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雨期探査 地下街へ  作者: 石見千沙
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雨期探査 結果

ヒデは凍りつき、シズカはそろそろと後ずさって、さりげなくコダチザメから距離をとろうとした。ゆらゆらと忍び寄ってくる魚影は人間たちの近くまできてスピードを落とし、ヒデとシズカ、どちらのほうへ行こうか思案しているような様子を見せている。

 大人たちがなかば硬直した状態になるなか、赤ん坊の泣き声がいっそう高くなる。シズカは冷や汗を流しながら、長棒をかまえ、反撃のかまえをあらわにした。

 ヒデも腰から、作業用の小さなナイフを取りだしてかまえている。

 コダチザメはまだ迷っている。沈黙しているヒデのほうは、知らないにおいだ。シズカのにおいは、さっき危険な気配を放っていた。だが、そちらから地下街に響く泣き声は、感覚を刺激する――。

 シズカは集中したまま、ちらっと胸元の赤ん坊の顔をみおろした。ここまで共に生き抜いた赤ん坊が顔をくしゃくしゃにして泣いているのが、わずかな青い明かりに浮かび上がって見えた。怖い、生きたい、赤ん坊は、全身全霊でそう叫んでいた。

その瞬間、シズカの胸の内で、生かしたい死なせないと、戸惑うほどに激しい感情が嵐のようにわき上がった。心臓が早鐘を打ちはじめる。

あの、死んだ母親が自分に乗りうつっているような気がした。

コダチザメがシズカのほうへ、慎重なスピードで近づきはじめた。シズカはついに心を決めた。

「……ヒデ!」

 じわじわと距離ができていたが、名を呼ぶと、ヒデははっとシズカのほうに注意を向けた。

「あっち! あの母親からもらった地図を見ると、安全な出入り口は入ってきたところしかない。あっちに向かってまっすぐ逃げれば……!」

 シズカの必死な声に、さっき争っていたことも忘れ、ヒデは力強くうなずいた。

「わかった。逃げきってみせる」

「頼んだからね!」

 シズカのもの言いに、動きかけていたヒデは止まり、けげんな表情をした。その瞬間、シズカはさっき奪ったナイフを投げていた。

 狙いどおりだった。ナイフはトビウオのように、きらめきながら一直線に飛び、ヒデの頬をざっくりと切りさいた。

血のにおいは、急速にコダチザメの注意を引いた。

方向転換して向かってくるコダチザメを前に、ヒデはがくがくと全身をふるわせながらわめいた。

「て、てめえ、だましたな……!」

「逃げるなら来たほうじゃないとだめだよ。あとは全部行き止まり、崩れはててる! がんばってよ!」

 自分でも驚くほど非情に、シズカは嘘をかさねた。コダチザメはもう、ヒデを獲物として狙いをさだめ、スピードを上げて向かってきている。シズカの言葉を嘘か本当か判断している余裕は、ヒデにはなかった。

 コダチザメが牙をむきだし、ヒデに突っこむ。その最初の一撃を、ヒデは悲鳴を上げながら避けた。

 その隙に、シズカはすばやく、例の店のシャッターの認証パネルに近づいていた。赤ん坊はまだ声を上げて泣いていて、ヒデは逃げながらわめきちらしている。少し迷ったが、シズカは赤ん坊の手をとると、パネルにおしつけた。

 ピッ、と小さな音がして、シャッターが上がりはじめる。シズカが少し心配したとおり、かなり大きな音が響いたが、この騒ぎのなか、コダチザメが、新しい血のにおいと逃げる獲物から目を離すことはなかった。

 シズカは、開いたばかりの店の陰に身をひそめ、赤ん坊を抱きしめて背中をとんとんたたきながら、コダチザメの動向をうかがった。

 もしもヒデが早々につかまり、コダチザメがこの場を離れなければ、物資はいったん諦めて逃走を試みるしかない。

 足をもつれさせ、悪態をつきながら、それでもヒデは探査者だった。きわどくも巧みにコダチザメの牙を避けて、もと来たほうへ駆けていく。その姿が闇の中に溶けても、青い光液のせいで、しばらくは目で追えた。

 ヒデを追うコダチザメの影が見えなくなり、ヒデの声と足音も消えたころには、ずっと泣いていた赤ん坊も落ち着きだしていた。

 ヒデがどうなったか、どうなるか、わからない。知りたくもない。まだ罪悪感まではおぼえていなかったが、それでも、帰りは同じ方向を通りたくないと思った。

「やっぱり、こんな季節に探査なんてするものじゃないね。早く、こんなところ出て行こう、ね」

 小さく赤ん坊に話しかけて、シズカは立ち上がり、懐中電灯で店の中を照らしだした。

 そこに残されたものたちを見て、シズカは思わず立ちすくんだ。

「……わたし、あなたのおかあさんにたばかられちゃったみたい」

 店の真ん中にパイプ机が二つ並べられ、その上に、いくつかの包みが寄せ集められていた。たいした量とはいえない。少なくとも、一つのサトの住人みんなで隠した、という話は真実とは思えない。

 パイプ机に近づいて、袋のひとつひとつを検分する。

 包みは五つ。そのうち四つが赤ん坊の世話に使えそうな物資で、食糧は残りひとつだけだった。大人の一人か二人、しばらく養える程度の量だ。

「非常物資だったんだろうね。あなたと……おとうさんとおかあさんの分、かな」

 よくよく考えれば、ひとつのサトの備蓄を隠した場所だというのに、その開扉条件を、ひとりの住人の一存で変更できるということ自体、不思議な話だ。

 自分たちに何かあったとき、見知らぬ他者がどうすれば赤ん坊のために動く気になるかを考え、赤ん坊がいなければ収穫が得られない状況をつくろうとしたのだろう、この赤ん坊の親は。

 ヤリザメの話といい、この隠し場所を含むこのあたりの地域が、こんなに危険な場所になるとまでは、考えていなかったかもしれないが。

 シズカも、赤ん坊と共に生きのびるために、ほとんどためらいもせず、卑劣な襲撃者とはいえ、人ひとり陥れて命の危険にさらした。自分をだましたともいえるあの母親の気持ちがわかってしまって、恨む気にはなれなかった。

 ここまでの道のりを思えば、怒りがわいてもおかしくない光景を前にして、むしろ、ふしぎと気分はかるくなった。

「ここまでやったんだ、わたしも、あなたのおかあさんたちも。ぜったい、生きて帰らないとね」

 そう赤ん坊に話しかけて、シズカは、物資を自分の袋に詰めはじめた。


 ずっしりと中身の詰まった荷袋の重みを肩に感じながら、来たほうとは反対側の出口にたどりつき、ゆっくりと地上への階段を上がる。

 地下街に入りこんだときとは違って、シズカは、ゆっくりとした足取りで、階段を一段一段踏みしめ、歩いた。地上の光が少しずつ近づいてくると、どんどん呼吸が楽になってくるような心地がする。

 地上近くまでやってくると、どうやら雨が過ぎ去ったあとらしいことがわかった。あたりはびしょ濡れで、ひどくじめじめしている。

 それでも、天気はよくなってきていた。ずいぶん明るい気がすると思って空をそっと見上げると、雲に切れ目ができている。

 陽の光のもとに完全にからだをさらす前に、階段の端に身を寄せてしゃがみこむと、赤ん坊の頭を毛布で覆う。急に視界が明るくなると、また、びっくりして泣いてしまうかもしれないと思ったから。

 それからシズカも、頭だけが地上に出る位置でいったん立ち止まり、様子をうかがいながら外の光に目を慣らした。クラゲもサメも近くにいないことが確認できると、シズカはとうとう、地上に飛びだした。

 湿っぽい空気を思いきり吸いこみ、伸びをする。外のにおいを存分に味わっていたとき、いきなり、頭の上から水が降ってきた。

「……わっ!」

 声を上げ、雨かと思って目を上げたとき、空のすぐそこ、高い位置を、巨大な球形の生き物が泳ぎわたっていくのが目に入って、シズカは一瞬身構え、すぐにほっと胸をなでおろした。

 あちこちから光が射しはじめた昼過ぎの空を、一頭のフウセンクジラが潮を吹きながら、西のほうへ泳いでいくところだった。フウセンクジラは巨大だが、地上の生き物を襲うことはない。高い位置をふわふわと、漂うように泳いでいく。

 背中でもぞもぞしている赤ん坊の毛布を頭から外してやって、シズカは、見てごらん、と声をかけた。

「フウセンクジラだよ。晴れてきたから、西の海へ帰っていくところだね」

 そのとき、フウセンクジラが再び潮を吹いた。

 吹き上げられた水が雨のように地上に落ち、落ちるときに雲間から差した光を反射して、小さな虹を空に浮かべる。冷たい水滴がシズカのところまでも少し飛んできて、背中の赤ん坊がきゃっきゃっと笑い声をたてた。

 フウセンクジラが遠ざかるのをしばらく見送ってから、シズカはやっと、足を東に向けた。

 赤ん坊をかるくゆすり上げ、荷袋をしっかりつかんだ。

「……帰ろう!」

 声にだすと、疲労がほんの少し吹き飛ぶ気がした。目にはいる景色の明るさも、シズカの体に力を与えた。

 早く帰って、優しい人たちに会いたい。サトのみんなにただいまと言って、ソウジにこの探査の報告をしたい。

 道のりはまだ、半分残っている。

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