書きかけの未来(1)
「明日から家事は当番制にしようと思う」
城に来て6日目の夜、共同部屋であるリビングのスツールソファーに胡座をかいて座ったギルが言った。
「なんで?私、料理とか家庭科の調理実習でしなしたことしかないんだけど」
部屋に転んで漫画を読んでいたクレアが起き上がって言う。彼女の持っている少女漫画は、自分の部屋の本棚に入っていたというドラマにもなっている有名なシェアハウスが舞台のラブストーリーだ。高校生だった頃、ノアも友達の勧めで少し見たことがある。よくある少女漫画とは少し違ったストーリーのこの漫画は男女問わず大人気だった。
そんなクレアが読んでいる漫画をギルはチラリと見て言う。
「シェアハウスが舞台のドラマではよくある話だろ」
「ここドラマの世界じゃないし」
クレアはダルそうに言うと漫画をとじると、机の上のクッキーに手を伸ばしそれを口に頬張った。
「ノアくんはどう思う?」
「僕はどっちでもいいよ。料理はできるから」
本当は当番制なら平等だし良さそうだなと思った。だけど、それを言うとクレアが怒りそうだからノアはあえて中立的な立場をとった。
「ノアくんって料理できるんだ!すごっ!」
「リアムさんほど上手い訳じゃないけどね」
「そんなことないでしょ。でも、リアムは料理上手いよね」
クレアはそう言うと、また寝転んで漫画の続きを読みはじめた。
今日の晩御飯はオムライスだった。
オムライスはノアも休みの日に作ったことが何度かあった。だけど、彼のオムライスは自分が作るただフライパンで焼いた卵を乗せただけのオムライスではなく、卵が半熟になった最近流行っているふわとろオムライスだった。
初日だってそうだ。すぐに作れそうなものだからと言って作ってくれた豚丼は味がしっかりついていて美味しかった。
今日の朝ご飯のハムとチーズのホットサンドもお昼ご飯のナポリタンも彼の作ってくれたご飯は全部美味しかった。
同じように料理ができると言ってもノアはリアムと違って特別上手い訳ではない。クレアやギルが喜びそうな料理を作ることができる気がしなかった。
「で、本題に戻るけどどうする?」
ギルが漫画を読んでいるクレアのほうを向いて言う。
「どうするって言われても私は料理できないし」
「そんなの料理本でも見ればいいだろ。あのガキ、キッチンに料理本置いてたぞ」
「料理本があったの?」
クレアがびっくりした様子で聞き返す。
「あった。5冊くらい」
「ガチなんだね。あの子」
クレアがそまたクッキーに手を伸ばした。
そんな彼女を見てギルが揶揄うかのように大声で言う。
「転びながら食べると太るぞー」
「親じゃないんだからほっといてよ」
クレアはそう言うとバリバリクッキーを食べはじめた。
1週間近く過ごして思ったことだが、この城の権力者はギルやクレアなんじゃないかとノアは思っていた。
ギルは口は悪いけど頭がいい天才タイプだろうし、クレアは集団を引っ張ったりすることが得意なタイプだろう。クラスでも会社でもバライティ番組でもこういうタイプは強い。生き残れる。
リアムは中立的な立場でみんなのまとめ役といったところだろう。兄貴的存在と言ってもいいかもしれない。料理もお風呂掃除もお菓子の準備も彼は全部してくれる。それが彼の立ち位置だ。
それに比べてノアやライラは、こういう時いつも黙り込んでしまうし、彼らが話題を振ってこない限り話せない。増してや得意なこともないし城でよ存在感も薄いだろう。
実際、あれから3日に1度のペースで現れるこの城の王様のアルだってノアやライラのことだけ「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」と呼んとでくるし、アルが自分達の名前を知っているのかどうかもよく分からなかった。
別に存在感が濃くても薄くても絵本のペースすら見つかれば、この城では生きていける。生きて元の世界に帰ることができればそれでいい。
今はそう思うようにした。
ノアは机にあったリモコンの電源ボタンを押してテレビをつけると、テレビではドキュメンタリー番組をやっていた。取材されている有名な食品会社の社員が新商品のチョコレート菓子を片手に商品の説明をしている。
そんな番組をぼーっと見ていると、部屋のドアがガチャっと音を立てて開いた。
「あれ?ライラちゃんは?」
「今お風呂です」
ノアが返すと、リアムは「そっか」と笑って言うとノアの隣に来た。
「ノアくん、ちょっと僕の部屋に来てもらってもいいかな?」
「はい」
「良かった。じゃあ、上行こっか」
リアムはそう言うと、転んで漫画を読むクレアとギルに「ライラちゃんがお風呂出たら2人もすぐに入れよー」と声をかけ部屋を出た。
リアムの部屋はいかにも大学生といった感じの部屋だった。ソファーにパソコンが置いてある勉強机、大きな本棚。紺と白でまとまった落ち着いた部屋のベッドにリアムと2人並んで座ると、リアムが口を開いた。
「1つ気になってたことがあるんだけど聞いていい?」
「はい」
「ノアくんやライラちゃんって今高校通ってるの?」
「え」
リアムの質問にドキッとした。
クレアやギルと学校の話はしたことがあったけど、その大半が好きな給食のメニューのことやこれを授業で習った、習ってないといった話で高校を中退したことに触れないといけないような空気になったことはなかった。
クレアは兎も角、ギルはそういうことを詳しく聞いてきそうなイメージが強かったけど別にそういうことはなさそうだったからノアは安心しきっていた。
「勘違いだったらごめんね。自己紹介の時、2人だけ年齢を言ってたからちょっと気になって」
やっぱり気になっていたんだ、とノアは思う。
確かにみんな学年を言っているなか年齢を言うと少し違和感を覚える。ノアがリアムの立場でも同じようになるだろう。
ノアはそう思うと、重い口を開いた。
「中退したんです。僕もライラも」
「中退?」
「はい。経済的な理由で」
家事のことやアルバイトのことを全部リアムに話してしまいたい衝動に襲われた。リアムなら優しく話を聞いてくれると分かっているから。
でも、まだ全てを話す気にはなれなかった。
リアムがクレアやギルに話したら、と考えると怖かった。きっと、現実世界と同じように居場所がなくなる。
でも、それとは別で少ししか話してないのに気持ちが少しスッキリした自分もいた。もう少し時間が経ったらリアムに詳しく話してもいいかもしれない。ノアは心の中でそう思った。
下を向いてそんなことを考えているノアにリアムはゆっくり頷くと優しい声で言った。
「そうだったんだね。ごめんね、変なこと聞いて」
「全然大丈夫です。それにリアムさんにだけでも隠していたことを話せてすっきりしました」
「リアムでいいよ。ノアくん」
「でも・・・」
「年上だからって俺に気遣ったりしなくていいよ。ここは厳しい運動部じゃないんだしさ」
リアムはくだけた言い方でそう言うと、ノアの肩をポンっと叩いた。
「困ったことがあればいつでも相談してね。できることはやるから」
「ありがとう、ございます」
「あ、言葉も敬語じゃなくていいよ」
リアムはまた笑いながら言う。
そんなリアムの姿は優しいお兄さんのように見えた。
「じゃあ、ありがとう。リアム」
「うん。じゃあ、下戻ろうか」
リアムはそう言うと、部屋のドアを開けた。
それ以来、ノアは毎晩リアムの部屋に行くようになっていた。
ノアは行けなかった大学のこと、料理のこと、リアムに聞きたいことがたくさんあった。
リアムは毎晩のようにくるノアのことをいつでも優しく迎え入れてくれた。
ノアがリアムの部屋に行きだして3日目になった頃、リアムがノアに聞いてきた。
「ノアくんは、もしそのまま高校に通ってたらどんな大学に行きたかったの?」
リアムにそう聞かれてノアは高校を中退して以来、忘れかけていた昔の将来の夢のことを思い出した。
ノアの両親は2人とも高校教師だった。だからとまでは言わないけど、ノアもなんとなくこのまま夢が見つからなかったら両親と同じ道を進もうと考えていた。
両親の事故死がきっかけで夢は諦めたし、アルバイトや家事が忙しくて最近はすっかりこのことを忘れていたけど今思えば勿体ないことをしたなと思う。奨学金が借りれるなら今からでも高校に行きたい、と今更ながらノアは思った。
「目指してたのはリアムと同じ教育学部です」
なぜか敬語になってしまったノアにリアムは小さく頷くと言った。
「じゃあ、教師目指してたんだ」
「親がどっちも教師だったからなんとなく」
「へー、じゃあ俺と同じだ」
リアムはそう言うと、部屋のパソコン立ち上げて言った。
「なんでかよく分からないんだけどこのパソコンに家族の写真が入ってて」
リアムはそう言うと、「家族写真」という名前のついたフォルダーをクリックした。すると、画面には家の前に並ぶ家族写真が表示された。
「両親と兄と姉。全員学校の先生。だから、俺もなんとなくそうしたんだ。勉強嫌いじゃないしいっかなって」
リアムはそう言うと、今度は「大学」という名前のついたフォルダーをクリックした。
「でも、受かったのは私立大学だった。うちの両親も兄ちゃんも姉ちゃんもみんな国立大出身なのに俺は落ちて私立」
そう言うと、リアムは学校の写真をクリックした。そこは、ノアも知っている有名な私立大学だった。
「すごい・・・」
ノアが言うとリアムは「ハハッ」の小さく笑った。
「そんなことないよ。うちの学部でもチャラい奴とか普通にいるし」
「教育学部なのに?」
「うん、いるよ。たくさん」
リアムはそう言うとフォルダーに入った写真をノアの何枚かをノアに見せてくれた。
確かにチャラい人はいた。中身は普通なのかもしれないけど、派手な髪型の男子学生やギャルっぽい服装の女子大生が写真にいた。
「でも、いいね。大学生活」
「そうでもないよ。正直、授業は眠いし何言ってるのかよく分からない時もたくさんあるよ」
「でも、羨ましい。僕もこんな生活してみたかった」
目をキラキラさせて言うノアにリアムは「そっか」と笑った。
「今からでもまだ道は開けるよ。秋以降も何か気になることがあったらいつでも相談しておいで」
リアムはそう言うと、ノアに自分のパソコンのメールアドレスを書き込んだメモ用紙を渡した。