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豊饒の女神  作者: 蒼太郎
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第2話:泣き虫と犬

「い、いぬ?いぬがしゃべった!?え、えと…なんでぇ!?」


 イヌ。ネコ目イヌ科イヌ属に分類される哺乳類。その見た目の愛らしさと適切な躾を行うことで飼い主に忠実に従うその甲斐甲斐しさから、現代日本のペット産業の中で、おそらく1,2を争う人気の動物。品種によってはその高い学習能力を生かし、警察犬や盲導犬として社会に貢献しているらしい。

 …学習能力が高いからって、言葉をしゃべれるようになるのだろうか?


「きぐるみってわけでもなさそうだし…あの、あんた何?」


 バクバクとトンネルが無くなった時よりも高鳴る心臓と、未知なるものへの不安と恐怖と、それによる混乱でパンクしそうになる頭をなけなしの気合と根性で抑え込む。


「む。何とは失礼な破廉恥娘じゃな。…まぁよい。我は精霊じゃ。火の精霊。名は…あー、100年前は何と呼ばれておったかのう?」


 訳が分らん。大体何なんだ!トンネル抜けたら花畑だし!トンネル無くなってるし!女になってるし!犬は喋るし可愛いし!こっちを向いて小首を傾げる様なんて、愛らしすぎる!


「何なんだよぉ…もぉ…」


 一度に色々な事がありすぎた。おまけに女性の身体になって涙腺が弱くなったのか、膝と手をつきうなだれると自然に涙が出てきた。それを見た火の精霊は、うなだれたヒカルにおもむろに近づくと、そのちまっこく愛らしい前足をヒカルの頭に添え、やさしく語りかける。


「これこれ、泣くでない。そなたのような女子に似合うのは、涙ではなく笑顔じゃぞ?…何があったのか、我にはとんと分らぬが、話してみてはくれぬか?」


 幼子に向けるかのような、やさしさと慈しみに満ちた声。それは、ヒカルの不安と緊張で凝り固まった心に温かく沁み渡り、解き解していく。そして、ヒカルの頭を器用に撫でていた前足をヒカルの目元に持って行き、これまた器用に涙を拭う。


「ほれ、涙を拭って笑顔を見せるのじゃ。そうして落ち着いたら、我に話しておくれ」


 その優しさが嬉しくて。


「うぅぅぅ。ワン公〜!うわぁぁぁぁん」


 思わず抱きついて号泣したヒカルであった。









「どれ、落ち着いたか?」


「あ、ああ、うん。ありがとな。ははっ…恥ずかしいところ見られちゃったなぁ」


 照れ隠しなのか、頬を軽く掻きはにかみながら答えるヒカル。泣きついたからなのか、目の前の犬が人語を解すのになんの疑いも持たなくなっていた。


「よいよい。気にするでない。それで…あー、そういえばそなたの名を聞いておらなんだ。いつまでもそなたでは少々呼びにくい。ここはまず、自己紹介を頼む」


「ああ、うん。分かった。ボクは、ボクの名前は天領光だ」


「ふむ、ヒカルというのか。良い名じゃ。それにしてもヒカルよ。最近の女子は己のことをボクなどと呼ぶのか?」


「あ、えぇと、ボクは男なんだ。信じられないかもしれないけど、ちょっと聞いてほしい」


 ヒカルはそう前置きをすると、トンネルを抜けた先がこの花畑であったこと、抜けてきたトンネルが消えていたこと、自分が女の身体になっていたこと、そして目の前の火の精霊らしい犬にあったことを順を追って話した。


「ふむふむ。男であったのが女になったと申すか。不思議なこともあるものじゃ。しかし服を見るに背丈はほとんど変化しておらんようじゃのう。男だった時とあまり変わり映えはしていないのではないか?」


 この犬なかなか痛いところを突いてくる。そうなのだ。多少胸とお尻まわりが窮屈になって腰回りが緩くなったことを除けばヒカルの背格好はほとんど変わっていないのだ。もともと超がつくほどの童顔かつ女顔であったため、顔の変化もあまりない。身長のほうも17歳で160cmと、同じ年ごろの男子の平均身長を10cm近く下回っており、また、女子の平均身長よりちょっとだけ高いといういでたちだった。つまりは違和感がないのだ。わずかなプライドも粉々である。


「ふむ。なるほど、異世界人か。よくあることではないが、たまにあってな。こちらとそちらがつながって、そちらの人や物が落っこちてくるのじゃ。しかし、人が落っこちてくるのは珍しいのう…300年振りくらいじゃ」


 ちょっとまて。プライドが砕かれたとか、違和感がないとかで落ち込んでる場合ではない。今、この犬はなんと言ったか。異世界とか、こっちとかそっちとか、いったい何なんだ。嫌な予感がビンビンする。背中にじっとりと汗をかき、喉が乾いてくる。まるで次に聞こうとしている事を邪魔しようとしているようだ。頭の片隅では、「聞くな!聞くな!」と最大音量で警鐘が鳴っている。しかし聞かねばなるまい。知っておかねばなるまい。


「あの…さ…」


 警鐘を無視し、勇気を振り絞って声を出す。


「確認なんだけどさ」


 目の前の、喋る犬がいる時点であり得ないことだけど。


「ここ、日本…だよね?」


 僅かな希望にすがってそう尋ねた。


「ニホン?あぁ、そちらの国の名か?だとしたらここは違うぞ?ここはウィスウィンダムのウルガ領の北はずれにある森の中じゃ。森の名は…あー、何と言ったかのう?」


 希望は木っ端微塵に打ち砕かれた。トンネル、花畑、女性化、喋る犬と来て、次は異世界。なんとなく予想はしていたがショックなことには変わりない。弱くなった涙腺の手助けもあってか、またしても目尻に涙をためるヒカルであった。


「これこれ、一々泣くでない。まぁ、国については道すがら話すとして、まずは契約を行おうではないか」


「…契約?」


「人と精霊を結ぶ絆のことじゃ。これにより、人は精霊の力を借り、世界に語りかけることができる。魔法とは違うがの」


「…よく、分らないけど…えーと、なんでボクとその…契約を?」


「ふむ。理由が必要か。まぁ、簡単なことじゃよ。ヒカルは我の声を聞け、我の姿が見え、我がさわることができるしの。それに…」


「それに?」


「泣き虫で、心配であるからの」


 くつくつと、綺麗な声で囀るように笑う目の前の犬。自分より相当ちまっこくて可愛い犬であるが、とても頼りになる犬。自分を励まして、導いてくれる犬。そんな風にヒカルは思えた。


「へへっ…ありがとう。それで、どうやって契約ってやつをするんだ?」


 うれしくて泣きそうになるのを必死にこらえて先を促す。


「うむ。こちらに顔をよせて、額を出しておくれ」


 言われたとおりに犬と目線の高さを合わせ前髪をかきあげて、額をさらす。犬はそこに己の前足おき、一言二言つぶいた。それにしても、犬の足のうらとは思えないほど柔らかい。爪もないみたいですっごくふにふにしている。後でさわらせてもらおうかなぁ…と、煩悩に浸っていたヒカルに声が掛けられる。


「よいぞ。終わりじゃ。これで我とヒカルは一心同体。困ったことがあれば我に頼れ。尽力いたすぞ」


「うん、ありがとう。心強いよ」


 そういって微笑むヒカル。いろんなことがあった今日初めての、心からの微笑みだ。


「うむ。やはり」


 満足げにうなずく犬。


「ヒカルには笑顔がよく似合う」


 そういってからからと笑う犬に、ヒカルは照れ隠しに頬をかくことしかできないのであった。

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