第18話 蝕まれ堕ちるモノ
窓枠が外れ硝子が砕ける音が響く、何が此の人を狂わせたのだろうか。それは明白、数日前までの低く淡々とした声は嘘の様に乱れ、正気とは思えない変貌を遂げた大祭司様。其れを振り切り逃げた人物を追いかけようと私は足に力を籠める。ふと、視界の端に呆然とするファウストさんが映る。
「行きましょう!」
彼は私の呼びかけにビクリと肩を揺らすと、我に返り「す、すまない・・・」と擦れた声で返事を返す。
ダリルが先行し犯人であるエミリオの後を追い、窓から飛び出したが、この動揺具合からとても飛び出すなんて言う行為は危険だ。でも、時間が無い!
強引にファウストさんの手首を掴むと、ソフィアと一緒に部屋を飛び出す。少し離れた場所にダリルの背中が見えたが、曲がり角に消えてしまった。
「・・・手を放して貰えないだろうか?」
「あ、ごめん!」
その声に手を引っ張っていた事を思いだし放すと、ファウストさんは少し困ったような表情を浮かべた。
「ファウストさん、あの・・あちらの道は何方に繋がってるのでしょうか?」
私達の後ろから息をきらしながらソフィアが尋ねる。
「祭殿の北側の中枢部だ・・・出口を目指しているなら真逆だな。此処からなら西棟への中央への通路を通り回り込む事が出来る」
「本当ですか?それじゃあ、挟み込み作戦ですねっ」
「それじゃあ、上手く挟み込めるか解りませんし急ぎましょう!」
ファウストさんの指示通りの通路へと私達は再び駆けだす。
「・・・君達は何故・・・」
「・・・ん?」
取り敢えずの勢いで走りだした事に気が付いた所で、呼び止められた気がし振り返る。
「いや・・・何でも無い。道案内は僕に任せてくれ」
ファウストさんは頭を振ると、私達の前へと歩み出て、此方へ来るようにと走り出した。
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ファウストさんの読み通り、中央付近の幾つもの柱の並ぶ広場でダリルとエミリオさんが走ってくる姿見えた。
「おい!付いてこないと思ったら何やってんだ!」
ダリルの視線が此方に気付いてエミリオから外れてしまった。其の一瞬の隙をついてエミリオさんは東の通路へと逃げる。知らせていないのだから此れは仕方がない。
「・・・ダリル、エミリオさんは東の通路に言ったわ!」
「チッ・・・・クソッ!」
ダリルは慌てて踵を返すと、私の指示した通路へと走り出す。
「不味い・・・!彼方は庭へ続いている・・・」
ファウストさんの声に焦りが滲む、私達もダリルを追って追いかけるとエミリオさんは急に立ち止まる。
「お!二兎を追うものは一兎も得ずかと思ったら一兎得たな、これもお兄さんの日頃の行いのお陰?」
緊迫した空気を壊す呑気な声に力がガクリと抜けた所で、フェリクスさんが現れジリジリとエミリオさんを追い詰める。
「さあ?しかしこれじゃ、どう見てもこっちが悪役に見えるわね・・・」
その後をケレブリエルさんが杖を前へ掲げ、フェリクスさんに続いて通路を塞ぐ。
周囲を警戒する様に身を引くエミリオさんの顔色は悪く、苦し気な息遣いをしながら闇の魔導書を必死に抱きしめる。よく見ると首にできた樹状の紫の痣は左胸に伸びているようだった。
「魔導書さえ有れば自由になるんだ。魔法を使う度に病に胸を締め付ける痛みも差別も関係ない、ぼくは自分らしく生きて行く・・・っ!」
焦点の合わない目と捲し立てるような唐突な語り口に唖然とされる。とても真面と言える精神状態とは言えない。先程見た、クレメンテ大祭司の姿と酷似している気がした。これは闇の魔導書の影響・・・?精神に干渉する者が多いいから有り得ない話では無いかも。
「エミリオさん、お兄さんの・・・ファウストさんの話を聞いてもらえませんか?」
私の声が耳に届いたのか、エミリオさんはゆっくりと視線をファウストさんへと向ける。取り敢えず聞く耳はあるようで一安心と言うところね。
「お前が苦しんでいる事に気づいてやれなくてすまない・・・。病院と言う場所ならお前を守れると思ったんだ」
「そう言う処なんだよ!守る?町を出ようとした・・・ぼくを軟禁・・・していただけじゃないか!胸の病は治らない事を知っている・・・くせに!」
エミリオさんは胸を押さえながら、苦しそうに声を絞りながら兄への怒りを吐き出す。
それが理由で危険を冒してまで病院をこっそり抜け出していたのね。つまり倒れていたのは長い入院生活による低下した体力の影響と言うところ?
「いや、可能性は無いわけじゃない!手術を受ければ助かるんだ。そうすれば・・・」
「・・・そんな針に糸を通すような可能性信じられるか。病院の奴らがぼくに・・・うぐっ!うあああ」
エミリオさんがビクリと体を痙攣させると、痣が広がり黒い霧のようなものが本に吸い込まれていく。すると、魔導書の表面に小さな魔方陣が浮かび上がり、忽ちそれは砕け消えてしまった。ファウストさんは必死に弟の名前を呼び駆け寄った。
「エミリオ!」
魔法陣が消えた直後、その手から落ちた魔導書は花弁のように散り、表紙と紙の合間から石が一つ転がっていった。
エミリオさんはガクリと膝を落とし宙を仰いだかと思うと、怪しくかつ邪悪に微笑んだ。
「ヤツの魔力を感じると思ったら、なるほどな・・・。ウァルミナスの傀儡め、我を消しに来たか。くく・・・軟弱な獣人の体を通じてと言うのが癪だが仕方あるまい」
ドロリと嫌なものが背を伝い、大きく恐ろしい邪な気配が私達を襲う。ウァルミナス・・・創世記に載っていた女神様の名前だ。気づかれないようにそっと、片手を剣の柄へと伸ばす。
「・・・貴方は誰なんですか?」
見た目は先程まで兄弟喧嘩をしていた人の筈なのに、何かが違う・・・・
私がウァル様の命を受けていると知っている?其れに消しに来たとはどう言う事なの??色々な思考が廻る中、今度は確りと剣の柄を掴む。
周囲も私から緊張感を感じ取ったらしく、其々のやり方だが警戒している様子が見て取れる。
「解らぬか・・・くくく。存在を教えぬとはアヤツは我を封じた事で慢心しているようだな」
さも愉快そうに笑うエミリオさんの姿を借りた何か。端的に言うと闇の魔導書に封じられた魔法が強く影響を与えていると推測できる。
「君がそこに居る人形師の縁者じゃ無いのなら、勿体ぶらないで名乗るのべきじゃないのか?」
フェリクスさんはエミリオさんじゃない誰かの視線に臆する事無く、剣を掴む腕に雷を這わせる。
「・・・どう言う事なんだ?エミリオ?」
一番傍に居たファウストさんは周囲の様子に、付いて行けずに困惑の色を顔に浮かべエミリオさんへと歩み寄る。
「・・・危ない!」
私が飛び出し剣を抜いた所でファウストさんに向けて、魔法が詠唱される。私は心の中でエミリオさんに謝罪をしながら、その腕を蹴り上げる。妨害された魔法は空気に溶け、僅かに苛立ちの様子を見せた術者の顔を垣間見る。
深緑の瞳は光を無くし、紫の泥の様に濁った瞳が此方をのぞく、体に恐怖を植え付けられる様な感覚を錯覚させた。
「大地に住まいし精霊達よ 盟約の下 我に集いて盾となれ 【守護岩陣】!」
私とファウストさんの下に魔法陣が現れたと思うと、魔法陣から幾つもの牙の様な壁が何枚も覆う様にせり上がる。その壁は私達が後退するのと同時に罅が入り土へと換わった。
「防いだか・・・腑抜けと思ったのだがな」
エミリオさんの体を乗っ取った何かは、不敵な笑みを浮かべる。ファウストさんはそんなエミリオさんを見て項垂れると、歯を食いしばって顔を上げた。
「僕は君達のやさしさに甘え、自分の責任と言いながら逃げてしまった・・・。兄としてもう一度、弟に言ってやりたい事が有るんだ!此奴が何者だろうと僕は此処で引き下がるつもりは無い・・・」
ファウストさんは私に向かい、決意を新たにと言った様子で熱弁する。良かった持ち直してくれたみたいね!
「ハッ、なにカッコつけてんだ愚図!話をしたいだけなら、てめぇらの家でしやがれ!」
ダリルはそんな私達を睨み、拳を握り乱暴な言葉を吐き捨てた。要は身内に手を出すのに躊躇し、足を引っ張るくらいなら家に帰ってから話し合った方が良いと言いたいのだろう。
でも、目上に立つ者として身内を人任せにはできないよね・・・
「何だデコ助、自分でアメリアちゃんを庇えなかったから悔しいのか?」
フェリクスさんはニヤニヤと緊張感の無い顔でダリルを揶揄う余裕を見せている。
「ち、違う!勘違いするな!此れは邪魔な奴を排除する為だ!」
「貴方達・・・今は非常時よ!目の前の現実から目を逸らさないで!」
ぎゃあぎゃあと騒ぎ始める二人をケレブリエルさんが一喝すると、二人はハッと我に返る。
「あの、その大変言い難いのですが・・・エミリオさんが・・・」
ソフィアはオドオドと顔を青褪めさせながら、エミリオさんの居た場所を指さす。
「追うよ・・・。彼の変異に闇の魔導書が関係しているのは間違いない。そして、恐らく其れを渡した張本人は・・・」
ケレブリエルさんは「カルメンね・・・」と私の意図を酌んで呟く。
「つまりは・・・!ファウスト、精霊の間は何処にある?」
フェリクスさんはファウストさんに慌てた様に早口で尋ねる。
「・・・この先です!不味い・・・今は巫女様の祈りの時間のはず・・!」
「ファウストさん、案内を頼みます!」
これを皮切りに一斉に全員で走り出す、エミリオさんの纏う雰囲気と言葉に私の中で言いしれない不安が広がった。




