孤独なヒーロー(2)
ギルの秘密を聞いて以来、彼のご飯はノアが届けることが増えていた。
心臓の病気と言っても医学の進歩のお陰で食事制限はなく彼は健康な人と同じように何でも口にしていた。ただ、糖分や塩分が多いものは控えるように言われているらしくご飯にそういうものが出た時は食事が終わった後でノアがこっそりお茶漬けやうどんを作って持って行った。
最初こそ何も知らないリアムやクレアの目が気になっていたけど食後は2人とも自分の部屋で勉強したり漫画を読んでいたりすることが多かったからその辺は何も聞かれずに済んだ。
そんな日々がはじまって5日が経った頃、大人しくに転んでベッドゲームをしていたギルがゲームに目を向けたままノアとライラに言った。
「2人は人は死んだらどうなると思う?」
「天国に行く、かな」
ノアは畳んでいた洗濯物から顔をあげると、無理矢理笑顔をつくって答えた。
余命宣告をされているとはいえ、「死んだら」なんて彼に言って欲しくなかった。少し横柄なところはあるけど、しっかりと自分の考えを持っていて強い彼の弱い姿なんて見たくなかった。
でも、「そんなこと言うな」なんてとてもじゃないけど言えなかった。自分が彼と同じ立場に立たされたら彼のようにすごく不安になると思うしきっと同じ質問をすると分かっていたから。
「私は、人は死んだら天使に連れられて天国に行って生まれ変わると思う」
暗い気持ちにいるノアとは正反対にギルのベッドの隣の椅子に腰をかけていたライラがいつものようにニコニコしながら答えた。
そんなライラの顔を見てノアはまた辛くなる。未だに心のどこかで自分の両親や家族ぐるみの付き合いをしていたノアの両親の死を受け入れられないでいるのだ。彼女が強がっていることも現実逃避として空想に走っていることも幼い頃からずっと一緒にいるからノアはは全部分かっていた。
「ライラさんは天国って楽しいと思う?」
「うん、すっごく楽しいと思う。ね、ノア」
「そ、そうだね。楽しいよ、きっと」
ギルは小学生で純粋な部分があるからまだ天国とか普通に信じていられるのだろう。そこに行けば幸せに暮らせると。
でも、ノアは違った。例え人が天国に行って幸せに暮らせたとしてももう元の世界には戻れない。家族にも友達にも会えなくなる。好きな映画も漫画も見れなくなる。夢も追いかけられなくなる。
そんな優しくて寂しい世界が怖かった。
そんなノアをよそにライラはギルにいつものように一通り自分の空想(彼女曰く人は死ぬと天使が迎えに来て天国に連れて行ってくれるらしい)を聞かせると、ギルに問いかけた。
「ねぇ、ギルくんは人間は生まれ変われると思う?」
「ちょっとは」
「じゃあさ、生まれ変わったら何になりたい?また自分でいたい?外国人?動物?」
「女の子になりたい」
「女の子?」
ライラが聞き返すとギルはこくりと頷いた。
「大人は女なら優しくしてくれるだろ」
「そんなことないと思うけど」
「俺の世界ではそうなんだよ」
ギルはそう言うと、ベッドから起き上がり本棚から一冊のアルバムを出しながら言った。
「この城、ゲームとアルバムと勉強のドリルだけは俺が使ってたものが置いてあったんだ」
「へーそうなんだ」
ギルは1冊のアルバムをベッドの上に置くと、ノアに手招きして言った。
「ノアさんも一緒に見ようよ」
「あ、うん」
ノアは慌てて立ち上がりベッドに座る彼の隣に腰掛けた。
ギルがアルバムを開くと、そこにはランドセルを背負うギルの隣に幼稚園か保育園に通ってるくらいの小さな女の子が写っていた。
「このチビ、8歳年下の俺の妹」
「へぇ可愛いね」
ギルを挟んだ先に座っているライラが言う。
「そんなことないよ。こいつ、女だからって甘やかされてるし」
「なんで?」
ノアが聞くと、ギルはアルバムのページをめくって言った。そこには、ギルの妹が人形で遊ぶ姿が写っていた。
「親はさ、俺を将来は医者にさせてたかったみたいなんだ。一応、俺の家小児科クリニックだし。父親はそこの院長の医者で母親は看護師。ついでに言うと、祖父も医者で親戚のおばさんは薬剤師。最悪な家庭だろ?」
「そうかな。そんなことないと思うけど」
教育面で厳しそうだなって感じが少ししたけどそんなノアには悪くは聞こえなかった。ギルには言わないけど、経済的にも恵まれてそうだし良い家の生まれじゃないか、と思う。
「俺は嫌だよ。男はみんな医者になれって言うんだから。でも、妹は女だから自分の好きな道に進んで欲しいって母親が言ってた。だから、遊んでても怒られない」
「ギルくんは遊んだら怒られてたの?」
ライラが不思議そうに聞く。
「怒られてたよ。小さい頃からずっと計算の練習したり漢字の本を読んだり、英会話教室に通わせたりって感じで保育園以外遊ばさせてもらえなかった」
「でも、今はゲーム持ってるよね。それはギルくんがお年玉か何かで買ったの?」
ノアが聞くと、ギルは首を左右に振った。
「親が買ってくれた。俺が病気になった時に。無理させてごめんねって2人とも言ってたけど俺には全然その言葉は響かなかった」
「それはなんで?」
「親がゲームを買ってくれたということは俺が使い物にならないってことだよ。まぁ従兄弟とか使える奴はまだまだたくさんいるけどね」
ギルはそう言ってアルバムを閉じると、ノアの方をじっと見て言った。
「ノアさん、1つお願いしても良い?」
「何?僕にできることならなんでもするよ」
「あの、勉強教えてくれませんか?できれば小3くらいから・・・」
ギルはそう言うと、本棚の方に行き小3の社会のドリルと理科のドリル、そして計算のドリルを取り出してノアに見せた。
「僕で良かったらいいよ。でも、リアムさんの方がこういうの得意だと思うけどそれは大丈夫?」
こういう時こそ教育学部に通っている現役の大学生の出番だろ、と思いながらノアが聞く。でも、ギルは首を横に振った。
「ノアさんの方が良い。俺知ってるよ。よくリアムさんと話してるじゃん。ノアさんも教師目指してるんでしょ?」
「あー、まぁ一応ね。でも、まだ高校生だよ?大丈夫?」
本当は、教師を目指しているどころか高校を中退しているからノアは“高校生”ではない。
でも、夢を諦めたくない気持ちは心のどこかにまだ残っていた。
「大丈夫。俺、ノアさんの方が話しやすいしノアさんに教えてもらいたい」
「そう言われてもな・・・」
正直、上手く教えられる自信はなかった。もともとノアは人と話すこのはあまり得意な方ではないのだから。
少し悩んでいると、ギルの隣に座っていたライラがノアの隣に来た。
「ギルくんは頭良いからきっと大丈夫だよ。だからちょっとだけやってみよ?」
自分の幼い頃からの夢を後押しするようにライラが言った。そんな幼馴染みの声を聞いてノアは「少しだけなら」と心の中で思った。
「うん。分かった。少しだけやってみるよ」
ノアの言葉にギルは嬉しそうに「やった!」と声をあげて喜んだ。
自分が彼にできることは限られている。だからこそできることをやってあげたい。
部屋にある勉強机からノートと鉛筆を用意する彼を寂しい目で見つめながらそんなことを考えた。