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ガラスの中で夢をみる  作者: 七瀬優愛
第1章 夏のはじまり
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夏のはじまり(1)

 「ただいま」

 いつものようにバイト先のパン屋から帰宅すると、さっきまで暑かった外の世界とは逆に部屋の中は涼しかった。きっと、ライラが冷房をつけたのだろう。

 そんなことを考えていると、当の本人であるライラが飼い主を見つけた犬みたいに走って玄関に来た。

「今日のパンは?」

 僕が手に持っている紙袋と野菜の入ったビーニール袋を見るなりライラが言う。

 まるで餌を見つけた犬みたいだ。ライラの着ているふわっとしたドレスのような白いワンピースの後ろに尻尾でもついてるんじゃないだろうかと僕は思った。

「今日は、カツサンドが2つと食パンの耳とバケット4切れだよ。あと、パートのおばさんにトマトとレタスも貰ったよ」

 僕がそう言うとライラの顔がパッと明るくなった。

 そりゃそうだろう。いつもは食パンの耳を砂糖をつけてあげただけのものばかり食べているの対して今日はカツサンドがあるのだ。カツサンドなんてご馳走は滅多に貰えない。だから、今日は僕もライラに喜んでもらえて嬉しかった。

 だが、そんな僕の気持ちはライラの一言によってすぐに変わった。

 ライラは、僕から紙袋を受け取ると嬉しそうな顔をして言った。

「これにコーンスープと紅茶を合わせたらヨーロッパのお姫様みたいだよね。だから、嬉しいの」

 ライラはそう言うと、まだ靴を履いたまま突っ立っている僕の手を握って言った。

「今ここはお城の中。私はこのお城のお姫様なの」

 ライラはそう言うと靴を脱いだ僕の手を引き、僕をリビングのダイニングチェアーに座らせて続ける。

「私の両親が海外出張に行っている間、私は身分の違う大切なお友達をお城に招待するの」

「それ、もしかして僕?」

「正解。私はノアを夏休みの間だけお城に招待して2人で暮らすの」

「それは楽しそうだね」

 僕がライラの空想に合わせてそう言うと、ライラは大きく頷いた。

「そのお城のご飯は毎日メニューが変わるんだけど、その中にはバケットとコーンスープとサラダが朝ご飯の日があるの」

「美味しそうだね」

「うん、それを今から頂こうと思ってるんだけどまだできてないみたいね」

 ライラはそう言って周りをキョロキョロと見回した。そこには僕とライラ以外誰もいないのに彼女がそれをやめないのは、今の彼女は空想の世界にいるからだ。空想の世界にいる時のライラの視界も変わるらしい。例えば、食パンの耳はドーナツ、唐揚げはチキンソテーといった感じでいつも色んな料理を普段食べられない食べ物に勝手に想像している。他にも誰もいない場所に向かって喋ったりしていることもある。

 今日もライラは誰もいないテレビの方に向かって「朝食はまだかしら?」と言った。

 僕はそんなライラに対してキッチンから「もう少しでバケットのサンドウィッチとコーンスープができますよ」と返した。

 昼間はパン屋でバイト。帰っきたら晩御飯の用意をしながらライラの空想に付き合う。これが僕の日課だ。

 同い年の子達と違ってほぼ毎日パン屋で働いている自分が嫌になることもたまにあるけど、生きていくためにはこれしかない。

 そんなことを考えながらふと壁に掛けられたカレンダーを見る。今日は7月31日。明日から8月だ。

 きっと、同い年の子達は今頃夏休みを満喫しているのだろう。

 ノアもライラも幼い頃は両家で旅行に行ったり、2人で夏祭りに出掛けたりしていた。

 でも、働いている今はそんな休みなんて存在しない。

 2人で食べることに精一杯な自分達に夏休みなんてもう存在しないのだ。

 ノアはまだ空想の世界にいるライラの前にコーンスープとハムとレタスとトマトを挟んでつくったバケットのサンドウィッチとカツサンドを置くと自分も席に座ってサンドウィッチをかじった。

 貰い物の野菜とスーパーで割引きされていた賞味期限が今日までのハムで作ったサンドウィッチは思ったより美味しかった。


 その日の夜、ライラが晩御飯を食べている時に言っていたのとそっくりなお城が出てくる夢を見た。


 気づいたらノアは見覚えのない芝生の上で眠っていた。

 近くから水の音がして、音がする方を向くとすぐ後ろに洋風の大きな噴水があった。

 一体ここはどこなのだろう。

 そう思いながら立ち上がると、今度は目の前に大きなお城が飛び込んできた。白を基調としたイギリスやフランスにあるアンティークなデザインのそのお城は、ライラが小さい頃から大好きなおとぎ話の絵本に出てくるものとよく似ていた。

 きっとこれは夢だし、どうせならお城の中を見てみよう。

 そう思って、お城の大きくて重いドアを引いた。ドアはキィと小さな音を立てると、アンティークな絨毯が広がった大きな廊下が現れた。

 お城の奥には大きな階段があり、その階段の踊り場にある壁厚にはピンクのバラのハート形のフラワーアレンジメントが飾られていた。

 そして、そのバラのそのバラの下にはお城の先客なのか数人の人影が見えた。ここから見えるのは、4人くらい。全員、着ているのは普段着だった。

 その4人の中に見覚えのあるふわっとしたドレスのような白いワンピースを着た少女を見つけた。金髪の髪をハーフアップにしたその少女がライラだと言うことはすぐに気づいた。

 ライラは、他の3人から少し離れた階段の隅に座って本を読んでいた。

「ライラ」

 彼女の名を呼んで走ってそこに近寄ると、さっきまで暗い顔をして本に視線を落としていた彼女の表情がパッと明るくなった。

「ノアだ!」

 ライラは嬉しそうにそう言うと、抱きついてきた。

 その瞬間、階段の踊り場にいる3人の視線が同時に2人の方に向いた。

「あの子達、付き合ってるの?」

 そんな声がして僕は初めて階段の踊り場を見た。

 そこには、大学生くらいに見える優しそうな男の人と中学生くらいのショートパンツをはいた女の子、そして寝転んでノートに必死に何かを書き込んでいる小学校高学年くらいの男の子の姿がそこにはあった。

 今喋ったのはおそらくショートパンツを履いた女の子だろう。

 女の子はノアに気づくともう一度言った。

「お2人はどういうご関係なんですか?」

「幼馴染みです」

 ノアが答えると、女の子は「ふーん」と言いながらその場で大きく頷くと階段の手すりを滑りながら下に降りてきた。

「私はクレア。中2。よろしくね」

 クレアがそう言うと、彼女に続いて階段を降りきてきた男の人が優しい声で言った。

「僕はリアム。今大学1年で教育学部に通ってます。よろしくね」

 リアムさんがそう言うと、2人は僕の方を見た。どうやら次はノアの番らしい。

「ノアです。歳は17歳。よろしくお願いします」

 クレアやリアムみたいに「中2」とか「大学1年」とか言えないことに少しもどかしさを感じながらノアは自己紹介をした。

 でも、2人とも「よろしく」と言っただけでノアが自分の学年を言わなかったことについて何か言ってきたりすることはなかった。

「名前はライラです。歳はノアと同じ17歳です。よろしくお願いします」

 隣でライラがワンピースの裾を持ってよく映画や絵本で見るお姫様のように挨拶をする。初対面の人にそんなことをしたら変な人と思われるんじゃないか、と思ったけどクレアもリアムさんもノアに言ったのと同じように「よろしく」と言っただけで何か言ってくることもなかった。

 仮に変な人と思われてもこれはきっと夢だし覚めたら終わることだ。だから、細かいことはいちいち気にしなくていい気がした。

 そんなことを考えていると、リアムさんがまだ階段の踊り場で何かをノートに書き込んでいる小学生くらいの男の子に声をかけた。

「君も自己紹介しなよー」

 すると、男の子はノートから視線あげてぶっきらぼうに言った。

「ギル。ほとんど学校に行ったことがないけど一応小6」

「ギルくんかー。よろしくね」

 リアムさんが返すと、ギルはまたぶっきらぼうに言った。

「くんはいらない。子供扱いするな」

「じゃあ、ギル」

 リアムさんが言い直すとギルは納得したのか小さく頷いた。そして、全員の顔を見ながら話しだした。

「お前らはここは何だと思ってる?」

「何だとってここはお城でしょ?」

 真っ先にクレアが返す。

「じゃあ、ここの地名が分かるか?」

「それは」

「ほら、分からないだろ?」

 ギルはイラついた様子でそう言うと階段を降りてきた。そして、1番下の段を使ってまたノートを書きはじめた。ノアがチラッと彼の方を向くと彼が書いているノートが少し見えた。彼が書いているのは、日記のようなものだった。

「俺はここは現実の世界じゃないと思ってる」

「それは僕も同じだよ」

 リアムは続ける。

「さっきまで喫茶店にいたはずなのに目が覚めたら急に城のキッチンにいた。さっきまで使っていた参考書もパソコンも飲んでいたコーヒーもない。だからこれは夢だと僕は思っている」

 ギルは一瞬、ノートから顔をあげると「ふーん」と面白くなさそうな声で言った。そして、またノートに視線を戻しぶっきらぼうな声で言った。

「他は?」

「じゃあ、私」

 クレアが手を挙げて名乗り出るとすぐに話しだした。

「私は気づいたらテレビやソファーが置いてあるアンティークでオシャレなリビングみたいな部屋にいたの。で、外に出たら大きい階段が見えたからそこに行ったらリアムくんとライラちゃんとあんたがいた。これが私の言い分」

「お前、ここに来る前にどこで何してたんだよ」

 クレアの表情が一瞬曇った。でも、すぐに口を開いた。

「あんたには関係ないでしょ。親みたいにいちいち聞いてきたりしないでよ」

「クレアって反抗期なんだな」

 ギルは笑いながら言った。

「私、親に反抗したことしかないし」

 クレアはそっぽを向いた。

 そんな2人のやり取りを見ていてノアは心の中で思った。

 まだ小学生なのにギルはもう「反抗期」という言葉もそれがどういう意味なのかも知っているようだった。もしかしたら私立の小学校とか受験しないと入学できない小学校に通っているのかもしれない。

 それに年上のリアムやリーダーシップをとることが得意そうなクレアを差し引いてギルが話を進めていることも素直にすごいなと思った。

 もし、自分がギルの立場なら年上ばかりの中で自分の意見を堂々と言うことも話を進めることもできないだろう。今もそうだけど、ただ黙って過ごすか順番が来たら意見を言うかのどっちかだ。

 そんなことを考えているとギルが「ノア」とノアの名前を呼んだ。

 ノアが顔をあげると、ギルはノアの方を向いて言った。

「ノアはどこにいたんだ?」

「僕は外の噴水の近くにいたよ。ベッドに入って気づいたらここにいたからここが夢かと思ってた」

「噴水なんかあるんだな。この城」

 ギルが興味深そうに言う。

 たまたまかもしれないけど、リアムやクレアに話しかけた時と違ってギルの言葉はそんなに尖っていなかった。

「うん、あった」

「そっか。じゃあ、最後はライラちゃん」

 ギルはそう言ってライラの方を見た。

 同じ女子でもクレアことはクレアと呼び捨てするのにライラのことはちゃん付けして呼ぶのかとノアはびっくりした。

 もしかしたらクレアとは年がそんなに離れていないから兄弟でもおかしくないし、大学生のリアムは彼からしたら若い教師と変わらない感覚なのかもしれない。だから、あんな感じで話ができる。

 逆に年が中途半端に離れているノアやライラは彼からしたら「お兄さん」「お姉さん」くらいにしか見えないのだろう。兄弟でもなければ教師でもない。例えるなら自分達は小学生の頃何日間か学校に来た教育実習生の大学生や数日間来た職場体験の中学生のようなものなんじゃないかと思った。

 少なくともノアがギルの立場ならそう思う。

 そんなことを考えていると、隣にいたライラが話しだした。

「私はそこのバラのフラワーアレンジメントの前にいたよ。ノアと同じでお城に来る前はベッドに入ってた」

「あーそういえば最初にここにいたのはライラちゃんだったな」

 ギルが納得した表情で言うと、リアムがそれに付け加える。

「僕が来た時にはライラちゃんとギルがいた。その後にクレアちゃんが来て最後にノアくんが来た」

 リアムがまとめと、ギルは「そうだな」と言って小さく頷いた。

 すると、話が終わるのを待っていたかのようにクレアがギルに声をかけた。

「そう言うギルはどこから来たの?」

「クレアには関係ないだろ」

「みんな話したんだからどこにいたかくらい教えてくれたっていいじゃん」

 クレアが言い返すと、ギルはぶっきらぼうに「バスルーム」とだけ答えた。

「バスルームなんかどこにあったの?」

「キッチンの隣」

「へー、ここバスルームあるんだ」

 クレアが手を合わせて嬉しそうに言った。

 隣でライラも「お城のお風呂だからやっぱり猫足のバスタブなのかな?」と喜んでいる。

 少し喜んでいる意味は違うとは言え女子にとってお風呂は大切になってくるらしい。

 話の途中で喜ぶ女子2人に対してギルは自分の話を進めたいのか手をパンパンッと叩いた。

「で、話を戻すけど。俺はここは死後の世界だと思っている」

「死後の世界?そんなのある訳ないじゃん」

 クレアが怒ったように言う。

「俺達は死んだんだよ。死ぬ瞬間なんて誰も覚えてないだろ」

「そんなの死んでないから分からないし。大体死後の世界って何?証拠でもある訳?」

 イラついた様子で言い返すクレアとギルをリアムが「まぁまぁ」と言いながら2人を仲裁した。

「ここがどこなのかはそのうち分かるんじゃないかな?もしかしたらここは夢かもしれないし」

 リアムがそう言い終わるのとほぼ同時に「それは違うよ」という声が城中に響いた。

 子どもの声だ。でも、ライラでもクレアでもない。

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