孤独なヒーロー(1)
「受験勉強ですか?」
「うん、受験勉強に集中したいから暫く部屋にこもるってギルが言ってた」
卵を片手で割りながらリアムが答える。
「あいつどこまでもカッコつけてるよね」
リアムに続いてクレアが食パンを袋から出しながら言う。
城の世界での7月下旬の朝。相変わらず、絵本のページは見つかっていないけどなんとみんなでそれなりに楽しく生活をしていた。
クレアはあの一件以降、簡単なことだけだけとはいえ食事の準備に参加するようなり(当番制はもうどうでもいいらしい)前より城の雰囲気が少し明るくなった気がする。
そんなこともあり食事の準備をするのは、いつも決まってノアとリアムとクレアの3人になっていた。
「でも、中学受験する人って最近多いと思うよ。ノアくんやクレアちゃんの学校だってそうじゃなかった?」
リアムに聞かれて、ノアは小学生だった頃のことを思い出す。
合否は別として中学受験をした人はノアの友達も含め何人かいた。親の教育方針だったり、将来の夢があったりと中学受験をする理由は様々だろう。でも、どれにしてももう自分の進路を決めるなんてすごいなと小学生の頃からノアは思っていた。
「何人かいました」
そんな昔の記憶を思い出しながら答えたノアに対し隣にいたクレアが「えー」と声をあげた。
「私の周りにはいなかったよ」
「それクレアちゃんが知らないだけじゃなくて?」
リアムに聞かれてクレアは「あー」と声をあげた。
「もしかしたらいたのかもしれないけど、私頭悪いしそういう子とは接点なかったから分からない」
「そうなの?クレアちゃん友達多そうだけど」
リアムに聞かれてクレアは小さく頷いた。
「昼休みはドッジしたり教室内で鬼ごっこしたりしてて馬鹿な男子と体育会系の女友達とばっかりと遊んでたから頭良い子とは接点がなかったんだ」
「クレアちゃん、やんちゃだったんだね」
クレアは「うん」と短い返事を返すと、食パンをトースターに入れた。
「じゃあ、ノアくんそろそろライラちゃんを起こしてきて」
「はーい」
ノアは短い返事を返すとキッチンを後にした。
ギルが受験勉強をしていると知らなかった昨日までは、彼を起こしに行くこともあったけど彼の部屋は鍵がかかるのかドアは開かずに外から声をかけるだけになっていた。
部屋を出ないのは、食事の時も同じだった。そんな彼のためにリアムがリビングの押入れにあったという小さな木の椅子を彼のドアの横に置き最近はそこに食事を置くようになっていた。
2階に行くと、ドアが開きっぱなしになっている部屋が一部屋あった。あの洋風の黒いドアはギルの部屋だ。
今日は降りてくるのだろうか?
そう思いながら部屋に近づくのど同時にギルが出てきた。
パジャマ姿の彼は、右手に青色のプラスチックのコップ、左手にはスポーツブランドの巾着を持っていた。
「おはよう」
ノアが声をかけると彼もぶっきらぼうに「おはよう」と返した。
「朝ご飯もうすぐできるみたいだよ」
ノアがそう言って彼の隣を通り過ぎようとするとギルが慌てたような声をだした。
「あの、ノアさん」
「ん?」
「このことは誰にも言わないでください」
ギルは珍しく敬語でそう言うとノアに頭を下げた。「本当に、本当に、これだけはお願いします」と彼が震えた声で言う。
このことと言うのは、部屋を出ていないことだろうか?誰も怒ってないのに。
「うん、誰にも言わないよ」
ノアが答えると、ギルは「ありがとう」と言いノアに巾着を見せた。
「それ何?」
ノアが聞くと、ギルは黙って巾着をあけ中身をノアに見せた。
中身を見てゾッとした。
巾着の中にはノアが見たことがないくらいのたくさんの薬が入っていた。薬だけじゃない。よく見るとそのなかには注射器も入っていた。
ノアが巾着から顔をあげると、ギルが小さな声で言った。
「俺、病気なんだよ。心臓の病気」
「心臓の病気・・・」
ノアがギルの言葉を繰り返すと、ギルは黙って頷いた。
「小1の時から入退院を繰り返してて今はほとんど学校には行っていない。まぁ勉強以外興味ないから良いんだけど」
ギルはそう言うと、巾着から薬を1粒取り出した。
「安静にしてたら症状が滅多に現れないからここでも大丈夫だと思ってた。でも、ダメだった」
ギルは一息置いて続ける。
「今までは誰もキッチンにいない時間を狙って水を取りに行ってたんだ。本当は部屋に水を置いておきたいけど、ボードにミネラルウォーターが欲しいとか書いたらリアムやクレアに何か言われそうだしあの中二病も余計なこと言いそうだし」
「それ少し分かるかも」
確かにリアムは口が軽い部分がある。本人は、みんなで問題を解決したいとか話を聞いて欲しいとかそういうちゃんとした理由で話しているのだろうということはノアにも分かる。でも、彼のことだから言って欲しくないことまでベラベラ話してしまいそうな気もした。
クレアは自分が納得するまで色々聞いて探ってくるタイプだろう。クレアのようなクラスで目立つ派手な子は大体みんなそんな感じだ。
アルもリアムと同じように余計なことまで喋ってしまいそうな感じがした。
「あとさ、一応俺余命宣告もされてるんだよね」
「え・・・」
余命宣告。つまり、死が近いということだ。
いつも楽しそうゲームをしている彼の姿からは想像がつかなかった。
動揺するノアをよそにギルはいつもと変わらない様子で言った。
「あーでも、俺さ死ぬこと怖くないんだよね」
「そうなの?」
「なんかホラゲーみたいで楽しそうじゃん」
「ホラゲーか。良いよね」
中学生の頃の夏休み、父親が古本屋さんで買ってきた古いホラー系の脱出ゲームをライラと一緒にやったことがある。両親がホラー系の映画や小説だったこともあり、ノアもホラー系の映画や小説はわりと平気な方だった。
そんなこともあり、あえて夏休みの夜中にライラと2人でホラーゲームをした。
途中から赤ずきんのようにタオルケットを頭に乗せて怖がるライラの隣でノアはこのホラゲーを一晩で最後までクリアした。スリルがあって面白かったことを覚えている。
「ノアさん、やったことあるの?」
ギルが目をキラキラさせて言う。
「うん。ホラー系の脱出ゲーム」
「ホラー要素のある脱出ゲームいいよな。俺も死んだらあんな風に誰かの部屋に住み着いて驚かせたい」
ギルはいたずらっぽい笑みを浮かべてそう言った。どこまで本気なのか分からないけど、彼は幽霊を信じるタイプのようだ。
「あ、話長くなったけどこのことは絶対に誰にも秘密だからな」
ギルが「しー」というポーズをして言った。
「うん。秘密にするよ」
「ありがとう」
ギルがホッとしたような笑みを浮かべて言ったのとほぼ同時に後ろから「おはよ〜」とのんびりしたら声が聞こえた。
ライラだ。どうやらギルと話している間に目が覚めたようだった。
「おはよう」
ノアが彼女に挨拶を返すのとほぼ同時にギルが慌てたような口調で「もしかして今の話聞いてました?」と彼女に聞いた。
ライラはニコニコしたままこくりと頷いた。
「ギルくん、病気と闘ってるんでしょ?なんか、ヒーローみたいですごいね」
空想の世界に入ってしまっているのか目をキラキラさせて言うライラにギルは「まぁそうだな」と適当に彼女と話を合わせる。
「で、ギルくんのところにはもうすぐ天使が迎えに来るんでしょ?」
「死」を「天使が迎えに来る」という言葉に置き換えるなんてライラらしい、と思うノアの隣でギルはがっくりと肩を落とした。
「あーやっぱり聞かれてたか」
「これ絶対、リアムとかクレアとか会うか分からないけどあの中二病に話さないでもらえますか?」
「せっかく天使が迎えに来るのに?」
朝っぱらから自分の空想の世界に入っているライラにギルは「病気と余命宣告を受けてること」と丁重に彼女の言葉を言い換えた。
こうして、この物語のヒーローとそのヒーローの秘密を知る僕と幼馴染みの生活がはじまった。