地下商店街
あんたは、と問いかけたソウジに、男はこう名乗った。
「おれは宿無しのヒデ。雇われの探査者をやってる。拠点のサトはないんで、あちこち渡り歩いて、宿持ちの探査者の援護やったり、遠方の情報を売ったりして生計を立ててるよ」
それにはシズカが応じた。
「このサトの探査者はわたしです。初めまして」
「どうも。あの人の言う隠し食糧の話は、野良のおれにとっても、夏を越えるにあたってどうにも気になるんだ。だが、梅雨入りしてるいま、隠れ家を離れて無事に旅する自信はないもんでね」
「それはわたしも同じ。一人で行くほうが危険性はずっと高いでしょうね。しかも、赤ん坊連れて……」
そこだよ、とヒデは軽く手を上げた。
「旅の安全性をさらに高められる方法が一つだけある」
「どんな方法?」
「簡単さ。赤ん坊の手形認証が必要っていうなら、それだけ持ってけばいいんだよ。それでおれとあんたが協力してとりに行く。収穫は山分け、どうだい」
こともなげに言う。その意味をはじめ理解しかねて、シズカは少しのあいだ答えに窮し、理解した瞬間、ぞっとした。
言いたいことをのみこみ、サトのリーダーであるソウジを見ると、その表情にも不快感があらわだった。
「ヒデ、と言ったか。この案件、あんたに頼むことはない。あの母親をここまで連れてきたことへのねぎらいとして、いくらかの物資はお分けするが、我々の関わりはそれでおしまいだ」
シズカが口を開くまでもなく、ソウジが必要なことを全部言ってくれた。
ヒデは不満そうな顔をしたが、ソウジが立ちふさがるように無言で一歩踏みだすと、気おされたように一歩退いた。ソウジも腕っぷしが強く、体格からもそれは見てとれる。探査に出ることこそないが、ときにはシズカと組み手をするし、サトを守るための鍛錬を怠らない。
「頭の固い連中だ。おれはかまわんよ。命ひとつと手のひとつ、どっちをとるべきか、よく考えるんだね」
ヒデという探査者はそう捨てゼリフを残し、ソウジの言ったとおりの物資をひったくるように受け取ると、さっさと去っていった。
はじめは迷っていたシズカだったが、その日のうちに、気持ちがひとつの方向へ向かいはじめていた。
日が沈んでから、シズカは再びソウジを屋外に呼びだした。
「ソウジさん、わたし、行ってみようと思う。この赤ちゃんを見捨てる選択肢はない。でもきれいごと言ってたって、みんな平等に飢えるだけ」
ためらいのない様子でそう言うシズカに、ソウジは呆れ顔をしてみせたものだ。
「ちょっと待てって。おれも少し方法を考えるから」
「行くなら早く決めたほうがいいよ、まだ梅雨もピークじゃないでしょう。地図の場所までかかる時間、ざっくり考えて、片道二日、探査に一日、帰りにまた二日。数日もすれば帰り道の危険度がはね上がるから」
うなるソウジに、シズカはたたみかけた。
「食糧もあるっていうのが気になる。保存性はどれくらいだと思う? 貯蔵場所の安全はほんとうに守られてるの? 暮らしていた場所をなくしたばかりの人が、あんなふうに申し出てくれたんだから、手に入るものならできるだけ無駄にしたくない。このサトの夏越えの物資だって、豊富なわけじゃないでしょう」
「だからって……」
「決めるなら、今のうち。わたしは行きたい。ねえ、わたしがいなくなったら、生きてるか死んでるかわからなくても、サトで他の探査者雇っていいから。生きて帰れても、新しい探査者にサトを拠点にする権利、譲ってもいいから」
ばか野郎、とソウジはちょっと怒った声を上げた。
「そこまで言うなら、わかった。送り出すよ。必要なら宿無し探査者も雇うかもしれないが、代わりにおまえを追い出すなんてことはしない。みんな待ってるから、しっかり物資を手に入れて、ちゃんと帰ってこい」
そうして、この湿った危険な季節に、シズカが西の地へ探査に出ることは決まったのだった。
女性は二晩とたたないうちに亡くなった。最後のほうは、高熱の中、うわ言のように赤ん坊のことしか口にしなくなっていた。
女性の死を悼みながらも、シズカの行動は迅速だった。持ち出すものを選定し、装備を整えた。そして、赤ん坊ともどもたっぷり休養をとると、西へ出発した。
「思ったより、順調だったね……」
シャッターが半壊した店舗の中にもぐりこんで、シズカは赤ん坊を抱いて、背中を軽くたたき、あやしていた。
赤ん坊の面倒を見るのは初めてではないし、シズカには歳の離れた弟妹もいた。そもそも、なんとかして小さな弟妹を養いたい一心で、危険だが腕前次第で、食糧や物資を優先的に確保できる探査者になったのだ。
この場所はどうやら雑貨屋だったらしい。小ぶりな商品が置きやすそうな卓が並び、飾りものの類の残骸があちこちに引っかかっていた。
レジカウンターだったものの陰に身をひそめ、シズカはやっと赤ん坊を泣きやませて、ほっと息をはいた。泣き声で危険な生き物を呼び寄せないとは限らない状況だったが、幸運にも、この赤ん坊は比較的おとなしいたちで、空腹やおむつ換えにきちんと気を配ってやれば、泣きやむのも早く、寝つきもよかった。
今も、頬に涙のあとを残しながら、安心しきった表情でシズカの胸に体を預けている。
「あなた、肝がすわってるね……いい探査者になるかも」
なんてね、と独り言のように呟き、レジカウンターからほんの少し顔を出し、注意深く懐中電灯をシャッターの先、通路のほうへ向ける。闇の中、わずかな明かりが切りとった小さな空間、そこに浮かび上がった景色に、シズカは目を見開いた。
小魚の群れが通過していくところだった。一筋の光の中を通りすぎる瞬間の小魚たちの、銀色のウロコがきらきらと光る。
シズカはカウンターの陰から目だけ出したまま、しばらくそうして、通路のほうを懐中電灯で照らしていた。安全でないことはわかっていても、どうしても眺めていたかった。
少々生き抜きづらいけれど、シズカは、今の世界がきらいではなかった。湿気た空気の中を泳ぐ生き物たち。青いネオンのようなクラゲの群れ、銀色にきらめく小魚。
自分たちが生き抜くために衝突することもあるけれど、陸に上がった水の生き物たちを憎む気は起こりもしない。
小魚の群れが最後まで通り過ぎたのを確認して、シズカはそろそろとカウンターから抜けだした。
音をたてない歩き方で店の入り口まで近づき、シャッターの陰から顔を出して、そうっと周辺に光を当て……斜め向かいの店舗の前に大きな影を見つけて、うっと息をつめた。
一匹のコダチザメがいた。さっきの小魚の群れを追ってきたのかもしれない。全長は人間の大人と同じくらいだし、群れで生きるサメではないから、撃退は不可能ではないが、人を襲うことはあるし素早い。できれば避けて通りたい相手だ。
斜め向かいの店舗入り口に、鼻をつっこむようにゆらゆら泳いでいたコダチザメが身動きし、こちら側に方向転換しようとするのがわかった。シズカはすぐさま懐中電灯の明かりを消し、レジカウンターの奥に戻った。
幸いにも、赤ん坊は泣き疲れたのか再び眠っていた。音をたてないように抱っこカバーと毛布を外すと、目を覚まさないよう祈りながら、毛布にくるんだままの赤ん坊をそこに寝かせたシズカは、身軽になって再びシャッターの脇に身をひそめた。
あたりはまた真っ暗になったが、少し目が慣れてきていたし、シズカは夜目が利く方だからこそ探査者に向いている。何もない空間の闇はやや薄く、そこに物体があれば黒っぽく浮かび上がって見える。
コダチザメはこちらの店に向かってゆっくり近づいてきている。生き物のにおいくらいはかぎとっているだろう。
シズカはいつでも立ち上がれる体勢をとり、両手で長棒を握りしめた。この店の中に入りこんでくる前に、食いとめる。シャッターを越えてこようとする動きがあれば、戦いに持ちこむ構えで、待った。
さほど時間を置かず、コダチザメの鼻先がシャッターのこちら側に出てきた。