第14話 逃れられぬ招待
背後からの呼声に息を飲み私は振り返る。肩ほどの緋色の髪が風に揺れ、その下の眼鏡に光が反射して怪しく光る。
その声は此方を逃がすまいと言う威圧感を感じさせるが、相反して口元は穏やかな笑みを湛えていた。軽い溜息の後、眼鏡の下の暗い緋色の瞳が貶む様に細められ、口角が怪しく弧を描く。
「さて、今直ぐ貴方がたを憲兵に差し出しても構わないのですが?」
「行き成り何なんだお前は!」
ダリルは相手を睨むと、一歩前へ出る。しかしそんな殺気を感じてか、一人の人物が魔へ躍り出る。深々と被った礼服の頭巾が風になびき、その下の紺色の髪を覘かせた。
「おっと、動くなよ橙頭ぁ!悪いが俺様はコイツを守んなきゃなんねぇのよ」
その顔には覚えがあった。名前は何だったかな?確か私を亡き者にしようと牢で襲撃した一人で・・・
えーと・・・。
「あっ・・・便器男!」
「便器・・・ぶはっ!良く解んねぇけどお前、大そうな名前しているじゃねぇか!」
私が指さし口にした呼び名に、ダリルを始め、周囲から様々な笑い声が漏れる。
頭に浮かんだのは牢での襲撃の一場面。其れは目の前の人物がセレスの頭突きを受け、便器に頭を突っ込む姿だった。便器男はこめかみに青筋を立てると、私を鋭く睨みつける。
「よりによって、何で其れなんだよ!俺様はギル・・・今はフランツだ。少ねぇ脳味噌に確りと刻みやがれ!」
「ギル・・」と言いかけた名前を頭の中で反芻する。思いだしたギルベルトだ。ヘルガと違い、同じく暗殺に失敗をし、消された筈の人物が生き延びている。
其れを阻止した人物は十中八九、あの後ろに立つ冷やかな視線を送る人物だ。
「フランツ、此処は公共の場です。荒事は其処までになさい」
「しかし!エヴァルト大祭司様、此奴らが!」
ギルベルトにとって便器に頭を突っ込んだ事は消し去りたい記憶らしい。制止されてるのにも関わらずエヴァルト大祭司に向かい抗議した。
「いやー、困りましたねー。反抗的な態度をとる護衛を拾ったつもりは無いのですが・・・。仕方ありません、別の者を配属させましょうか?」
エヴァルト大祭司はチラリとギルベルトを見ると、ダリルへと向き合う。すると、ギルベルトの顔は青褪め、必死に頭を下げる。
「も・・・申し訳ございません!」
その姿を見ると、エヴァルト大祭司は眼鏡の中心を指で持ち上げ、楽し気な笑みを浮かべる。
「ははっ、冗談ですよー。しかし、此処まで騒いでは彼女達に選択肢を与えている間はありませんね。フランツ、御客人を祭殿へご案内しなさい」
その言葉の通り、不審がる周囲の人々からの奇異の視線が集まりつつある。ギルベルトは私達を一睨みすると、付いて来る様にと手招きをした。
「おい!さっさと付いてきやがれ」
だが、私達に敵に大人しくついて行く道理は無い。
「・・・折角だけどお断りさせて貰います」
私の返答にエヴァルト大祭司は驚くでも落ち込むでも無く、寧ろ余裕の表情を湛えていた。
「此処で騒ぎを起こす事により、困る事になるのは誰でしょうね?」
人目は多く、相手は崇め奉られている火の精霊王の祭殿の大祭司。味方のなく取り囲まれた状況で逃走は自殺行為と言う事か。要は処刑か何方かを選べと言う事だ。
「つまりは、私達に拒否権は無いと言う事ですね」
私は溜息をつき、エヴァルト大祭司を睨みつける。
すると、満面の笑みを浮かべ、気の抜けた声で「御名答ー!」と呑気に応えが返って来た。
本心が読めない、冷静で強かな顔を見せたかと思えばお道化るような一面も見せる。信用していないのはお互い様と言う事かな?
しかし、戦の事を知らせる事が出来るのは達のみ。このままセレス事と言い、足止めをくらう訳には行かない。
「おい!まだ逃げられると思ってんのか?」
考え事をしていた所、ギルベルトの声で思考が途切れる。我に返った所でソフィアが肩を叩き、耳に顔を寄せ囁いた。
「アメリア、此処は大人しく付いて行くのが賢明のようです。ギルベルトさん以外にも祭殿兵が見張っているとフェリクスさんが」
視線を泳がせると祭殿入口に立つ数名の兵が此方を見張っているのが窺える。
「まったく、用心深い人達ね・・・」
此処は大人しく誘いに乗って相手の目的を探りつつ、情報入手を狙ってみますか。
************************************
連れて行かれるのは尋問室か、果ては処刑台か。目的や意図が読めずに促されるがままに祭殿の中へと進むと連れて来られたのは、シックな家具で整えられた一室だった。執務室兼応接室と言った所だろうか。
「すみませんねぇ生憎、茶葉を切らせてしまっていまして」
穏やかな声でそう言うと、エヴァルト大祭司は私達をソファへと座るように促す。
「武装解除や拘束もしなければ、見張りも下がらせる。此れは如何言うつもりなのかしら?」
ケレブリエルさんはソファに体を沈めると腕と足を組み、エヴァルト大祭司へ問いかける。
私も罠だと疑っていた為、相手の出方を理解できずにいた。
「おや?其れをお望みで?」
エヴァルト大祭司は不敵な笑みを浮かべ、ケレブリエルさんを揶揄う。だが、其れは動揺を誘う事なく軽くあしらわれるのだった。
「・・・私は強引な手段を使って此処に招いた理由が知りたいだけよ」
エヴァルト大祭司は「やれ、冗談の通じない方だ」と肩を竦めるとギルベルトに何か合図を送った後、私達と向き合う。
「いやね、其処のお嬢さんに尋ねたい事がありましてね」
エヴァルト大祭司はケレブリエルさんから私へと視線を移し、心中を探る様にジッと目を合わせて来た。
「私にですか?」
「本来、ドワーフ族は誠実で職人気質な種族。自ら同胞を窮地に追いやる戦など好まないはず。つまりは他種族からの干渉を受け唆され、戦の切っ掛けに加担したとふんでいますが如何ですか?」
確かにリンドヴルムへ向かう為に協力を仰いだ結果、相手がドワーフ族の領へと攻め入る大義名分となってしまった。しかし、この言い方からして今回の件に対し疑念を持っているのかもしれない。
「私達は祭具の商談を代理で請け負っただけですし、ドワーフ族の皆さんに竜人への宣戦布告の意思はありません。結果、利用され戦の口火を切る形になりましたが・・・」
「つまりは、何者かの騙し討ちあったと?俄かに信じ難いですね・・・。その祭具の商談と言うのは共謀の疑いを逸らす為の虚言ではないのですか?」
エヴァルト大祭司は執務用の机に両肘をつき、眼鏡の奥の瞳を細めると不信感を露わにした表情を浮かべる。お互い信用が無い中、一か八かで真相の一部を話してみたけれど駄目か。
「待ってください!此れが証拠です」
ソフィアは床に置かれた背負子から祭具の入った箱を取ると、エヴァルト大祭司の目の前に置き、蓋を開けて見せた。
「此れは・・・炎竜際の祭具一式。其れに箱の焼き印は間違いありませんね。良いでしょう一応、信じます。他種族に戦を起こさせる利益は有りませんしね」
この言葉にソフィアは安堵の表情を浮かべた。信用すると言っても取り敢えずと言った所か。
「一つ、訊きたい、ルートヴィヒと言う人物を知らないか?ある爺さんに助ける様に言われたんだが」
フェリクスさんの言葉にエヴァルト大祭司の眼が見開かれた。明らかに心当たりが有るような様子が窺えた。
「その名前を何故・・・」
しかし此処で、予期もせず扉が乱暴に開けられた。
「おい・・・じゃなくて・・・ローゼを連れてきました」
ギルベルトは自分の背後にいる人物の手をひき部屋に入るよう命じる。そして姿を現したのはヘルガだった。何としても此処に帰って来たかったのだろうけど仲間を傷つけ、セレスを攫った事は許しがたい物がある。しかし、城ではなく何故に火の祭殿に?
「あ・・・あんた達、何をしに来たのよ。殿下の為に命を差し出す気にでもなったのかしら?」
あって一言目がソレ?ソフィアとケレブリエルさんを傷つけ、セレスを誘拐したのにも拘らず悪びれる様子の無いヘルガ。
「アンタねぇ・・・ん?殿下?」
ヘルガが私に命を差し出すよう要求するのはセレスとの命名誓約、つまりセレスを殿下とと言う敬称を使用すると事はつまり・・・王族。どうりで、国同士の争いに発展しかねない危険を冒してまで騙し討ちを仕掛ける訳ね。
「おい、セレスを何処にやった?」
苛立ちが抑えられなかったのか、ダリルはつかつかとヘルガに詰め寄る。しかし、再びギルベルトの剣に阻止された。
「わりぃな、此奴には利用価値が有るんでな」
「くそっ!」とダリルは吐き捨てると、誰に諫められる事無く後退する。利用価値・・ね。
私はエヴァルト大祭司と向き合う。あの時城で抱いた疑問は、この国の中枢に近い人物に限る、つまり今が好機だ。
「お尋ねしたい事があります、陛下がクラウス宰相に全てを一任されていると言うのは真実なのでしょうか?」
辺りが一瞬静まり返り、誰かが生唾を飲む音とエヴァルト大祭司の溜息が漏れるのが聞こえた。一度閉じられた瞼がゆっくりと開き、私を見ると、眼鏡を指先で持ち上げた。
「出所は追及はしませんが、強いて言うならせざるを得ない状況に在ると言った所です。確か、ルートヴィヒを救うと仰いましたね?」
「ええ、そうです」
正直、国を揺るがしかねない情報をいとも簡単に明かした事には驚いた。
「ルートヴィヒは陛下が幼い頃に使用された偽名、救うと言うのなら私達に協力して頂きましょうか」
やはり、内情は一枚岩で無い様だ。ルートヴィヒを救う其れは想定外の事態を引き起こした。
本日も当作品を最後まで読んで頂き真に有難うございます!
事態の変化は予想外の所からもたらされる。強制的に招待をしたかと思えば無防備、そうかと思えば強かな一面を覗かせるエヴァルト大祭司。どれが本性か?真意は何か?
意外な再会と誘いの末に何が訪れ、種族間の争いを止める事はできるのだろうか。次回へ続きます




