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3月の王立学園での終業式後のパーティーでその事件は起こった。
「アクシア! お前との婚約を破棄する!」
シャルル・ホーエンシュタウフェンがパーティーの最中に、アクシアを指差し、言い放ったのだ。
シャルルは、皇帝の第一子であり、第一皇位継承者として指名を受けている。
次期皇帝と、神聖ローマ帝国の二大公爵令嬢の婚約。それは、より強く魔法特性を受け継ぐ者同士が、より優秀な貴族を生み出すために、国を挙げて喜ばれた婚約であった。
皇帝家と公爵家と身分の釣り合いもとれている。
また、王子の婚約者として選ばれたアクシア・エルマン・フォン・サラマンドルは、長い歴史を持つサラマンドル公爵家の中でも、比類無き魔法の才能の持ち主であり、才色兼備。特に美貌に関しては、ローマの赤い薔薇と称されるど、周辺諸国までその美貌は轟いている。
次期皇帝の妻。その座を狙う貴族令嬢たちも、また、絶大な権力を誇るサラマンドル公爵の美しき令嬢を狙う貴族子息たちも、諦めざるをえない組み合わせであった。
長らく帝国を支えることに注力していた公爵家の一角が、皇帝家と婚姻関係を結ぶ。このお二人から生まれる御子は、どれほどの魔法を使えるのだろうか。オスマン帝国を滅亡させるほどの強大な力を持った貴族が生まれるのではないか? 多くの者たちが、シャルルとアクシアの婚約を祝福し、次世代の神聖ローマ帝国の繁栄を確信していた。
神聖ローマ帝国中が望み憧れた婚約……であったはずであった。
「シャルル……どうしたの? お酒を飲み過ぎたのかしら?」
他の令嬢達と歓談をしていたアクシアは、その会話を中断した。
パーティー会場に流れていた管弦楽の演奏も止まった。
パーティーの参加者全員が静かに事の成り行きを見守っていた。
「何をしらばっくれている! サラマンドル公爵! お前は次期皇帝の妻に、相応しくない! お前は『悪役公爵令嬢』なのだ。今すぐにここで婚約破棄をしてもらう。よいか、ここにいる全ての者達は、シャルル・ホーエンシュタウフェンとアクシア・エルマン・フォン・サラマンドルが婚約破棄をした証人となってもらう」
「殿下、お待ちください。お戯れが過ぎます」
証人を立てる……。この王立学園の終業式後のパーティーは、生徒。つまり多くは貴族たちである。貴族の権利の一つである決闘においても、かならず証人が立てられる。
証人を立ててしまえば、それは揺るぎない事実となる。
パーティーの余興、お酒の勢いでの話と、笑い話では済まされなくなる。
アクシアが心配になり、シャルルの傍らに駆け寄ろうと思ったその時、
「それ以上私に近づくな!」
シャルルがそう言い放った。アクシアは足を止める。そして、愛しの婚約者であるシャルルを見つめる。
そして、不快なものを目にした。
シャルルに自分の胸を押しつけるように抱きついている女の姿があったのだ。
アクシアはその女を知っていた。すでに婚約者がいる殿下にまとわりついていた無礼な女。シャルロッテ・コルデー侯爵令嬢。
そして、アクシアの心に痛みを感じさせたのは、シャルルの左腕はシャルロッテを守るようにその手が肩に優しく添えられていたことだ。
アクシアはその光景を悲しく見つめる。
「証拠は挙がっているんだ。お前が、私の婚約者に相応しくないという証拠がな! そうだな、チョーサー」
「はい、その通りです」
チョーサー・ジェフリーが、シャルルとアクシアの間に壁を作るかのように立ちはだかった。チョーサー・ジェフリーは、侯爵子息であり、殿下の取り巻きの一人である。
「アクシア・エルマン・フォン・サラマンドル! お前は、私の傘下の商会の使用人に、暴行を加えた! 全治一年の大怪我を負わせてな!」
脚色はされてはいるが、事実であった。
アクシアが行ったのは、指導の意味を込めて、魔法で髪の毛を焼いただけだ。絶妙な魔法操作技術により、頭皮などには一切傷つけていない。
まぁ……焦げた髪の毛が、もとの長さに戻るまでは一年かかるかもしれない。そういう意味では、『全治一年』は間違っていない。大怪我とは言い過ぎである。
「それがどうかしましたか? 私は自分の、貴族の義務に忠実であっただけです」
アクシアは毅然として答えた。サラマンドル公爵として、自分の矜持を偽ることは許されない。
「事実を認めると?」
「認めますわ」とアクシアは言った。
「何が貴族の義務だ! 家畜のために貴族に害を為すのが貴族の義務だというのか? アクシア、お前は牛肉を食べるであろう?」
シャルルが嘲笑うかのように言う。
「食べますわ」
牛肉は高級品である。貴族が好む料理である。公爵家であるアクシアの晩餐にも、牛乳区は当然、食卓に上がる。
「聞いたか? アクシアは牛肉を食べるそうだ。だが、その牛肉を得るために屠る肉屋を、魔法で痛めつけるのが貴族の義務だと言っている! 我々貴族の義務とは、家畜を管理することだ」
シャルルが演説めいた口調で言う。他の王立学園の生徒達も、シャルルの言葉に肯いている。魔法を使える貴族が支配者であり、人間である。
「それは違います! 私たち貴族が魔法を使えるのは、魔法を使えない人間を家畜として扱うためではなく、彼等を守るため、そのために魔法の力があるのです」
アクシアが何度も婚約者であるシャルルに説いたことであった。そして、アクシアがそれを言う度に、シャルルの機嫌は急降下していた。アクシアは、殿下は今は分かってくれなくともいつか、いつかきっと分かってくれると信じていた。
アクシアの言葉を嘲笑う声が、パーティー会場に響く。
「歴史あるサラマンドル公爵家ももう終わりだな……」
「聡明な方であったのに、ヴォルテールの妄言に惑わされたのですわ」
そんなアクシアを誹謗中朝する声で、パーティー会場は満たされる。
「もう十分だ。さて、シャルル・ホーエンシュタウフェンがここに集った皆に問う! アクシア・エルマン・フォン・サラマンドルは、次代の神聖ローマ帝国の皇帝たる私の婚約者として相応しいだろうか?」
「否!」
「否!」
「否!」
「否!」
「否!」
「否!」
「否!」
「否!」
王立学園の生徒たちは口々にそう言った。アクシアとシャルルの婚約状態を否定しているのだ。