第10話:診療所にて
「む…」
病室の戸を振り返り、サラは訝しげな声を上げた。じーっと、そのまましばらく見つめ続けると、おもむろについと目をそらし、ふぅと溜息を吐く。
「ん?どうしたんだ?」
涙で少し赤くなった眼をこすり、サラに問いかける。ひとしきり泣いたところですっきりとはしていなくとも、一応は持ち直したようである。
「医者先生のおかえりじゃ…」
人間でいうところの眉間あたりを自分の前足でぐりぐりと押さえ、サラはそうこぼした。
「おう!ヒカル!怪我は治ったか!?」
軋む床板をのしのしと踏みしめ、病室の戸を開け放ち、そう叫ぶ闖入者。
熊のような巨体を存分に生かして発せられる、咆哮にも似た呼びかけは病室に響き渡り、窓枠に止まっていた可愛らしい小鳥達を脱兎の如く散らせ、テレジアが置いて行ってくれた花瓶にひびを入れ、ついでにヒカルの怪我にも響きわたらせた。
「…ジンよ。寝床と医術を提供してもらっている身で恐縮だが、ちと言わせてもらうぞ。静かにせい。ヒカルの怪我に障ったらどうする」
闖入してきた大男に呆れ気味に声をかけるサラ。しかし、その声色にはどこか諦念の色も見える。ヒカルも苦笑し、左腕をさすりながら大男に話しかけた。
「おかえり、ジンさん。…それと、骨折がそう簡単には治るとは思えませんよ」
「わはははは!。そいつはすまなかったな。少し静かにするとしよう。わはははは!」
済まなかったという気も、静かにする気もまるでなさそうに高らかと笑い声を上げるジンと呼ばれた大男。一応はカイナ村唯一の医者ということなのだが、一目見ただけではそうは思えない。なにせ、2mはあろうかというその体躯に立派に蓄えられている口髭に顎鬚、ぼさぼさの短髪に極めつけはモリモリの筋肉と、どう頑張っても医者には見れず、寧ろきこりや農家と言った方がしっくりとくる風貌なのだ。
「で、日課の方はどうでした?出かけるときは随分慌ててたようでしたけど…」
「おう!大丈夫だったぞ。ミリィ嬢ちゃんとこのじいさんが倒れたって、駆けこんできた時には何かの発作かと思って慌てたけどよ、行ってみれば何のことはない、ただ重い荷物を持って腰を抜かしただけだったぜ。わははははは!まったく、ミリィ嬢ちゃんの慌てぶりにすっかり騙されちまったな。わはははは!」
「へぇ、そうですか。無事ではないにしろ、病気ではなくてよかったですね」
「ああ、そうだな。あれなら暫く寝ていれば、けろっと治るだろう!…おっと、忘れるところだった。サラ、ヒカル!お前たちに土産を預かってきたぞ」
そう言ってジンは手に持っていた木で編まれているバスケットをベッド脇のテーブルにどんと置いた。バスケットには色とりどりの果物が盛ってあり、いずれも見たことはないのだが瑞々しく美味しそうな輝きを放っている。
「ジン。預かってきたのなら土産ではなく見舞物であろう」
「わはは!そうだな!いやぁ、サラはやっぱり賢いな。ただの犬とは思えないな」
『ただの犬じゃないけどね』
『うむ。そうだの』
以心伝心で会話し、心の中で苦笑しあう二人。ちなみにジンはサラが精霊ということは知っておらず、ただ単にものすごーく頭の良い紅毛の犬だと思っているらしい。これはサラの説明に同席していなかったジンに対し、サラが超適当に説明したせいだという。
『説明しなくていいのかな?』
『いいのではないか?。テレジアがあえて説明しなかったのは何か意図があるのかもしれぬし、それに我々はこの村のことをよく知らぬからの。もし精霊といった類のものが無用な混乱を起こすのならば、賢い犬であるほうが数段良かろう』
『それもそうだな。騙してるみたいで少し釈然としないものがあるけど、仕方がないか』
『うむ。そうじゃな』
無用な混乱は避けるべきだ。自分が世話になっていて、なおかつ懇意にしてくている村ならなおさらだ。ヒカルはバスケットから取り上げたリンゴのような赤い果物を眺めながらそう思う。
「それにしても、見ず知らずのボクに見舞いまでしてくれるなんて、少し変わってるなぁ」
「そうじゃの。小さな村であるから排他的であると思っておったが、我の認識も間違っていたようじゃの」
そう、カイナ村には小さな村や集落にありがちなイメージの排他的な雰囲気がまるでない。村人たちは積極的で、日々面白い話に耳をすまし、非日常に飢えているのだ。そしてそこにやってきた村外の人間がやってきたというニュース。ヒカルがテレジアによってジンの診療所に運び込まれた直後には、そのことがいわゆる御近所パワーで殺人ウイルスをはるかに凌駕するスピードで村の端から端に行き渡った。
「わはははは!この村は別段有名なものがなくてヒマだからな。面白そうなことには皆飛びつくのが慣習だ!ヒカルを一目見るために、見舞と言ってここにきた奴も相当数いたな。ありゃ、もしかしたら村の人間が全員来てたかもしれないな!」
そして、喋る犬と、幼いながらも綺麗な寝顔と、見たこともない黒い髪が醸し出す神秘的な色気に当てられて様々な噂というか憶測が飛んだ。
曰く、黒髪の少女はテメルの森の妖精で、あの紅犬は少女によって高い知能を与えられた使い魔だ。
曰く、黒髪の少女は外国の王室に名を連ねるもので、あの紅犬は少女を守るために姿を変えた騎士だ。
曰く、黒髪の少女は天界から舞い降りた巫女で、あの紅犬はその巫女とともに遣わされた天使だ。
などなど、どれもこれも突拍子もなく、何故か人外や高位の人間ということにされている。まぁ、所詮は憶測での話なので、実際に敬われたり、崇められたりすることもなく、それどころか面識がないにも関わらずまるで友達感覚といったかんじで見舞いに訪れた村人もいたようだ。
「はは、まぁ理由はどうあれ、見舞ってくれるのはうれしいですよ。誰からなんです?これ」
「ウィルだ。帰りに山菜と薬草を分けてもらおうと寄ったら、今日は行けないから、と頼まれてな」
「ウィル?…ウィル…ウィル…えーっと、誰だっけ?」
「あれではないか?ほれ、昨日来ていた、ヒカルと同じ年頃の」
そう言われて昨日病室に見物、もとい見舞いに来てくれた同年代だと思われる少年を思い出した。明るめの栗色の髪を短く刈り込んだなかなかに端整な顔立ちをした少年で、確かウィルと名乗っていた。
「あ、あーあの子か。…やっぱり風邪か何か引いたのかな?」
「ふむ。やっぱり、とは?」
「見舞いに来てくれて、自己紹介して、少し話をしたけど、終始顔が赤かったからさ。風邪の引き始めかなって思ってたんだけど」
「…風邪、かのう?我にはそうは見えなかったが」
「俺もそうは思わないがな。わはははは!」
「じゃあ、なんだったんだろう?」
知らぬは本人ばかりなり。ウィルと呼ばれた少年もヒカルの神秘的な魅力に当てられたくちであるようだ。しかし、悲しいかな。ヒカルがいくら外見が少女であっても中身は普通の男子学生。もちろん”そっち”の趣味があるわけではないので男に恋愛感情を持つことはない。無念である。
「ただいま〜」
世間話を一時中断して、声がした方を見やる。そこには肩に荷物をかけ、腰に剣をさしたテレジアがいた。どうやら荷物を取りに行った小屋から戻ってきたようである。
「おう!おかえり。とはいってもテレジア、ここはお前さんの家じゃないぞ?わはははは!」
「おかえり、テレジア」
「ふむ。戻ったか、テレジア」
三人の出迎えに頷き、今一度ただいまと答えると、テレジアは肩にかけていた荷物を床に置き、ジンに話しかけた。
「ジンさん。ヒカルもいるし、せっかくだからわたしも今日からここに住むわね。どうせ部屋もいくつか余ってるんだし、いいでしょ?」
「病室なんだがなぁ。…それにヒカルは住んでるんじゃなくて、入院だぞ?」
「似たようなものでしょ。それに患者が出たらわたしだって働くし、炊事もするわよ?」
「それならいいか。お前さんの料理はうまいからな!わはははは!」
うんうんと頷くジンを見て、くつくつと笑うテレジア。もともと気心の知れた仲であるようだし、断る理由もなかったと思うのだが、どうやらそれがなくともジンはテレジアによって餌付けされているようである。
「よしよし。住居は確保!これでジンさんが出かけちゃってもわたしがいるから、いつでも頼りなさいよ?ヒカル」
「うん。ありがとう、テレジア」
またしてもいろいろと気を遣わせているようだ。お礼には精一杯の笑顔でこたえよう。
「おお、これはいいものだな。わはははは!」
「ええ。そうね」
「ふむ。そうじゃな。…時にテレジアよ」
ヒカルの笑顔の魅力を再確認したサラは、テレジアの持ってきた荷物に視線を移し、問いかけた。
「必要なものと言っておったが、いったい何を取りに行ったのじゃ?差し支えなければ教えてくれぬか?」
「あ、それはボクも知りたいな。まぁ、もちろん、差し支えなければ、だけど」
「ええ、いいわよ。…取りに行った理由は、まずはこれのためね」
そういって取り出して見せたのは、一冊の古びた本。おそらく題名が書いてある表紙を見せてくれているのだろうが、いかんせん言葉は通じるのだが文字が分からないため読むことができない。これからやるべきことに、文字と文法の勉強の項目を追加し、その本が何であるかテレジアに問うことにした。
「ごめん、文字が読めないから分からないや。その本は?」
「いわゆる魔導書ってやつよ。大体の魔法使いが使ってる魔法の学習書ね。もちろん、魔法のすべてが本一冊に収まるわけなんてないから、これはほんの一部なんだけれどね」
「へぇ〜、魔法の学習書かぁ。あ、じゃあさ、それに書いてある魔法でパッと怪我を治せたりは…」
「無理ね。これには魔法の基礎理論と魔方陣に使うための文字と記号についてしか書いてないもの。それに、今人間が使っている魔
法で傷の治療ができるようなのは存在しないはずよ」
「そうなんだ…」
魔法という名前から想像すると、なんでもありのような気もするが、実際はそうでもないようだ。それにしても、人間が使っている魔法と言っていたが、人間以外にも魔法を扱う種族がいるのだろうか?それを聞こうと口を開きかけたところで、テレジアが魔法の話は終わり、とでも言うように次の話をし始めた。
「ま、怪我なんてじっくり休んで治せばいいわよ。魔法についても後で知ればいいし、そんなことよりも、今もっと大事なことがあるわ」
「え、もっと大事なこと?」
「ええ、そうよ」
そういって妖艶に微笑み、荷物をごそごそと漁るテレジア。ばーん、という効果音を伴って取り出されたのは小さな布きれのようなもの。…なぜか嫌な予感がする。すごーく嫌な予感がする。
「…テレジア、その…それは?布巾か何か?」
願いつつ、希望的観測を述べるヒカル。
「うふふ。な〜に言ってるの。下着よ?し・た・ぎ。あ、もちろん女の子用のね?」
すべてにハートマークをつけて喋っているかのようなテレジアによって、希望的観測は危険であることをヒカルは学習した。
広げられた布きれは履いているトランクスなどに比べて非常に小さく、それで下着の意味があるのかと叫びたい。
「ん?おう、下着の話か。では、俺は席と外すとしよう。門外漢であるし、婦女子の猥談に首を突っ込むほど野暮なことはないからな!わはははは!」
「え!?ま、まってジンさん!行かないで!」
ヒカルのとめる声もむなしく、素早く席を立って、帰ってきたときと同じように床を軋ませ、高らかに笑いながらどこか散歩へ出かけてしまうジン。ヒカルが元男であるということは知っていないため、本人としては気を使ったつもりなのだろうが、ヒカルから見てみれば十年来の親友に裏切られた気分だ。
「ん〜、猥談じゃないんだけど、さすがジンさん気がきくわね。伊達に医者はやってないわ」
「医者とか関係ないから!」
「それもそうね。それより…覚悟はいい?」
真っ赤な舌をちろりと出し、形の良い唇を舐めるテレジア。状況が状況でなかったのなら、その艶めかしさに頬を染め、生唾を呑み込んでいただろう。
「テ、テレジア、その、ボクはいいよ、下着なんて。…そうだ!それに、付け方だって知らないし!」
「ただ穿くだけよ?それに、分からないなら、わたしが手取り足取り教えてあげるわ」
墓穴を掘ったかもしれない。
「で、でも、ボクはおと…」
「中身はそうでも、身体は女の子でしょうが。それにあなた4日も体を拭くどころか下着だって替えてないじゃない。いくらなんでも汚いわよ?女の子なんだから、いざという時のために綺麗にしとかなくちゃね!」
「ない!ないから!こないから!いざという時なんて!」
いつの時代であれ、どんな世界であれ、女性用の下着というのは男にとって畏怖の対象だ。女性体になったのだから、それ専用の衣類を身につけるべきだという考え方は理解できないこともないが、当事者としては承伏しかねる!そういう思いから、這ってでも逃げようと試みるも、怪我人が健康な人間から逃れられる道理はなく、あっさりと追い詰められ、上着に手を掛けられる。
「ふふ。じっとしてなさい?痛くしないから…」
頬を赤く染め、邪悪な笑みを浮かべ、心なしか息の荒いテレジア。よく見ると眼も若干充血しており、非常に危ない。危なすぎる。
『サ、サラ!頼む!助け…!』
『うむ。がんばれよ、ヒカル。我も見守っておるからの』
『薄情者〜!!』
最後の砦にもあっさり見限られ心の中で絶叫を響き渡らせるヒカル。そして、そんなことなど関係なしにヒカルをひん剥くテレジア。
その日、診療所から轟いた黄色い悲鳴は、村人たちの井戸端会議の恰好の餌食となるのであった。




