第15話 絆と攪乱
冷たく堅固な造りの牢獄は先刻の一騒ぎは何処へやら、想定外の言葉に一時の静寂を取り戻していた。
ファウストさんは目を逸らし苦しげな表情を浮かべると、拳を硬く握り絞めた。封魔呪の施された装具が石の床と擦れ、其れを繋ぐ鎖が金属音を響かせた。
「帰る事ができない」と言うのは無罪を証明できないからだろう。キアーラ殿下のお言葉からして逆転の機会は有るはずだ。
「帰る事ができない?このまま、やってもいない罪を被るつもりですか?!」
「違う!そうじゃない・・・そうじゃないんだ。ともかく君達は帰るんだ早く!」
ガシャン!感情の昂りにより叩き付けられた鎖が鼓膜を震わせる。驚き戸惑うアマデオの視線が、私達とファウストさんの間を泳ぐ。それを横で見ていたダリルは舌打ちをすると、牢の中に入りファウストさんの襟首を掴み上げた。
「自己犠牲でもするつもりか!如何しても帰れと言うなら、俺達を納得させてみろ!」
ダリルの激しい剣幕にファウストさんは驚き目を見開くが、徐々に顔に怒りが滲んでくる。
「こ・・・これが最善策なんだ!」
頑なに事情を話さない様子にダリルの苛立ちも増していく。このまま言い争っては気絶した看守が起きかねない。私はアマデオに看守の見張りを頼むと、二人の合間に鞘に収めたままの剣を振り下ろし引き剥がす。自己犠牲を疑われた事に反応した、そして最善策・・・憶測だけど・・・
「ファウストさん、最善策と言うのは誰を守る為のものですか?」
「・・・・・」
ファウストさんは固く口を閉じ黙り込む。沈黙を肯定と取るべきかどうか・・・
静かに話を聞いている様子だったソフィアは、意を決したようにファウストさんの傍に寄ると口を開く。
「もしや・・・守るお相手とはエミリオさんの事ではありませんか?」
「・・・・関係ない」
ファウストさんは口に出された名前に焦りと取れる表情を浮かべ目を逸らす。此処までの反応からして、エミリオさんを庇っているのは明白だ。
此処は闇の魔導書が偽物である事がバレている事を伝えて反応を見よう。誰にしても、魔導書が偽物と判明している以上は捜査網は相手に向かう可能性は消えない。
「・・・闇の魔導書が偽物である事は国側にバレていますよ」
「え・・・」
明らかに今までと違う驚愕の表情、何故か困惑の色も見て取れる。
「事情はリエトさん達が教えてくれました、このままでは何れ追手が持ち主に行きつきます。それでも良いんですか?」
「そんな、偽物だったなんて・・・。何時からだ?祭殿?いや・・最初から?」
ファウストさんは頭を抱えだす。偽物である事を知らなかった?確か、大祭司様が模造品を持たされ囮役を買って出たと聞いていたんだけどな。
「おい!そう言うのは後にしろ、いま重要なのは脱獄するか如何かだ」
ダリルは周囲と看守の様子を警戒しつつ、答えをファウストさんに迫る。疑問が増すばかりだけど・・・
「ファウストさん、守りたいのがエミリオさんなら此処から出ましょう」
ファウストさんは私が手を差し伸べると、覚悟を決めたように頷く。
「解った・・・宜しく頼む」
「弟さんを独りにしてはいけませんよ。封じられし魔力の根源よ 宿りし者との盟約により 戒めより解き放て 【解呪】」
ファウストさんの四肢に取り付けられた装具が光り、一つまた一つと金属音と共に床に叩き付けられ床に転がる。ファウストさんは力は取り戻せていないなと苦笑いを浮かべた。
「お、やっと終わったのか?看守のねーちゃんの世話なら大丈夫だぜ。へへへっ」
アマデオは何時の間にやら看守の女性を近くの椅子に縛り付けていた。良くやったと言いたい所だけど口の端に涎が垂れている、これはお礼の必要は無いわね。
「急いで!あの倉庫までの案内を頼むね」
「あいよ!人使いが荒いぜまったく・・・」
アマデオはブツブツと言いながらも警戒を怠らずに進むと、私達へと手招きする。
此れは無事に城を抜けられるまでは決して気を抜けなさそうだ。
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地下を出ると慎重に来た道を辿るが、時間が経過の影響か廊下や部屋を行き来する人の往来が増えている。
柱にカーテンに空き部屋、息を殺し身を隠すも順調とはいかず、回り道を積み重ね続けている。
日が高くなりつつあるのに加え、巡回か交代などで脱獄が発覚してしまったのかもしれない。
「なあ、此処で俺から質問なんだけどよぉ。忌み子兄を置いて逃げないか?」
中央近くに差し掛かった所で先行をし、慌てて戻って来たアマデオは焦った様子で声を潜め、小声で問いかける。アマデオ以外全員が耳を疑うような突飛な問いかけに眉を寄せる。
「冗談ですよね?此処まで来て何を仰っているのですか?!」
ソフィアは信じられない言葉を耳にしたと言う表情で、徒ならぬ様子のアマデオを見つめる。
「冗談で言ってるじゃねぇよ。前方に近衛兵が数名、此処を迂回するとなると中庭の回廊を通らなけりゃならねぇ。しかも、皇帝陛下と妃達が茶会をしているときたもんだ」
近衛兵は皇帝陛下と御妃様方の警備の為に配備されている、かと言ってお茶会が終わるまで待ったところで益々逃げるのが難しくなると思う。
「だからと言ってファウストさんを差し出して良い理由にはならないよ。他に道は無いの?」
「城の住人でも無い俺が知るよしあるかよ!」
つまりは何かしらの方法で近衛兵の隙をつく、又は危険を承知で中庭を忍び歩きで逃走の二択しかないのかぁ・・・
「おい!近衛兵はこっちに向かっているのか?」
「ああ、そうだ。早く決めてくれよ」
「チッ・・・クズが」
ダリルはアマデオのその答えに思案顔を浮かべると、私達の方へチラリと視線を向けた後、中庭の回路へ続く道へ歩いて行く。
「ファウストさん、行きましょう・・・」
「・・・ああ、すまない」
ファウストさんは頷くと私とダリルに続いて歩き出す。それを見てアマデオは焦りと苛立ちのこもった声をあげた。
「あっ、おい!見捨てる気か!」
ソフィアは私達を慌てて呼び止めると、アマデオに微笑み掛け手を差し伸べる。
「・・・いいえ。あたし達は貴方程、城の内部に詳しくは御座いません。ですから、中庭を通り脱出をする手助けを宜しければ貴方にお願いしたいのです」
アマデオは唖然とした表情を浮かべるが僅かに頬を染めた後、やれやれと言った感じで肩を竦める。
「・・・天使の願いを聞かない訳にはいかねぇかー」
「良かった・・・」
「調子に乗んな、時間がねぇんだ。案内するならさっさとしろ!」
ダリルの悪態を皮切りに再びアマデオに引き連れられて歩き出す。
美しい庭園を取り囲む様に白亜の石柱が回廊との境を囲む、その下を美しい薔薇の低木が彩っていた。そして近付くにつれて徐々に色とりどりの花々が咲き乱れる庭が見え、細やかな装飾が施された東屋からは女性達の話し声が聞こえて来た。
其れは穏やかな歓談とは言えない、捲し立てる様なヒステリックな声と其れを強かに躱す声だ。
出入り口を避けた位置の低木に身を寄せ合い様子を窺っていると、パン!と乾いた音が響きドレス姿の女性達が横を通り過ぎて行った。キアーラ殿下を含めた五人の御妃様達だ。
何が有ったのかは不明だけど、人が減ったのは僥倖かもしれない。
「あぁ、愛しのファムルー・・・ごめんよ。私の言葉が足りない為に君を傷つけてしまった」
残った女性に寄り添う男性・・・立派な黄金色のたてがみに筋肉質の体と風格からして彼が皇帝殿下だろう。しかし、うっとりと夢心地と言った表情を浮かべ、蕩け切った表情から目の前の人物しか映っていないのが解る。そして・・・
「・・・優しいお声がけとお気遣いを頂き、恐縮至極ですわ」
角や翼こそ生えていないが明けの明星が輝く夜空のような長い髪と紫の瞳、その声の主こそは私達が探せど掠める程度で動向が読めずにいた人物、カルメンだ。
「あの方は・・・ファムさん?」
ファウストさんは驚愕の表情を浮かべる。つまり、ファウストさんへ命令したのはカルメンだった。
そうなると、以前に聞いた、エミリオさんの所へ来ていた女性も同一?
「そーだ、ファムルー。お前の為に商人に美しい装飾品と宝石を用意させた、此処は離れて部屋で商談ををしようじゃないか」
「ええ!楽しみにしていますわ、愛しの陛下・・・」
「ああ、私も愛している・・」
それを聞くと皇帝陛下は上機嫌と言った様子で、商品を精査しておくと残し立ち去り、それをカルメンは見送った。その直後だった、テーブルに置かれていたカップを持ち上げお茶を零した。
「折角のお茶なのに、獣臭くて堪らないわね。ね?・・・そこの鼠さん達?」
カルメンは此方の居場所を把握しているかのように、何かを唱えながら近づいてくる。
「チッ・・何を企んでいる」
「ダリル、抑えて・・・此処は王宮よ」
ファウストさんには引き続き隠れて貰い、私達は盾になる様に立ち塞がる。
「安心なさい、近衛兵なら眠らせたわ」
「へっ、呑気だな。王族の生活が心地良くて浮気か?」
ダリルがこう皮肉を言うが、カルメンは鼻で笑った。
「あら、今回は従順な子にお願いしてあるの。まあ、誰かに折角あげた本を取り上げられたのは予想外だったけどね」
「従順・・・本・・まさか?!」
「そう、其処で貴方の後ろに隠れている彼の弟よ。焦って魔導書を取り戻そうとしているようだけど、彼は大丈夫かしらね?ふふふ・・」
驚き固まる私達と俯いたまま拳を硬く握るファウストさん。其れを見て、カルメンは愉快そうに笑った。




