私の知らない母の恋(3)
「それ私へのおつかい?」
アルがノアの顔を覗き込んで聞いてくる。
ノアを見つめる幼い少女の顔はやはり幼い頃のライラによく似ていた。
「うん。これお願いできるかな?」
ホワイトボードをアルに渡すとアルは暫くそれを見つめて言った。
「ご飯っていつもお兄ちゃん達が作ってるの?」
「うん。あと、リアムも」
「じゃあ、ギルとクレアは何もしてないの?」
「何もしてないというよりまだ料理ができないって感じかな」
ノアの説明に対しアルは不思議そうな表情を浮かべた。
「私より年上なのに?」
「アルちゃんより年上でも人間だからできないことってやっぱりあるんだよ」
「ふーん」
アルは納得したのか小さく頷きながらライラの隣の椅子に腰をかけた。
隣に並ぶとやっぱりアルはライラとよく似ている。金髪の髪も綺麗な瞳も着ている服もそっくりだった。これなら年の離れた姉妹だと思われてもおかしくない。
そんなことを考えていると、アルがノアの方を見てニコッと笑った。
「今暇だからお兄ちゃん達とお話していい?」
前のように怖い雰囲気もなく、公園にいるような無邪気な子供にしか見えない彼女の頼みを断ることができずにノアはこくりと頷いた。
「やったー」
アルは両手をあげて喜ぶと冷蔵庫の方を見た。
「今飲み物は何があるの?」
「飲み物?」
ノアはずっと麦茶ばかり飲んでいたからあまり気にしたことがなかった。でも、ジュースの1本くらいはあるかもしれない。
なんとなくだけど、クレアやギルはジュースを飲んでそうなイメージがある。
冷蔵庫を開けると、案の定グレープジュースが入っていた。
「オレンジジュースがあるけど」
「炭酸入ってるの?」
アルより先にライラが聞く。
ノアは想像してみる。グレープジュースということは、これをあるか分からないけどワイングラスのようなコップについでまた空想を繰り広げる彼女の姿を。
そう思いながらグレープジュースのラベルを見ると、「炭酸」という2文字が目に入った。
ライラは炭酸が苦手だ。だから、今回は彼女の空想劇場が繰り広げられることはないだろう。
「炭酸入ってるよ」
「そっか。せっかくお姫様になれると思ったなのに」
「あ、アイスティーならあるよ」
ノアはペットボトルに入ったアイスティーをライラに見せる。
「じゃあ、私はそれ」
「アルちゃんは?」
「私も」
「オッケー」
ノアが人数分のグラスを出してアイスティーとおやつのチョコチップクッキーをお皿に出していると後ろにいるアルが言った。
「お姉ちゃん、お姫様になるのが夢なの?」
アルがライラの方を不思議そうな表情で眺める。
「うん。小さい頃から絵本のお姫様に憧れてるの」
「それ私のおばあちゃんもだよ。おばあちゃんが描く絵本はお姫様とかお嬢様とかたくさん出てくるの」
「そうなんだ。いいね、私おばあちゃんいないから羨ましい」
ライラが心の底から羨ましそうに言う。無理もない。今の彼女は、身内が誰一人この世にいないのだ。
「アルちゃんはおばあちゃんの絵本を読むのが好きなの?」
アイスティーを配りながらノアも聞いてみる。
「好きだよ。面白いもん。それに私の家、お母さんも少し変わってるの」
「それってどんな風に?私みたいに空想癖があるとかかな?」
ライラがそう言ってアイスティーを一口飲んだ。
「うん。おばあちゃんもお母さんもお姉ちゃんみたいにいつも色んなことを空想しててそれを絵本にしてるみたいだよ」
「お母さんも絵本作家なの?」
ノアが聞くと、アルは「イラストレーターだよ」と答えた。
「お嬢様とかお姫様とかいつもそういうイラストばかり書いてるの」
「お母さんの絵は好き?」
ノアが聞くと、アルはこくりと頷いた。
「大好きだよ。おばあちゃんがお話を書いて、お母さんが絵を描いた絵本が私の誕生日プレゼントなの」
「誕生日プレゼントなんだ。いいなぁ。その絵本、私も読んでみたい」
ライラが手を合わせて言う。
「お姉ちゃんもきっと読めるよ」
「持ってきてくれるの?」
ライラが聞くと、アルは首を左右に振った。
「絵本はお兄ちゃんやお姉ちゃんのすぐ近くにあるよ」
「それって」
ライラが何かを言いかけたのと同時にキッチンの扉がバンッと大きな音を立てて開いた。
ドアの方を振り返るとクレアがいた。
クレアはノア達を見るなり「あ、いたの」という表情を見せただけで何も言わずにスナック菓子とコーラを持って部屋を出て行ってしまった。
彼女のいなくなったドアをぽかんと眺めているとドアの下にさっきはなかった大きな封筒が1枚落ちていた。
「アルちゃん、これ何か分かる?」
ノアがそれを拾って後ろを振り向く。だけど、もうそこにはさっきまでいたアルの姿はなかった。
代わりにいつの間にか空想の世界に入ったライラが「ノアもちゃんと席について。ティーパーティーはじめられないじゃん」とその場でぷくーっと頬を膨らせていた。