表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雨期探査 地下街へ  作者: 石見千沙
2/4

地下商店街

 あんたは、と問いかけたソウジに、男はこう名乗った。

「おれは宿無しのヒデ。雇われの探査者をやってる。拠点のサトはないんで、あちこち渡り歩いて、宿持ちの探査者の援護やったり、遠方の情報を売ったりして生計を立ててるよ」

 それにはシズカが応じた。

「このサトの探査者はわたしです。初めまして」

「どうも。あの人の言う隠し食糧の話は、野良のおれにとっても、夏を越えるにあたってどうにも気になるんだ。だが、梅雨入りしてるいま、隠れ家を離れて無事に旅する自信はないもんでね」

「それはわたしも同じ。一人で行くほうが危険性はずっと高いでしょうね。しかも、赤ん坊連れて……」

 そこだよ、とヒデは軽く手を上げた。

「旅の安全性をさらに高められる方法が一つだけある」

「どんな方法?」

「簡単さ。赤ん坊の手形認証が必要っていうなら、それだけ持ってけばいいんだよ。それでおれとあんたが協力してとりに行く。収穫は山分け、どうだい」

 こともなげに言う。その意味をはじめ理解しかねて、シズカは少しのあいだ答えに窮し、理解した瞬間、ぞっとした。

 言いたいことをのみこみ、サトのリーダーであるソウジを見ると、その表情にも不快感があらわだった。

「ヒデ、と言ったか。この案件、あんたに頼むことはない。あの母親をここまで連れてきたことへのねぎらいとして、いくらかの物資はお分けするが、我々の関わりはそれでおしまいだ」

 シズカが口を開くまでもなく、ソウジが必要なことを全部言ってくれた。

 ヒデは不満そうな顔をしたが、ソウジが立ちふさがるように無言で一歩踏みだすと、気おされたように一歩退いた。ソウジも腕っぷしが強く、体格からもそれは見てとれる。探査に出ることこそないが、ときにはシズカと組み手をするし、サトを守るための鍛錬を怠らない。

「頭の固い連中だ。おれはかまわんよ。命ひとつと手のひとつ、どっちをとるべきか、よく考えるんだね」

 ヒデという探査者はそう捨てゼリフを残し、ソウジの言ったとおりの物資をひったくるように受け取ると、さっさと去っていった。

 はじめは迷っていたシズカだったが、その日のうちに、気持ちがひとつの方向へ向かいはじめていた。

 日が沈んでから、シズカは再びソウジを屋外に呼びだした。

「ソウジさん、わたし、行ってみようと思う。この赤ちゃんを見捨てる選択肢はない。でもきれいごと言ってたって、みんな平等に飢えるだけ」

 ためらいのない様子でそう言うシズカに、ソウジは呆れ顔をしてみせたものだ。

「ちょっと待てって。おれも少し方法を考えるから」

「行くなら早く決めたほうがいいよ、まだ梅雨もピークじゃないでしょう。地図の場所までかかる時間、ざっくり考えて、片道二日、探査に一日、帰りにまた二日。数日もすれば帰り道の危険度がはね上がるから」

 うなるソウジに、シズカはたたみかけた。

「食糧もあるっていうのが気になる。保存性はどれくらいだと思う? 貯蔵場所の安全はほんとうに守られてるの? 暮らしていた場所をなくしたばかりの人が、あんなふうに申し出てくれたんだから、手に入るものならできるだけ無駄にしたくない。このサトの夏越えの物資だって、豊富なわけじゃないでしょう」

「だからって……」

「決めるなら、今のうち。わたしは行きたい。ねえ、わたしがいなくなったら、生きてるか死んでるかわからなくても、サトで他の探査者雇っていいから。生きて帰れても、新しい探査者にサトを拠点にする権利、譲ってもいいから」

 ばか野郎、とソウジはちょっと怒った声を上げた。

「そこまで言うなら、わかった。送り出すよ。必要なら宿無し探査者も雇うかもしれないが、代わりにおまえを追い出すなんてことはしない。みんな待ってるから、しっかり物資を手に入れて、ちゃんと帰ってこい」

 そうして、この湿った危険な季節に、シズカが西の地へ探査に出ることは決まったのだった。

 女性は二晩とたたないうちに亡くなった。最後のほうは、高熱の中、うわ言のように赤ん坊のことしか口にしなくなっていた。

 女性の死を悼みながらも、シズカの行動は迅速だった。持ち出すものを選定し、装備を整えた。そして、赤ん坊ともどもたっぷり休養をとると、西へ出発した。


「思ったより、順調だったね……」

 シャッターが半壊した店舗の中にもぐりこんで、シズカは赤ん坊を抱いて、背中を軽くたたき、あやしていた。

 赤ん坊の面倒を見るのは初めてではないし、シズカには歳の離れた弟妹もいた。そもそも、なんとかして小さな弟妹を養いたい一心で、危険だが腕前次第で、食糧や物資を優先的に確保できる探査者になったのだ。

 この場所はどうやら雑貨屋だったらしい。小ぶりな商品が置きやすそうな卓が並び、飾りものの類の残骸があちこちに引っかかっていた。

 レジカウンターだったものの陰に身をひそめ、シズカはやっと赤ん坊を泣きやませて、ほっと息をはいた。泣き声で危険な生き物を呼び寄せないとは限らない状況だったが、幸運にも、この赤ん坊は比較的おとなしいたちで、空腹やおむつ換えにきちんと気を配ってやれば、泣きやむのも早く、寝つきもよかった。

 今も、頬に涙のあとを残しながら、安心しきった表情でシズカの胸に体を預けている。

「あなた、肝がすわってるね……いい探査者になるかも」

 なんてね、と独り言のように呟き、レジカウンターからほんの少し顔を出し、注意深く懐中電灯をシャッターの先、通路のほうへ向ける。闇の中、わずかな明かりが切りとった小さな空間、そこに浮かび上がった景色に、シズカは目を見開いた。

 小魚の群れが通過していくところだった。一筋の光の中を通りすぎる瞬間の小魚たちの、銀色のウロコがきらきらと光る。

 シズカはカウンターの陰から目だけ出したまま、しばらくそうして、通路のほうを懐中電灯で照らしていた。安全でないことはわかっていても、どうしても眺めていたかった。

 少々生き抜きづらいけれど、シズカは、今の世界がきらいではなかった。湿気た空気の中を泳ぐ生き物たち。青いネオンのようなクラゲの群れ、銀色にきらめく小魚。

 自分たちが生き抜くために衝突することもあるけれど、陸に上がった水の生き物たちを憎む気は起こりもしない。

 小魚の群れが最後まで通り過ぎたのを確認して、シズカはそろそろとカウンターから抜けだした。

 音をたてない歩き方で店の入り口まで近づき、シャッターの陰から顔を出して、そうっと周辺に光を当て……斜め向かいの店舗の前に大きな影を見つけて、うっと息をつめた。

 一匹のコダチザメがいた。さっきの小魚の群れを追ってきたのかもしれない。全長は人間の大人と同じくらいだし、群れで生きるサメではないから、撃退は不可能ではないが、人を襲うことはあるし素早い。できれば避けて通りたい相手だ。

 斜め向かいの店舗入り口に、鼻をつっこむようにゆらゆら泳いでいたコダチザメが身動きし、こちら側に方向転換しようとするのがわかった。シズカはすぐさま懐中電灯の明かりを消し、レジカウンターの奥に戻った。

 幸いにも、赤ん坊は泣き疲れたのか再び眠っていた。音をたてないように抱っこカバーと毛布を外すと、目を覚まさないよう祈りながら、毛布にくるんだままの赤ん坊をそこに寝かせたシズカは、身軽になって再びシャッターの脇に身をひそめた。

 あたりはまた真っ暗になったが、少し目が慣れてきていたし、シズカは夜目が利く方だからこそ探査者に向いている。何もない空間の闇はやや薄く、そこに物体があれば黒っぽく浮かび上がって見える。

 コダチザメはこちらの店に向かってゆっくり近づいてきている。生き物のにおいくらいはかぎとっているだろう。

 シズカはいつでも立ち上がれる体勢をとり、両手で長棒を握りしめた。この店の中に入りこんでくる前に、食いとめる。シャッターを越えてこようとする動きがあれば、戦いに持ちこむ構えで、待った。

 さほど時間を置かず、コダチザメの鼻先がシャッターのこちら側に出てきた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ