孤独なヒーロー(5)
次の日、ノアは珍しくライラに起こされた。
正しくは急に人肌恋しくなったという彼女が布団に潜り込んできたことによって目が覚めた。
この歳になってもこんなことができるのは、お互いの信頼関係がちゃんと築かれている証拠だろう。普通ならこんなこと恥ずかしくてできない。
まだ朝の5時。
みんなよりも早く起きて絵本探しに行きたかったけど、空想内で自分を飼い犬に例えてくる(ゴールデンレトリバーという設定らしい)ライラの相手をしていたお陰で絵本探しがはじまったのは彼女が落ち着いた6時前になってからだった。
ノアはそっとベットから降りると、まずは自分の部屋の中を探した。
ベットの下、本棚、クローゼット、机。
昨日、自分にメンバーの運命を決めさせたアルのことだ。何か1つくらいはヒントがあるんじゃないだろうか。
最初はそう思っていた。
でも、どこを探しても絵本のページは愚かヒントすらなかった。
ノアはそっと部屋を出ると、一階のキッチンへと向かった。前に偽の絵本のページが見つかった場所だ。
とりあえず、まずは食品棚を開けてみる。
食品棚の中には袋に入ったままのパスタやパスタソースや未開封のケチャップやマヨネーズがぎっしりと詰められていた。
1つずつカゴに入れられ綺麗に整頓されたそれをノアは少しずつどけていく。こんなところに紙が1枚入っていたら誰でもすぐに気づきそうな気がするけどここは滅多に開けない場所だ。まだケチャップもマヨネーズもなくなってないし、最近はパスタを食べていない。
もしかしたらここにヒントの1つくらいあるかもしれない。
ノアが音を立てずに1つずつそっとカゴを取り出していると、背中に何かがぶつかった。
振り向くと、布製のサイコロが床に転がっていた。
サイコロを持って見上げると、アルがニコニコしながら立っていた。
「私、これからはそのサイコロを使うことにしたの」
「なんで?」
「私のせいにしてくる人がいるから」
ギルのことだ。ただでさえアルは彼に「中2病」と変なニックネームをつけられているのだからそういう気持ちになるのも少し分かる気がした。
「お兄ちゃん」とノアの前にしゃがんだアルが言う。
「ヒント探してるんでしょ?」
「あ、うん」
「お兄ちゃん、頑張ってるし教えてあげるよ」
「本当!?」
一瞬で気持ちがパッと明るくなった。ヒントだけでも分かれば自分もアルもきっと生きて帰れる。
永遠の眠りになんかつかなくて済む。
でも、アルの表情はさっきと変わっていなかった。
「お兄ちゃんが条件をクリアしたら教えてあげる」
「条件?」
アルはこくりと頷くと、ノアの持っていたサイコロを受け取りそれを転がした。
アルの転がしたサイコロはコロコロと転がりながら机の角にあたってとまった。1だ。
「お兄ちゃんがサイコロを投げて4が出たらヒントを教えてあげる。チャンスは1回ね」
「分かった」
ノアはアルに短い返事を返すと、サイコロを転がした。
サイコロは棚にあたって6でとまった。
「やったー!勝ったー!」
アルと勝負なんかしたつもりはないけど、なぜか自分に勝って喜ぶアルの声がその場に響いた。
そんなバンザイをして喜ぶ彼女の姿が少しずつぼやけていく。自分は寝不足じゃないし、風邪をひいた訳でもない。
でも、瞼は重かった。
それからどうやって部屋に戻ったのかノアは覚えていない。
気づいたらさっきと同じように自分の部屋にいて、隣には部屋を出る前の時と同じようにライラが寝ていた。
ベッドから重い体を起こし、スポーツブランドのロゴがプリントされたジャージを着たままキッチンに向かった。
ドアを開けると、丁度そこにはクレアがいた。
「おはよう。ノアが寝坊なんて珍しいね」
そう言いながら彼女はコーラをコップにつぐ。
「ノアもコーラいる?」
「僕は寝起きだからいいよ」
「じゃあ、果汁100%のオレンジジュース」
ノアが返事を返すよりも先にクレアは冷蔵庫の中からオレンジジュースの牛乳パックを取り出し、それをコップについだ。
「あと、今リアム勉強してるから2人でポテチ食べようよ」
クレアはまたもや一方的にノアに声をかけるとコンソメ味のポテトチップスをおいた。城のメンバーでジュースやスナック菓子を頼んでいるのは大体は彼女だ。
だから、クレアといると彼女はいつも決まってお菓子やジュースを一緒に食べようと誘ってくる。
寝起きでポテチもキツいなと思いながらオレンジジュースを口にするノアの前でクレアはいつものように美味しそうにコーラを一口飲むと言った。
「ねぇノア」
「何?」
「私、はやく大人になりたい。ノアは?」
「僕はずっと学生でいたいかな」
前に聞いたクレアの家族の話だろうか、と思いながらノアは答える。
クレアは「ノアはそうだよね」と1人で納得するとポテトチップスを口の中に頬張った。
「多分知ってると思うけど、私の親ゲームとか買ってくれなくて。でも、私は友達のゲームで遊んだりしてみてこれがすごく楽しい物なんだって知ってるの」
「うん」
「だから、ギルがたくさんゲーム買って貰えてるのがすごく羨ましくて。ギルが前リアムに自慢気に話してるの聞いたんだけど、あの子の家は病院なんでしょ?」
「そうみたいだね」
誰かの悪口を聞くのに慣れてなくて素っ気ない返事になってしまう。でも、クレアはノアの返事についてはそれほど気にしていないようでそのまま話を続けた。
「じゃあさ、私も何か大きな病気だったりしたらゲームたくさん買って貰えたのかな」
クレアが口にした「病気」という言葉とギルの姿が重なる。
確かに病気だったら周りの人は優しくしてくれる。学校にも行かなくていい。
でも、病気になった時の良いことはその2つだけでそれ以外は全然良くない。
好きな物を食べられない。基本的には寝てるだけ。苦しい。
ギルは一見何ともないように見えるけど、毎日薬をたくさん飲んでいる。もしかしたら運動や食事に制限があるのかもしれない。
そんな人が羨ましいと口にするクレアにノアは少し腹が立った。
犠牲になる2人のうち1人は彼女だったらいいのに、と心のどこかで思ってしまう自分がいた。
そんなクレアにイライラして返事を返さないでいるノアにクレアは続けて言った。
「私、本当は知ってるんだ」
「何を?」
「ギルが病気だってこと」
ノアの中で何かがバリンと割れると音がした。今まで一生懸命作り上げてきたものを誰かに一瞬で台無しにされたような気分になった。
彼女の言葉に絶望するノアの後ろで声がした。
「そんなの気づいてたよ。お前、俺がいない時に勝手に部屋に入ってゲーム持ち出してただろ」
クレアが「しまった」という表情をする。
振り向くと、そこにはギルが立っていた。
「でも、お前もうゲームできなくなるよ」
「どういうこと?」
ノアが聞くとギルはこの城にそっくりな城のイラストが描かれた紙をノア達に見せつけるように持って言った。
「脱出ゲームの勝者だから」
脱出ゲームの勝者。つまり、絵本のページが見つかったということだ。
「お前が探してたのはこれだろ?中2病」
ギルが後ろを向いて言う。
いつの間にか彼の後ろに立っていたアルが笑顔でこくりと頷く。
「正解だよ」
それを聞いた瞬間、またノアの中で何かが壊れる音がした。