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 亡命中であり、すでに祖国は無くなっているとはいえ、一国のお姫様が……これはさすがに辞めさせるべきだろうとアクシアは思った。


「アクシア様、この楽団の奴等と知り合いなんですか?」


 カルメ焼き店の店主、ワーグマン・チャールズが話しかけてきた。いつもより顔が険しいのは、ワーグマン自身もオスマン帝国のことを良く思ってはいないからだ。


 そして、キャラメルの焦げる香ばしい匂いが市場に漂っていたのは、今日もワーグマンが店を出していたからである。


 アクシアが、シェヘラザードの行動に困惑しながらも、事情をワーグマンに話す。


「ってことは……あの踊子さんは亡国のお姫様で、従者達の生活費を稼ぐ為に?」


「まぁ、そういうことになるわね」


「泣かせる話じゃないですかい!」


 ワーグマンは感動していた。先ほどまでの険悪な雰囲気が嘘のように明るくなった。


「おい、亡国のお姫様だって」


「そんな人が踊っていたのか。ちっ、見逃した」


「ベールを外したら美人だよな」


 先ほどまで飛んでいた野次が、いつのまにかもう一曲と、アンコールの声援へと変わっていた。シェヘラザードたちはリクエストに応え、演奏と踊りを始めた。


 シェヘラザードのベリーダンス。潤んだ瞳で観客一人一人を見つめながら踊る。まるで寝屋へと誘うように艶めかしく手脚、そして腰を動かし観客を魅了している。


 楽団の前に置かれた、ひっくり返された帽子に、どんどんと投げ銭が集まっていく。


「アクシア様。新鮮なパプリカが買えました。夕食に出すように料理長に言いましょう」


「ふん。もうトラブルは収まったようだか学園へ行きましょう」


 アクシアは嫌いなパプリカを見て、さらに機嫌が悪くなった。


 学園へとつく頃には、午前中の最後の授業は始まっていた。授業の途中から入るのも憚られ、アクシアとウィリスはカフェテリアでお茶をすることにした。

 

 紅茶を飲みながらアクシアは眉間に皺を寄せている。紅茶が不味いわけではない。貴族たちが通う王立学園だけあって、公爵家で使っている茶葉とは比べものにならないが、それなりに上等の紅茶を提供している。


「ねぇ、ウィリス。どうしてみんな、お姫様が好きなのかしら?」


 シェヘラザードが亡国の姫であると分かった途端、市場の雰囲気は一変した。ワーグマンも最後は鼻の下を伸ばしながらシェヘラザードの踊りを干渉していた。


「それは、お姫様って、身近な存在ですからね」


「どこが身近? 完全に雲の上の存在じゃない。それにシェヘラザード先輩は、厳密に言えばお姫様ではないわ。だって、もうオスマン帝国に国を滅ぼされているのだから」


 もっとも、オスマン帝国への反抗の旗印として、サファヴィー朝の血を受け継ぐシェヘラザードの価値は高いことはアクシアも認めている。


「サラマンドル公爵のご令嬢、アクシア様の方がもっと雲の上の存在ですよ」


 ウィリスは遠い空に浮かぶ雲を見つめながら言った。


「どうしてよ。王家の姫と公爵の娘では、身分が一段低い分、公爵の娘の方が近しい存在でしょう?」


 身分制度上は、確かにアクシアの言っている通りである。だが、アクシアは理解していないのだ。王家の姫と公爵の娘も、どちらも手の届かない存在であることには変わりないのだ。それは、平民であっても、子爵の三男であるウィリスでも同じことである。


「アクシア様は、英雄譚をご存じですか?」


「もちろん知っているわよ。騎士がドラゴンを倒したり、傭兵が活躍してやがて王になったりする話でしょ?」


「それらの話の結末もご存じで?」


「当然、知っているわよ。大体、その国のお姫様と結婚するわね……って、だからお姫様は身近な存在ってこと? ドラゴンなんて存在しないし、夢物語でしょ。傭兵団の団長が領主になったという実例は確かにあるけれど、どこかの姫と結婚したなんて話ではなかったわ」


「ですが、男は英雄を夢見るわけです。そして、いつも英雄はお姫様と結婚をして幸せに暮らす。だから、お姫様は身近な存在なんです。英雄になって、いつか自分の妻として迎えることができるかもしれない存在。同じように、王子様も平民からは人気があるんですよ」


「王子が人気だなんて……まさか、おとぎ話であるように、うら若き乙女を助けに来るのって、白馬に乗った王子様だからってことではないわよね、ウィリス?」


「実際、その通りです。助けに来るのは、いつも白馬に乗った王子様なんですよ」


「馬鹿らしい。シャルルが白馬に乗っているところなんて見たことないわ。白馬なんて、凱旋のときに見栄えが良いから乗るだけでしょ。すぐに泥で汚れて逆に汚さが目立つわ」


 アクシアは不味そうにクッキーを齧る。



 ウィリスはそんなアクシアを遠くに感じる。


 乳母兄弟という関係でなかったら、公爵令嬢であるアクシアと、子爵の三男である自分は話すことさえできなかったであろう。あくまで、兄弟姉妹という擬似的な血縁関係が成立しているから許されている関係。


 ウィリスのアクシアへの想いは積もっていく。一ヶ月前に、シャルル殿下との婚約の破棄がなされてからは、その想いが加速するばかりである。


 だが、乳母兄弟という関係ではなく、男と女という関係であったなら……。アクシアは、あまりに遠い。


 子爵と公爵令嬢が結ばれる英雄譚など存在しない。


 ウィリスは遠い空に浮かぶ雲を見つめる。遠くに浮かぶ雲は、手には決して届かないのだ。ウィリスにとって、これは簒奪の物語だ。


 ヴォルテール先生……僕はどうしたら良いのでしょう。遠くの雲を掴むためには……。


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