止ね。背中がむず痒くなっちゃうから」
「え、でも…」
「命の恩人からのお願いよ?だめかしら?」
そういって悪戯っぽい笑みを浮かべるテレジアに、ヒカルはその申し出を了承するしかなかった。
「…分かったよ、テレジア。こんな感じでいいかな?」
苦笑しながらそういうヒカルに、テレジアは満足そうな笑みを浮かべた。
「そんな感じでいいわよ。ああ、それと」
またしても人差し指を立てるテレジア。今度はなんだろう、と、思わずすこし身構えてしまったヒカルであった。
「その子」
指さした先にはまたしてもサラ。
「起きたらお礼いっときなさいよ?わたしに自分たちのことを話してくれてる時も、あなたことずーっと心配してたんだから」
ヒカルは思わずサラを見る。出会ってまだ間もないが、サラには随分頼っていて、おまけに心配までかけていたらしい。
丸まっているサラの背中を一撫ですると、テレジアに向き合った。
「うん、分ったよ。教えてくれてありがとう」
そう言って、微笑みかけるヒカル。テレジアはその微笑みに目を丸くし、次いで頬を軽く染め、照れたように笑った。
「サラの言ってた通りね」
「え?」
「ヒカルの笑顔はお日様みたいだわ。…あなたによく似合ってる」
サラのときと同じようなことを言われ、またしても照れ隠しに頬をかくことしかできないヒカルであった。




