塩
6
「な~んだ、彼氏留守じゃん。」
…………え?
振り返ると、さっきの霊がいた。
隼人の部屋の前で途方に暮れていた私は、さらに困った。
どうしよう!!ついて来ちゃったんだ!!塩!塩!って、塩なんか持ってるわけないでしょ~!!
そっか、彼氏の部屋に行くとか言っても、普通について来ちゃうんだ……。強引なんじゃなくて、空気の読めない幽霊だったんだ。
「まだ幽霊とか言います?残念ですけど私、ドアの通り抜けとかはできないんですよ。ほら。」
そう言って幽霊はドアに手をついて見せた。本当だ、すり抜けたりしない。幽霊はそのままペタペタドアを触ると、ドアノブに手をかけた。
「じゃ、とりあえず開けてみます?」
幽霊は勝手にドアを開け始めた。
「え、あ!ちょっと!勝手に…………」
ドアは、ガッチャンと音を立てて、いとも簡単に開いた。
「隼人、開けておいてくれたんだ~!やっぱり隼人優しい~」
こうして、私は隼人の部屋に入る事ができた。
部屋に入ると、まるでさっきとは別の部屋に思えた。夕焼けに照らされた部屋は、オレンジ一色だった。もうこんな時間?時間の感覚がおかしい。
「お邪魔しま~す!」
私に続いて、後から幽霊も入って来た。
「ちょっと!何であんたまで?」
「え?ここまで来させといて帰すんですか?」
勝手について来ただけでしょ!?
これじゃ、隼人の家で二人きりラブラブタイムが台無し……
「梨理?」
「隼人!隼人~!!」
部屋の中には普通に隼人がいた。
「どうかしたの?」
ベッドの上に服を置いて、隼人が服を脱ぎながらこっちを見た。
「なん~だ、彼氏部屋にいたんだ!」
「え?今着替えるの?いや、だってほら、他に人が…………」
「人?どこ?誰もいないよ?」
隼人はさも当然かのように着替え続けた。
え…………?誰もいない!?
「誰もいない!?ちょっと待って?」
もう一度、幽霊の方を見た。目を擦ってみも、眉間に力を入れて見ても、ガンをつけて見ても、どう見ても…………私には、はっきりとその存在が見える。
私の驚く様子を見て、幽霊はわかってもらえた?という顔をしていた。
「ほらね。他の人には見えないんですよ。」
「…………。」
初めて……………………ゾッとした。
「こっっわっっ!!」
私の驚きに隼人が驚いた。
「どうしたの?」
「そこに幽霊がいるの!」
「え?どこ?」
「そこだよ!そこ!」
隼人が一緒になって怖がると、余計怖さが増した気がした。
「ええっ怖っ!!」
「怖っ!!」
「やだ怖い怖い怖い!」
「怖っ~!」
私達がバカみたいに怖がっていると、幽霊が冷静に突っ込んだ。
「いやいや、いつまで怖がってるつもり?」
いい加減うんざりという顔でこっちを見た。
いや、あんたのせいでしょ!?
「僕、取りつかれ体質なのかな?」
「大丈夫!隼人は私が守る!」
そう!隼人に心配も迷惑もかけたくない。隼人は私が守るんだ。私が側にいて、絶対に幽霊から隼人を守る。
「隼人、塩!塩ちょうだい!」
「塩?」
隼人から塩を受けとると、幽霊に振りかけた。
「止めて!アジシオ止めて!」
「あ、本当だ。ま、いっか。くらえ!アミノ酸!!」
すると、隼人に優しく諭されて、塩を取り上げられた。
「梨理、食べ物で遊んじゃダメだよ。」
「遊んでないよ!悪霊退治だよ!」
「…………。」
隼人は、また、困った笑顔になった。
塩のついた手で腕を十字にして、ウルトラ◯ンになった。
「くらえ!!エンカナトリウム光線!!」
「ギャー!しょっぱい~!」
「あ、効いてる効いてる!」
幽霊は苦しむのを止めて、冷静に突っ込んだ。
「んな訳ないでしょ!何やらすの!」
私達の三文芝居を、隼人は無言で眺めていた。
「本当に……誰かそこにいるんだね……。」
認めた!?意外にも隼人は、幽霊の存在をあっさり認めた。塩味のようにあっさりと。
「何だか梨理、楽しそうだね。」
楽しそう…………?
「うん、まぁ、大学生活も楽しいよ!」
隼人がいない大学生活も、そこそこ楽しい毎日だった。
「なっちゃんと、土居ちゃんと、ハナ、三人の友達ができたし、なっちゃんとは同じサークル入ったし、あと…………」
「…………。」
隼人はまた困ったような笑顔で、私の話を黙って聞いていた。
「あと、好きな人!…………好きな人?」
好きな人に…………好きな人を紹介するって…………何?
指と指を擦り付けると、感触に違和感を感じた。きっと、さっきの塩だ。
そんな感覚と似てる。
当たり前に、いつの間にか着いていた塩に気がつく。
当たり前なのに、当たり前の事に気づかなかった自分に、やっと気づかされる。やっぱり…………何かおかしい。
この塩のような、違和感の理由がわからない。それが気持ち悪い。
時間の感覚や、場所、思い出せばまるで、当然のように思い出す。それなのに…………
「梨理?」
「隼人…………私、どうして泣いてるのかな?どうしてこんなに……不安になるんだろう?どうして…………」
「梨理…………。」
隼人は、私をそっと抱き締めてくれた。
嘘…………初めて、隼人に抱き締められた。今まで、こんなに甘やかされた事なんて一度も無かった。
不安で押し潰されそうになった心が、隼人の温もりに少し救われた。
夜の帳が、夕暮れのオレンジの光を遮り始めた。
誰か教えて……
この涙の理由を、誰か教えて。