私の知らない母親の恋(7)
高校生の彼氏と付き合いだして2ヶ月が経った頃、クレアは学校をサボりがちになっていた。
担任の先生には、「家の都合」や「風邪」、「親戚のお葬式」などありとあらゆる手段で彼氏に電話をして貰っていた。
もちろん、毎日学校に嘘の電話をしてくれた彼氏もクレアと同じように高校をサボっていた。
学校がある時間、2人は色んな場所でデートをした。
普通の中学生ならできない平日の昼間のカラオケ。親子連れしかいないゲームセンター。主婦が夫の悪口に花を咲かせているファミレス。
どれも普通の中学生なら絶対できないことだ。
おまけに高校生で夕方からバイトをしているという彼は、クレアが「欲しい」と口にした物を予算内ではあれば何でも買ってくれた。
オシャレな服も中古ではあったもののゲーム機も気になっていた映画のDVDも全て金のお金で手に入れた。母親が絶対に連れて行ってくれなかったバイキングにやアイスクリーム屋さんにも行った。
毎日、母親の仕事が終わるまでにきちんと帰宅していたクレアは母親に高校生の彼氏がいることをバレることがなく楽しい生活を送っていた。
そんななか事件は起こった。
きっかけは、ほんの些細なことだった。
クレアが夕飯の回鍋肉を食べていると、前に座っていた母親が「クレア」と自分の名前を呼んだ。
「何?」
「何かお母さんに隠してることない?」
「何も」
クレアはそう言って母親を睨み付けると回鍋肉を口に頬張った。
「じゃあ、この成績表は何なの?」
「成績表?」
母親が手に持っていたのは、クレアの成績表だった。担任の先生や母親に何か言われるとめんどくさいという理由でテスト1週間前からテストが終わるまでクレアは真面目に学校に通った。
久しぶりに食べた給食は食べ慣れたファミレスのご飯と違ってあまり美味しくなかったし、授業はカラオケやゲームセンターと違って退屈だし眠い。
そんな日々を自分なりに頑張って過ごした結果がそこには載っていた。全教科30点以下。
「このままだと行ける高校がない」と言う担任の先生の声が今にも聞こえてきそうな成績表だった。
「あーそれ。勉強嫌いだこら仕方ないじゃん」
今更成績表のことか。そっちが男の人とキスしたりデートしたりしている時間に私は一生懸命学校に行って寝ていたとはいえ授業に出席していたというのに何なの、その態度。と、クレアは心の中で母親に言った。いざ母親を前にすると、直接そういうことを言う勇気はなかった。
「それだけじゃないのよ。昨日、学校から電話があったの」
「担任から?」
「そうよ。クレア、ずっと学校に行ってなかったんでしょ?」
チッ。あの担任、余計なことを言いやがって。
やっぱり大人はずるいし自己中だ。母親も自分が恋人がいればそれで良いのだろうし、担任の先生も自分の仕事が上手く行けばそれでいいとしか考えていない。
2人とも子どもを守るべき存在なのに子どもより自分を優先している。
そんな2人のことがクレアは気に入らなかった。
「そっちだって車の中で変な男の人とキスしてたくせに!」
母親の顔が一瞬怯んだ。
逆ギレだとは分かっている。でも、クレアの口は止まらなかった。
「私、知ってるんだから!食費もお母さんのそのワンピースも全部あの男が買てくれたんでしょ?」
母親は何も言わずにクレアの方を見ていた。その表情には、怒りと悲しみが混ざっているように見えた。
それでもクレアは続けて言う。
「男なんてさ、金を出してくれるだけの生き物なんだよ。私、お母さんと同じように彼氏いるんだけどあいつもそう。何でもポンポン買ってくれる。男さえ手に入れれば何でも欲しいものが手に入るって便利な世界だよね」
お母さんだって本当はそうなんでしょ、と言う意味を込めてニヤっと笑った。
「ま、お互い頑張ろうよ。じゃあ、この話はもうおしまい」
クレアは1人で話を終わらせると、急いで残りの回鍋肉を口に詰め込み席を立ち上がった。
「クレア」
食器を流しに置く
「何?」
「お母さん、今の彼氏と再婚するつもりだから」
え、マジで。やめてよ。
そんな言葉が頭を過ぎった。
もし、あの男の人がいたら生活が楽になるのは確かだ。
でも、クレアは賛成できなかった。この微妙な時期に新しい父親なんて欲しくなかった。
「なんで?」
「なんでって愛してるからよ」
「何それ。キモっ」
クレアは吐き捨てるようにそう言うと、台所を後にした。
部屋にこもって友達に借りた漫画の続きでも読もう。そう思った。
でも、この狭いアパートは漫画の世界みたいにリラックスはできなかった。
部屋にいても母親が誰か(多分、あの男の人)と電話する声がしょっちゅう聞こえてくる。
自分の部屋ならまだ我慢できるけど、好きなアニメやドラマ、バライティ番組の時間にそういうことをされると本当に腹が立つ。
クレアの聞いたことのないような甘ったるい声で電話をする母親が気持ち悪いとしか思えなかった。
「恋って気持ち悪いな」
いつしかそれがクレアの口癖になっていた。
最初はずっと我慢していた。母親の甘ったるい声も6月の中頃から土日に家に来るようになったあの人のことも。
でも、1つだけどうしても許せないことがあった。
はじまりはあの人を入れて3人でラーメンを食べに行った時のことだった。
スマホをいじりながらラーメンをすするクレアにあの人が言った。
「クレアちゃん、兄弟欲しい?」
急に何を言ってんだ、この人は。もしかしてつぎは連れ子を連れてくるの?
クレアは心の中でそう言い返すと、無視してラーメンをすすった。
すると、前に座っていた母親が少し怒ったような声で言った。
「クレア、返事くらいして」
「イケメンか頭の良い人ならアリ」
「そっか」
あの人が笑った。
こっちは適当に答えてんのにそんなことに対してもいちいちニコニコして気持ち悪い。あ、でもどうせ連れ子がいるなら「イケメンか頭の良いお兄ちゃん」ってはっきり言うべきだったなとクレアは思った。
仮にお姉ちゃんだとしても頭が良い人かノリが良い人か癒し系ならアリ。お兄ちゃんでもそうだけど頭の良い人なら宿題を手伝ってもらえる。そうじゃなかったとしてもノリが良い人ならガールズトークができるし、癒し系は見ているだけで癒されるし優しそう。
年下は好きじゃないから嫌だけど、年上なら甘えられるしアリだな、とクレアは考えた。
でも、現実は甘くはなかった。
夏休みに入ったばかりの頃、クレアは母親とあの人から2人が結婚していたことと子どもがいることを告げられた。
思春期の中途半端な時期に再婚したり、兄弟つくったりなんかするなよ。私は後2年もしたら受験生なのに。
心のなかではそんなことを思ったけど、それを言ったところで何か状況が変わるとは思えなかった。
だから、クレアは単刀直入に言った。
「デキ婚とかキモいね」
スマホを片手にそう言ったクレアをあの人が初めて平手打ちをした。
そして、そんな彼の後ろで母親が泣いていた。