表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/13

 アクシアが威勢良く割って入ったその先。争いの現場。


 市場で演奏をしていた楽団と、酔っ払いの男達が揉めていたのだ。


 楽団は、カヌーンと呼ばれる琴を思わせる弦楽器、ダブルッカと呼ばれる太鼓、ウードと呼ばれるギターのような楽器、そして、胸に薄い布を巻き付け、ヒラヒラとした足の露出が激しいスカートを着た踊子がいた。


 流浪の楽団が市場で演奏と踊りを路上で披露していたようだ。バスキングをしているようであるが、観客からの投げ銭は集まっていないようであった。


 流浪の楽団。カヌーン、ダブルッカ、ウードを使っていること。また、褐色の肌を露出させた扇情的な格好。口元には薄いシルクのベールを覆っている。


 へそを出し、腰を男を誘うように左右に、また上下に振るダンス。ベリーダンスである。


 これらは、神聖ローマ帝国内では受けが良くない。いや、印象最悪である。ベリーダンス自体は、色気もあり、男性に人気はあった。楽団の音色もエキゾティックであり、かつては、豊穣の女神マイアに供物を捧げる五月祭の夜に、人々は聞き慣れる魅惑的でリズミカルな音楽に耳を傾けたものである。


 が、それは三年前までの話である。


 楽団の演奏スタイルからいって、それは、オスマン帝国由来のものである。踊子自身も、薄らとパンを焼いたような小麦色の肌で、オスマン帝国出身であると分かるのである。


 神聖ローマ帝国とオスマン帝国の三年前の戦争。


 神聖ローマ帝国側では、第九回十字軍遠征と呼んでいる戦争であるが、神聖ローマ帝国は大敗を喫した。ユーロピア大陸の盟主を自負する神聖ローマ帝国は大いに負け、逆に反抗されて、結果としてオスマン帝国の領土は広がった。ドナウ川以東がオスマン帝国領となったのである。


 ハンガリー帝国に至っては、帝都ブタペストの中心を流れていたドナウ川の東側地区。すなわち、ペスト地区がオスマン帝国に占領された。東欧でもっとも美しいとされた都の半分が、オスマン帝国のものとなった。


 ハンガリー帝国は、死に体となり、オスマン帝国の侵攻を防ぐことはできない。神聖ローマ帝国からしたら、ハンガリー帝国が滅びればオスマン帝国の領土が隣接することになり、貴重な防波堤がなくなる。


 神聖ローマ帝国の第九回十字軍遠征の被害は甚大である。


 滅亡した西ローマ帝国の首都、コンスタンティノープルを奪還できるのではないかと思えるほどの快進撃。が、それはオスマン帝国の罠であった。


 深く敵地に入り込みすぎた神聖ローマ帝国貴族連合は、北、南、東からの三方向からの反抗を受け、壊滅した。


 五百キロを超える侵攻ルートは分断され、孤立し、挟撃された。補給もなく、苛烈極まる撤退戦を強いられた。


 神聖ローマ帝国皇帝は重傷を負いながらも帰還できた。しかし、多くの貴族が帰らぬ人となった。当時のサラマンドル公爵は戦死し、その地位をアクシア・エルマン・フォン・サラマンドルが継いだ。当時、十三歳。


 コキューゼジア公爵戦死、その地位をシャーリー・シャーレッグ・カーラッハ・フォン・コキューゼジアが継いだ。当時十三歳。


 ジェフリー侯爵も戦死し、チョーサー・ジェフリーが当主となった。


 コルデー侯爵も戦死し、シャルロッテ・コルデーが当主となった。


 貴族の多くが戦死するほど。当然ながら、平民で無事に本国の土を踏めたものは、一握りであった。戦死したのか、捕まり奴隷となったのか。


 多くの妻たちが寡婦となった。


 ……。


 つまり、オスマン帝国に対する神聖ローマ帝国の人々の国民感情は最悪なのである。


「よくも天下の神聖ローマ帝国の王都で、堂々とオスマンの音楽を演奏できたものだな」


 激怒した男たちが屋台の支柱などに使う棒を握りしめている。今にも、楽団たちを、またその楽器を打ち壊してしまいそうであった。


 流浪の楽団の者たちも、楽器は自分たちの生活の糧を得る商売道具であり、命の次に大事なものである。


 一色触発の状況。


「サラマンドル公爵様、こいつらやっちゃってください!」

 

 そんなタイミングでやってきたのがアクシアであった。平民たちの期待は高まる。アクシアは神聖ローマ帝国最強の魔法使いと名高い。それに、これまでに度々、貴族の市場での横暴を止めてきた。親平民派貴族として知られている。


 オスマンの楽団を、いつものごとく華麗に、そして苛烈に痛めつけることが期待されていた。


 しかし、アクシアは困り果てる。多くの人たちがこの楽団を憎らしげに見ているが、誤解がある。


 確かに、この楽団のルーツはオスマン帝国にあることは間違いがない……が、正確に言えば、オスマン帝国によって侵略された地域の、ということである。国が滅ぼされて、逃げ出した、いわば難民である。


 アクシアもオスマンが憎い。父親を失ったのだ。仮に楽団ではなく、不法に王都に侵入したオスマン帝国の兵士であったなら、自ら率先して、骨まで灰に帰るほど焼き尽くしたであろう。アクシア個人としてもその理由は十分にあり、そうすることが公爵としての貴族の義務ノブレス・オブリージュである。


 が……仮にも王都の検問を通過した、入国が認められた流浪の民である。彼等を憎く思うのは筋が違う。


 仲裁を行うべきだ。しかしどうやって? この楽団も、オスマンによって侵略された人々であると伝える? だけど、音楽の音色と踊り。オスマン帝国の香りがする彼等を、そうなのか彼等も被害者なのか、と簡単に納得できるものであろうか。


 この市場では演奏しないように勧告するか? この場で演奏されても負の感情を高ぶらせるだけだし、バスキングをして帽子を観客の目の前においても、投げ銭は期待できないだろう。むしろ石などを投げられる可能性のほうが高い。


 もう、どうしたらいいのよ! ウィリスは何をやってるの? こういうときは、私じゃ無くてあなたの出番じゃない!


 アクシアが考え抜いた結論は、ウィリスへの丸投げである。が、ウィリスは市場に出ていた黄色いパプリカの鮮度を確かめ、厳選しているところであった。もう! 私はピーマンとパプリカは苦手なのに。私への当てつけのつもりかしら。


 ウィリスは我関せずを決め込んでいた。


「あら? 誰かと思ったらアクシアじゃない?」

 

 楽団の踊子がアクシアの名前を呼び、口元に付けていたベールを外す。


「もしかして、シェヘラザード先輩?」


 王立学園のアクシアの学友であった。シェヘラザードは、オスマン帝国に滅ぼされたサファヴィー朝の王女である。首都バクダード陥落の際に逃げ延び、留学の名目で亡命してきた人物である。


 彼女の亡命を受け入れたのは、もはや現在では夢物語ではあるが、オスマン帝国を駆逐したのち、ペルシャ地方に彼女を擁立した傀儡政権を樹立するという目論見があったのだ。


 もちろん、破竹の勢いでコンスタンティノープルを陥落させ、いまやハンガリー帝国を飲み込む寸前であり、神聖ローマ帝国を、ユーロシア大陸を席巻しようとするオスマン帝国の前では、机上の空論に過ぎなくなってしまった。


「お久しぶりですね、アクシア」


 アクシアがシェヘラザードと会うのは久しぶりであった。バグダートが陥落したのは、今より十年も前だ。それからすぐに神聖ローマ帝国に亡命し、王立学園に入学したシェヘラザードだが、卒業する気配がないのだ。三年で卒業する王立学園の八年生。


 唐突に数ヶ月休学したりすることがあり、留年に留年を繰り返している。


 亡国の王女であり、王立学園の最古参。


「シェヘラザード先輩が、どうして踊子なんてやっているんですか?」


「あら? 私はバグダード一の踊り手でもあるのよ? ハレムでも一番の踊り手でもあったのよ?」 


「いえ……そう言ったことではなく……」


 アクシアは、エサを求める鯉のように口をパクパクしながら言った。さすが、三年しか在籍できないはずの王立学園に十年通っている王立学園七不思議の一つ。シェヘラザード先輩である。


「それは、従者の糊口を凌ぐためよ。私やメイドたちは、王立学園に通っていて、寮に住まわせてもらっているから衣食住に困らないけど、私の護衛として一緒にオスマン帝国から逃げて来た人たちの生活費がそろそろ心許ないのよ。だから、ちょっと稼がないと、と思ったの」


 アクシアに言わせればシェヘラザード先輩の言っていることは意味不明だった。一国の王女であった人間が、卑猥な格好をして、従者の路銀を稼ぐ?

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ